怪盗登場
美術館は基本的に窓が少ない。物によっては太陽光で痛んでしまうし、外部から双眼鏡で見れてしまっては、入館料も取れない。だから館内は基本的に、昼間であろうと照明が必須だ。美術品に合致する色合いや、作品を傷めないような電灯が使われる。
となれば……電源が落ちてしまおうモノなら、一瞬で館内は暗黒に包まれる。しかも一瞬で、予兆もなく突然の出来事では、人々は皆が騒然となった。
「!? なんだなんだ!?」
「みんな見てるか? 急に電源が落ちた。イベントか何か……の予告もなかった。あぁ、大丈夫! 大丈夫だから心配しないで」
「皆さん! 慌てないで下さい! 非常電源が……少々待って、係員が確認します!」
完全に電力がダウンしたのか、非常灯がすぐにつかない。小さな子供が怯えて泣きだす中、警備の人間も人々に呼びかけた。
「落ち着いて! 走り回ったりしないで下さい! お子さん連れの方は、特に気を付けてあげて下さい! 今係員が応対しています!」
ただでさえ今日は人が多い。急に明かりが落ちると、人間の眼は対応できず、人によってはパニックに陥る。暗闇の中に響く声の中、真っ先に対応したのはコスプレ集団や配信者だった。
「スマホのライトを付けねぇと……」
「みんなごめん! パソコンだと明かりつけられないからさ……今スマホを使うからちょっと待っていて」
煌々と輝く液晶画面が、数少ない照明となる。スマホのカメラを起動し、ライトを点灯させると、白色の光が闇を照らした。
幸いなことに、現代のスマホは必需品。一人が続けば次々とライトを使えば、それなりに美術館内は明るくなった。
しかし――配信者の一人が気が付いた。金属プレートの上にある、額縁と絵が消えてなくなっていた事に。
「え? え?」
「みんな! 大変だ! 電気が消えたら、絵が……」
「お、オイ見ろ!! 周りの美術品が――!!」
次々と美術品に光を当てるが、そこにあるのはプレートのみ。肝心の美術品は消えてしまっている。コスプレ集団も、配信者たちも、そして警備の者たちも現状を把握し、暗闇に照らされた犯行の跡を見つめるしかない。配信者の誰かが『ゴッホのヒマワリの贋作』にカメラとライトを向けると――その前に堂々と、一人の影が立っていた。
目元まで深く被ったシルクハットに
紺色に整えられたスーツ姿
かすかに覗く口元からは不敵な笑みを漏らし
照らされたライトの群れとカメラを前に悠然と『怪盗』は姿を現した。
「――ごきげんよう。諸君」
あの予告映像――二週間前に予告を出した『石川二十面相三世』が、堂々と衆目の前に姿を晒した。電源もコントロール下にあるのか、自らの頭上のライトを点灯させる。本日の主役と言わんばかりに、朗々と怪盗は謳った。
「ふふふ……随分な数のギャラリーじゃないか。張りきった甲斐があったよ」
怪盗の作り出した空気に飲まれ、一般人も館内の人間も、そして警察組織でさえも硬直してしまう。多くの人々の目線を受けた怪盗は、恭しく一礼した。
「予告通り、この美術館に参上した。そして怪盗たる私がする事と言えば……たったの一つ」
すっと手をかざし、背後にある偽物の絵画を指差す。そのまま右腕を数回スライドさせると、最後の一回で絵は消えてしまった。
例えるなら――ガラスを雑巾か何か拭いて、一瞬で汚れが落ちるように。ガラスの奥に眠っていた絵は、マジシャンめいた手口で消えてしまった。
「『ゴッホのヒマワリ』……その贋作、確かに頂いた。それでは諸君……」
「させるかっ!!」
誰もが異世界の空気に飲まれていた。この世ならざる法則、異界のルールに引きつけられていたが……『オルタナティブラグナロク』の住人ははっきり否と叫んだ。
白い鎧姿の、生真面目そうな男が盾を構えて猛進した。荒っぽいやり口に、素早く怪盗は身を翻す。中身を失ったガラスケースが砕け散り、怪盗は右手からワイヤー付き銃器を天井に発射していた。
「やれやれ、まだ名乗りの途中じゃないか。無粋な事をしないで欲しいね」
「黙れ泥棒! 他の美術品も返せ!」
「返してほしくば、私を捕まえて見せるのだな! それでは改めて……さらばだ!」
右手のワイヤー銃を使って、怪盗は軽々と宙を舞う。周囲の人々が何事か騒ぎだし、スマホのフラッシュが何度も瞬く。地上からでは『近衛騎士』では追いきれないが、もう一人の人物が何かを投擲した。
「堕ちろっ!」
「!!」
槍だ。三又の槍を投げ込み、くぼみの部分でワイヤーを絡め取る。悠々と逃げていた怪盗は落下するかのように見えたが、いかなる原理かふわりと着地。もう一人の人物――『マーマン』の眼光を受け、呆れと称賛を交えた声で怪盗は言った。
「全く……同郷に厳しいじゃないか」
「同郷だろうと関係ない。お前には分かるまいな怪盗……あの数々の美術品に込められた思いが。たった一つカタチにするだけで、どれほどの時間と工夫、労力をかけているか……! それを貴様のような者に盗ませはしない!」
「……なるほど。君には価値が分かるか」
「わからん! だが思いは伝わる!」
「それこそが美術の価値だよ。だからこそ盗む甲斐もある……!」
「訳の分からない事を!」
数度の鍔迫り合い……怪盗側は取り出したステッキで、『マーマン』は槍で応戦するが、旗色が悪いと見た怪盗はするりと脇を抜けてしまう。
その背中が見えなくなる直前、マーマンは咄嗟に緑色のゲル状の何かを、怪盗の左足に投げつけていた。