跋扈する怪盗
電源が切れた美術館内で、怪盗と取り締まる人間が踊った。スマホの電灯が、まるで撮影の明かりのように影を追う。その背後から、奇妙な恰好の男たちと……何人もの警察官が駆け抜けた。
「た! 大変だ! 予告通り怪盗が……!」
「ちょっと! どいて!!」
「道を開けて! 怪盗に逃げられる!!」
怪盗は飛び石を渡るように、人ごみの隙間を通り抜けていく。一方の追跡者は人間が障害になり、思う通りに進めない。このまま距離を取られて、まんまと逃げられてしまう……となるほど、警察も甘くはない。
「怪盗を発見! 現在中央展示ホールから北側出口に向けて逃走中!」
『北側の……いや、全ての出入り口を封鎖しろ!!』
『室内に閉じ込めれれば袋のネズミだ。奴も突破を狙ってくる! 奴の何としても確保し、我々日本警察の意思を示せ!!』
無線を通して全員に通達され、速やかに配置につく。混乱と闇の中でも、僅かな明かりを頼りに職務を遂行した。更に加えて、怪盗を悩ませる要素がある……!
「マスター! 打ち合わせ通りに!」
鎧姿の男がどこかに向けて叫ぶと、一瞬で姿形が見えなくなった。代わりに外から一匹の狼が室内に入り込み、人ごみの間をすり抜けて真っすぐに突き進んだ。
「今度は逃がさんぞ!」
「! また君か……!」
闇の中で突き進む、白い毛皮の大きな狼。光学迷彩を奪い取ったキャラクターに、怪盗ははっきりと敵意を向ける。牙を剝いて飛びかかる獣に、手にしたステッキで応戦した。
何度か棒と爪、目線と目線が火花を散らす。しばらく交戦を続けていた両者だが、ふと怪盗が左手の指を鳴らした。
警戒するが、怯みはしない。果敢に飛び込む『飢狼』は……真っすぐ襲い掛かろうとするが、突然上空から光が灯った。
「ぬ、ぬぅうっ!?」
「はっはっは!」
館内の電源系統は、既に怪盗の支配下にある。追撃を阻むのに、何も暴力は必須ではない。闇の中、目が慣れつつあるタイミングで、怪盗は頭上のライトを『飢狼』に向けて照射。痛烈な光信号に眼球を焼かれ、ぐらりと『飢狼』がバランスを崩してしまう。
悶える飢狼を置き去りにして、出口の方へとするりと抜ける。咆える狼を負け犬の遠吠えと笑って、悠々と包囲を逃れようとした。
しかし、飢狼の交戦は無駄ではなかった。稼いだ時間で封鎖が間に合った。最短距離の出入り口は、無数の警棒を握った者が犯罪者を睨みつける。目を丸くした怪盗が、くるりと踵を返し中央へ戻っていった。
「やるじゃないか警官諸君! 今までの無様が嘘のようだ!」
「えぇい黙れ!」
怪盗が言及したのは、宝石窃盗事件についての事だろう。
一般にバレてない失態を、ネット配信者に見つけられようものなら……それはもう派手な炎上に繋がる。事情も知らずに、やれ隠蔽だの現代の闇だと騒ぐ奴らは、特定も面倒な上に確保や逮捕も難しい。おまけに不満を抱えた人々が群がるから、その損害は考えたくもない。
警察の威厳を示すのもそう、余計な事を口走って、さらなる無能と炎上を喰らう前に鎮火したいのも本音。責務としても、腹黒い理由としても、ここで怪盗は何が何でも確保せねばなるまい。どちらの動機かは人によるが、警察が本腰を入れたのは確かだった。
「はははっ! やはり良い物だな! 勝負はこうでなければ!!」
「遊んでいるのか、貴様は!?」
「真剣だとも!!」
たったの一人で無数を相手に、怪盗は闇の中を進んでいく。複数の思惑と目線が絡み合う中、悠々と怪盗は突き進んでいた。一方の警察は……封鎖こそ進んでいるが、怪盗にはなかなか追いつくことができない。
――無理もない。緩く包囲こそしているが、一般人や無関係者が障害になり、直線で追う事が難しい。下手に狭めようとして、網を抜けられれば本末転倒だ。
さらにこの状況では、各種の銃器は使えない。実弾を放てる環境ではない。暗闇で遮蔽も多く、誤射などすれば最悪だ。外したとしても跳弾で被害が出かねないし、一般人がパニックを引き起こす危険性もある。責任問題に発展させるのも躊躇われた。
一応弾種には、非殺傷用の武器もある。鎮圧用のゴム弾や、遠隔用のスタンガンめいた武装もあるが……この暗闇ではやはり誤射の危険が付きまとう。蓋を開けてみれば……警察側の優位は、悉く配信者やコスプレ一般人によって潰されていた。
「ふぅむ……少々興ざめだ。観客は居て欲しいが、乱入は求めていない」
思わず漏らした本音は、誰にも届かない。その複雑な心境は、理解される事もないだろう。たったの一人、暗闇に駆け抜ける怪盗は……スタッフオンリーの場所へ駆け抜けていった。
ぐんぐん進む怪盗が向かうは……地下。ただでさえ闇の深い室内は、地下であれば更に深い。故に追跡の手は遅く、脱出は難しいように思えるが……美術館の地下は『美術品の搬入口』になっている事が多い。
一般には解放されない、基本的に知られる事もない、出入り口。大型のトラックが侵入できるよう、全体的に広々としていた空間だ。
「ま、ここのマークは薄い」
通常の出入り口を封鎖は当然、少し気が回るなら裏口も封鎖する。しかし『地下搬入口』までは、中々手が回らないものだ。
勝利を確信する怪盗。悠々と駐車場から外に出ようとしたその時……
一人の褐色肌の少女が、静かに佇んでいた。