前哨戦
霊体で姿がバレないのは、一般人だけ。『オルタナティブラグナロク』をやってるプレイヤーや、キャラクターであれば感知は出来るだろう。しかし相手は透明マントを使い、これから一世一代の盗みを働く直前。反則めいた光学迷彩があれば、警備の人間を気にする必要はない……そんな状態で、怪盗がこちらを警戒できるのか? にわかには信じられないが、『飢狼』がはっきりと慎に告げた。
“間違いない! 『BBB』の目線を嫌っている!”
≪待て待て飢狼! お前見えてるのか!?≫
“いや分からん! だが我達狼は群れで狩りをする。仲間の目線を把握するのは基本だ。そのまま追跡を続けろ『BBB』! お前の目線を、我が追う!”
“ブブッ!”
唯一透明マントを見破れる『BBB』に合わせ、霊体の『飢狼』が気配を追う。すると急いで二名が移動を始め、その行き先で『見えない何かが、人ごみに激突した』のだ。
「痛ってぇ!?」
「なんだなんだ!?」
「オイ、ぶつかるんじゃねぇよ!」
「違ぇよ馬鹿!!」
見えない何かが、人ごみをかき分けていく。配信者がカメラを向け、コスプレ集団が騒ぎ始める。さほど他者に感心がないからか、近くにいた誰かがぶつかって来たのだと誤解していた。
“人ごみで撒く気か!?”
≪追えるか? 『BBB』!≫
“ブブッ!”
伝わるは肯定の意。他の誰もが知る由もないが、どれだけ人に混ざろうと無駄だった。蜂の瞳――『紫外線を見る眼』からすれば、透明マントは逆に目立つ。
『BBB』には――『光学迷彩を使っている場所だけが、くっきりと不自然に、真っ白に見えていた』のだから。
そこだけ絵の具で塗りつぶしたように……はっきりと景色に異常が映っている。同じ光景を見れるなら、誰でも違和感を見つけられる。それほどまでに明確に、そして完璧に『透明マント』を見破っていた。
“集団の一つを抜けた!”
≪見失ったか!?≫
“問題ない! まだ追えている!”
≪俺も急ぐ!≫
確かな手ごたえに、慎はぐっと拳を握った。もうこちらに透明マントは通じない。『飢狼』の思念からも高揚を感じる。やっと見せた僅かなミスを逃さず、ここで怪盗を捕えてみせる! 『Nマスター』と仲間たちが息巻く中、再び相手はコスプレ集団に飛び込んだようだ。
“無駄な事を……! もうその手は通じないぞ!”
≪焦るな! 確実に詰めろ!≫
“フン!”
鼻を鳴らすが、命令には忠実な『飢狼』……『BBB』の追跡もあり、遂に奴を追い詰めたと報告が上がった。
“ここにいるんだな? 『BBB』”
“ブブッ!”
“主、奴が逃走をやめた。美術館の外側、ポスター前で壁を背にしている。実体化していいか?”
あるいは、攻撃の許可と言い換えた方がいい。今にも怪盗に牙を剝く気迫が、慎にも伝わってくる。腹が立つのは慎も同じだが、目的は戦闘ではなく確保。荒事になる前に手錠を掛けれるなら、それがベストだ。お縄につけたら、警察やオッサンに任せた方がいい。少し思案を挟んで、慎は慎重な指示を出した。
≪実体化は一瞬に留めて……奴の『透明マント』を奪ってくれ。まずはツラを拝んでやろうぜ≫
“フッ。それも良かろう!”
追い詰めた『飢狼』が、一瞬だけ実体を持った狼の姿を顕現させる。目に見えない何かを、霊体の『BBB』がにらみつける。動けない何かに対して、『飢狼』はその透明な衣を口で加えて剥ぎとった。
白銀の毛並み、その口元が透明な何かを半端に開いている。獣の牙も、紅く染まった口腔を映すのは……『見えない何かを咥え込んだ』事実を、誰の眼にも示していた。
しかし――その奥にいるのは、如何にも凡夫な老人だった。
あのテレビ映像の怪盗ではない。いや、そんな気配は微塵も感じない。キョロキョロと老人が周囲を見渡す中、近くから誰かの声が聞こえて来た。
「あーっ! やっとおじいちゃん見つけたー!」
「お義父さん……急にフラフラとどこに行ったのです?」
“……どういう事だ”
≪飢狼! とりあえず霊体化!≫
“チッ!”
慎も飢狼も状況が把握できない。だが、一般人に見られるのは危険と判断した。一旦は姿を霊体に変え、遠巻きに様子見に移る。
眼前で広がるのは老いた男性と、小さな女の子とその両親が話し合う光景。急に起きた未知の事態に、一般人が困惑しているように見えた。
「い、いや……急に私を見失ったじゃないか。近くにいたのに、おじいちゃんおじいちゃんって……」
「父! 声は聞こえていたけど、どこにもいなかったじゃない! なぁに? もしかしてボケちゃったの!?」
「失礼な事を言うな!」
「もーっ! ママもおじいちゃんもケンカはメッ!」
「ははは……二人とも、娘がこう言っている事ですし、ね?」
『飢狼』も慎もあっけに取られた。とても老人が『怪盗』に見えず、特に『飢狼』は衝撃を隠せない。『BBB』も同様だが、ある一点を見つめていた。『飢狼』が霊体化した地点……咥えたモノを落とした地点だ。
慎が駆け寄り、そっと手を伸ばす。滑らかな質感の、透明な布地に慎は目を白黒させた。
『おい! どうした!? 何があった!?』
「あ、あぁ……オッサン、悪い。怪盗を取り逃しちまった」
耳元からオッサンの無線が聞こえてくる。確かに怪盗の痕跡は見た。奴から『透明マント』も取り上げた。しかしあの老人は、家族連れの一般人としか思えない。ならば怪盗など存在しないのか? じゃあこの透明な布地は一体?
やっと尻尾を捕まえたと思いきや、手のひらからすり抜けてしまったのか? 混乱を隠せない中、慎はオッサンの指示を待つしかなかった。