警官の追走劇
『気を付けろ。警備の一人が衣服をひん剥かれた。怪盗は確実にいる。間違いない』
『つ、つまり今怪盗は『警備員に紛れている』と?』
『映画やドラマじゃあるまいし……』
巡回中の警察官へ、その一報は速やかに伝達された。無線連絡は密に行われ、警備中の全員が情報を共有する。ふざけた予告、ふざけたコスプレに、ふざけた事態に違いないが、ある警官が注意を促した。
「確かに創作物めいています。けれど……ここ最近『非現実としか思えない現実』が、何度か発生しているでしょう?」
『それは……』
その単語は、その警官が口にする事で魔力を発揮する。あるモール事件を切り抜けた警官の言葉に、別の警官が声を吹き込んだ。
『ふざけているが……宝石が盗まれた事も、例の予告も、この美術館もコスプレ集団も現実だ。残念な事に』
「そうです。残念ですし、前例もほとんどありませんが……我々警察が果たすべき役目は『犯罪を未然に防ぐこと』と『犯罪者を確実に確保すること』です。相手が誰だとか、どんな人間かなんて……逮捕してから考えればいい。我々はこの現実に対処しなければ」
対処すべきは『怪盗の暗躍』……この前の『モール事件』のような、強大な武力が必要な事態と比べれば遥かにマシだ。警備巡回中の『滝沢警官』はそう思った。彼は続ける。
「それに悪い知らせばかりでもありません。相手の『透明マント』は失われました。警備の誰かに化けている事も割れた。ホシのいる範囲はかなり絞れています」
『冷静に考えてみれば、そのとおりだ。我々は怪盗を追い詰めている』
『そうだ。こうして見回るだけでも、奴は絶対に動きづらくなる!』
『警備と……警官も互いに知った顔かを確認しろ。もし誰とも証明が出来ない相手なら、そいつは怪盗と思え!』
今まではどこか、締まらない空気があった。非現実めいた状況に、いまいち身が入らなかった警官たち。真剣になるべきと薄々感じながらも、やはり今まで積み上げた『警官の空気』と『非現実めいた予告』は噛み合っていなかった。
しかし『怪盗の実在』は被害者が生まれたことと、誰かが『透明マント』を奪い取った報告で実感が生じた。奴は間違いなく『いる』と認識し、警備の者たちのケツを叩いたのだ。
『コスプレ連中からも目を離すな。そもそもの素行が悪いようで、美術館のスタッフも手を焼いている』
『目に余るようなら退館を促しても良いのでは? 我々の警備の邪魔になる』
「そうですね……真剣に鑑賞しているように見えません」
『なんか魚人のコスプレしたヤツが、海の絵を無言で食い入るように見物していたけどな。見た目はふざけているが、態度は真摯に見えたぞ?』
『本気で鑑賞している方なら、素行も問題ないだろうよ。そういうのは放置で良い』
活性化する無線。現場にいる者の眼も鋭く据わり、積極的に足を動かし始めた。ドラマや映画のような場面かも知れないが、警察官としての責務は同じ。犯罪を抑止し、防ぎ、犯人を逮捕すること。その一点に全神経を注ぐ事こそが、人々が警察に求める事ではないか。相手が何を考えていようと、そもそも何も考えていないような奴でも、自分たちの役目は変わらない。
『ちっと遅かったが、今やっと目が覚めた気分だよ』
「遅くなどありません。まだ犯罪は起きていないのですから」
『いや、起きてるな。衣服の窃盗だ』
『敵討ちってのも変な言い方だが、ひん剥かれた警備員の借りは返すぞ』
今まではどこか、身の入っていなかった警官組織。しかし彼らは完全に覚醒した。警官特有の重厚さを発し、眼光鋭く周囲を見やる。
最初からそうしていれば……とは言うまい。警察構成員とて人間だ。ふざけた輩、ふざけた人々の空気に触れていれば、無意識に毒される。まず目を覚ました一人は、全員に鋭く通達した。
『確か、警備員が下着以外剥ぎとられたんだよな?』
「そうと聞いています」
『なら周波数を変えるぞ。無線機を奪われていたら、怪盗に筒抜けだ。……この会話も今まで、聞かれていたかもしれない』
「!」
『おい、怪盗。聞こえているか? あんまりこっちをナメるなよ。スマホで新しい周波数を送る。奪われた警備員以外の端末に回せ』
今の無線は盗まれ、盗聴されている可能性が高い……目を覚ました彼らは、たちまち新しい周波数に切り替える。その直後に、警備の一人が声を張り上げた。
『ん? おい! そこの!』
「どうしました?」
『……なんで動揺した? えぇ?』
警官の一人が、誰かに鋭く詰め寄っている。ノイズ越しに伝わる緊張が伝播し、警官たちは構えた。そして――
『逃げるな! 顔を見せろ!』
『報告を!』
『――警備員の一人が逃げた! 怪盗の可能性大! 無線を傍受して、動揺したのが仇になったな! 場所は中央の螺旋階段! 応援を要請する!』
『全員、確保を急げ!!』
『『『「はいっ!!」』』』
私服警官も、純粋な警察官も一斉に駈け出す。応援要請に対して、迅速かつ速やかな包囲を敷く。中央階段に滝沢含む複数人が向かうと、一人大慌てに逃げ回る警備員の姿が目撃された。
「あいつだ! 逃がすな!」
「館長! 怪盗らしき人物を発見! 出入り口を封鎖して下さい! 奴を袋のネズミに――」
「こんっの……コソ泥がぁっ!!」
「!? お、おい!?」
血気盛んな一名が、警棒を抜き容疑者に振り下ろす。まだ早い……と言われてもおかしくないが、警官も警官で溜まっているモノがあった。乱暴なやり口だが、力のない正義になんの価値がある。執行される一撃を受けて――容疑者は『全身をバラバラにして砕け散った』
「「「「「「!?」」」」」」
乾いた音が鳴り響く。人体と異なるソレは、プラスチック製のマネキンか? 今まで気が付かなかったのか不思議なぐらいに、ソレは間違いなく人間ではない。しかし衣服からして、奪われた警備員が着用していたモノ……いや、そもそも何故こんなものが動いていたのだ?
なんだ、これは? 警官全員が言葉を失う。やっと捕まえたと思ったのに、怪盗に出し抜かれたのか? 真っ白になる警官諸兄を嘲笑うように――
館内の電源が、一斉に落ちた。