ハザートの原因
『樋口! そっちはどうなった!』
怒鳴るようなオッサンの声に、慎は臆せず回答した。躊躇なく飛びついたのは、ともかく怪盗からの会話から逃れたかったから? 同族扱いされたところで、無視してしまえば良いのに……
分からない。分からないが、考えたくない。無意識に働いた慎の本心が、オッサンとの会話に注力させた。
「ちょっと前に怪盗をとっ捕まえた。今、盗んだブツを返す話とか、コイツの契約者の話とか――」
『んな事より、その怪盗からワクチンやら解毒剤やらを引っ張り出せ!』
切迫した叫び。間違いなく迫真の声量だが、何を言いたいのかさっぱりだ。やかましいオッサンに対して、慎は順序建てを求めた。
「ちょ、ちょっと待ってくれよオッサン……何の話?」
『そっちには『ゾンビ』が出てねぇのか?!』
「ゾ、ゾンビ? 何言ってんだ……?」
突飛もない単語に、慎は激しく混乱した。今、自分たちは『怪盗騒動』に対応していたじゃないか。なのにどうして、急に『ゾンビ』が出てくるのだ……?
話についていけない慎に対し、井村のオッサンは怒りを込めて咆えた。
『電源の落ちた美術館内で、ゾンビがわらわら増えてやがるんだよ!』
「いやいやいや……そんな馬鹿な」
『オレだって信じたくないがな! どう見ても館内でゾンビ・パンデミックが起きてるんだ! 怪盗が……菌だかウイルスか知らねぇけど、ばら撒いたんじゃねぇのか!?』
状況が全く読めないが……ともかく、怪盗が跋扈した美術館内で『ゾンビ・パンデミック』が発生したらしい。オッサンは『怪盗・石川二十面相三世』が、原因を作ったのではないかと疑っているようだ。
現場を見ていないから、何とも言えないが……タイミングは確かに怪しい。マイクを一旦切ってから、慎は捕えた怪盗へ尋ねた。
「なぁ怪盗……ウイルスを撒くなんてスキル、持ってないよな?」
「は? 急に何を言い出す? そんなモノ、怪盗に必要ないだろう。私は怪盗だ。それに反する技能は必要ない」
「じゃあ……ゾンビについて、何か知っているか?」
もし『ゾンビ』にまつわる原因を持っているなら、何か表情を変えるかもしれない。カマを掛けたつもりだが、怪盗は釈然としない様子で答えた。
「ゾンビ……生ける屍の類の事か? 古の呪われた財宝であれば、そうした曰くのある物品の存在は知っている。だがこの世界は面白そうなモノは、ほとんど既に管理されたり発掘済みじゃないか。ここの美術品の目録も調べ上げたが、そんな心躍る財宝は無かったぞ?」
「そうじゃなくて……いや、うん。今の態度でだいたいわかった」
慎にしても怪盗にしても、ゾンビ騒ぎなんて想像できない。怪盗は盗みを成功させるかどうかのみに注力している。自らの生き様や在り様に忠実だ。ゾンビ・パニックを引き起こすと思えないが、判断するにも情報が足りない。何かないか……と思案する中、助言をくれたのは『ゴブリン』だった。
「ダンナ! 確か今回の予告騒ぎを、配信しに来た奴らがいましたよね!?」
「あぁ……コスプレ集団連中と混ざって、なんかごちゃごちゃとしてたけど……」
「そいつら、生放送してませんかね!? ダンナのスマホから検索すれば――」
「そうか! ネット配信チャンネルを探せば、館内の様子が分かる!」
大いに期待が持てる。騒ぎに便乗して、一般配信者がハイエナの如く集まっていた。そのカメラを通せば、今の館内の状況を把握できる。
すぐに美術館の名前と、生配信のワードを打ち込みスマホで検索をかける。今まさに放送中のチャンネルは、まさしく映画めいたパニックが引き起こされていた。
『皆さん! 落ち着いて! 順々に外に……あぁクソ!』
『なんだよこれ!? う、撃っていいのか!?』
『撃たなきゃ俺達だって奴等の仲間入りだろ……』
『あ、あれは……おい、嘘だろ滝沢!?』
『アァァアァ……』
警官姿の生ける屍に、警官たちが発砲を躊躇う。気を引かれている内に、死角から迫っていた死体が、最前線にいた警官に足にかじりついた。
『ア゛ッ……!』
『ひっ……ひぃいいいっ!?』
『撃て! 撃て撃て撃てっ!!』
発砲音が画面から聞こえる。
同時に、地下搬入口にいる彼等にも微かな振動が伝わった。
――美術館内は、防音が施されている事も多い。
注意していなければ、すぐそこで銃声がしても気が付かない。ましてや彼らは、つい先ほどまで逃走劇と阻む者で争っていたのだ。些細な振動の一つや二つ、気にしている場合ではない。
慎は――現場のハザードもそうだが、この状況と環境は危険だ。現場の対応に必死の井村へ、慎は伝える。
「オッサン! ネットに動画が垂れ流しになってる! 止めないとオッサン的にマズイんじゃ!?」
『神秘の隠蔽』を職とするオッサンだ。ゾンビ・パニックが生放送で流れるのは、どう考えても危険極まる。慎の指摘に、苛立ちながら井村は答えた。
『上の連中の対応が遅いだけだ! 十分もすれば停止する!』
「その間に拡散しちまうぞ!?」
『んな余裕はこっちに無ぇんだ! ジャヒーも回してるが、数が多すぎる! 早く怪盗からワクチンを……』
怒号が聞こえる。悲鳴とうめき声も。これではモール事件の再来ではないか。
怪盗がやったとは思えない。けれど慎もオッサンも、怪盗以外に責めるべき相手を知らない。戸惑いながら振り向いた先で、縛られた怪盗が青ざめていた。