入館者たちとの会話
館長の気分は複雑だ。この美術館が設立以降、最大の盛況にも関わらず。
館外は人で溢れ返り、館内も中々に人が行き来している。外と比べて中が少ないのは、美術に興味がないと暗に告げられているようなものだった。そして館内で起きているのも、本来館長が期待していた展開は、一切起きていなかった。
「へー! 美術館なんてあんまり来ないけど、こんな感じなんだなぁ! 雰囲気いいし、視聴者もたまに散歩で来るのも悪くないんじゃない? 如何にも『オレ文化人だぜいイェイイェイ!』って気分も味わえるし? あ、スーパーチャットありがとうピロシキさん!」
『大した作品も展示しておらず』『もしかしたら誰かがアップした写真で流行るかもしれない』と考えた館長は……『館内の撮影禁止』をしていない。動画も生放送も取り放題にした弊害で、今日に限って配信者たちが声を張り上げていた。
おまけに、謎のコスプレ集団まで館内に入りこめば、陽気な人が作る空気に美術館は侵食されてしまっていた。
静謐の中で、瞑想に耽るように芸術品を眺めて欲しい。美術を鑑賞する人間としては、それこそが願いだ。こんなお祭り騒ぎは望んじゃいない。
深く深く、失望混じりに溜息を吐く館長。けれど、これを機に芸術に目覚めてくれる誰かがいるかもしれない。そんな淡い期待を絞り出して、そっと近づいて注意を促した。
「あ、あの……すいません、館内ではお静かに……」
「あ! ごめんなさい本当に!! いやぁ慣れてなくて、テンション上がっちゃって! そうだ! 何かオススメの美術品とかあります?」
「あ、あぁ……その、『ゴッホのヒマワリ』の贋作がですね」
「えー偽物なの? 他のないの?」
「……はぁ」
美術館の館長は若い方。だからネット文化にも理解はある。配信者は『映える』場面を求めているのだ。有名絵画の偽物では、盛り上がりに欠けるのだろう。
違う、そうじゃない。本物か偽物かを気にするのは、その作品に別の価値を見いだしたい人がやる事だ。あるいは、本物である事にしか、意味を感じられない人間のやる事だ。
偽物に失望するようでは……それは芸術を愛するに、最も遠い場所にいる性根なのだ。
それを言っても、分かるまい。溜息の奥にある悲しみと怒りを隠して、館長はもう一度お願いした。
「……ともかく、迷惑になります。声は押さえて頂けると助かります」
「はーい」
人差し指を唇の前で立てて、やっと配信者は声量を抑えてくれた。他にもたくさん、似たような人間がいるが、いちいちスタッフが対応している状況だ。増員した警備員もそちらに回し、怪盗対策は警察側に任せている。
幸い、現段階で騒動は起きていない。私服警官のみならず、通常の警官も巡回員として目を光らせていたお陰だろう。ただの一般人では、いざ法の番人の眼光を受ければ身が竦むものだ。
この環境で、怪盗は盗みに来るのだろうか。本心を語るなら……にわかの美術鑑賞屋より、この美術館に『盗む価値がある』と宣言した怪盗側の方が、館長としては好ましい。
狙いは金ではない。ここの展示品はほとんど価値を持たない。転売目的なら別のモノを狙えばいいし、盗みの名声が欲しいなら大きな美術館を狙えばいい。
犯人は恐らく――『この美術館』か『ここの展示品』で無ければダメなのだ。細かな理由と動機は分からないが、それだけは断言できた。
ロマンチスト……と言われればその通り。しかし美術館館長は確信を持っていた。他にいくらでも選択肢や方法がある中で、この美術館を狙うなら……相応の理由やこだわり、思い入れがある。少なからず『怪盗にしか分からない価値』を見いだしているのだ。
「騒ぐだけの人々より、ずっと好感が持てるのは何故でしょうね」
一番の大罪人なのに、嫌いになれない自分がいる。いっそ譲ってしまっても良いが、タダでくれてやるほどお人よしじゃない。それに……あのキザな怪盗なら、きっと施されるより奪う事を望むだろう。
何に、どう価値を見いだすのか。同じものをどう感じるのか。それを映す鏡こそが『美術』なのだと館長は考える。誰かが見た景色、誰かが感じ取った何か、それを見た自分と他人が、何を感じ、何を見いだすのか。そうして受け取った、感じたモノを、別の誰かが表現し、現実に『芸術』としてカタチを残す。
それを見た人間がまた、何かを感じ新たな芸術を作り上げる。人の身体、人の寿命に限界はあっても、物質に残された思いはいつか伝わるかもしれない。今日この日まで、世界から芸術が途絶えなかったのは……そうした『目に見えない感情の継承』が、美術と芸術を通して、人と人の間に行われてきたからではないだろうか?
(その場を作るのが、美術館の意義だと思うのですが……)
今この場は、とてもそんな空気ではない。館長の感性が『ご立派で場違いな言い分ですね』と、周囲の人間から笑われかねない。そんな雰囲気だ。
自分は、間違っているのだろうか。この感情も思いも、どこにも誰にも伝わる事は無いのだろうか。諦めかけて見上げた先に……贋作のひまわりに魅入る、青い肌と鱗のような皮膚を持つ、奇妙なコスプレ服の男がいた。