第7話:あなたに日影くんは渡しませんっ!
――――三百億円、である。
これは、一年間で起こっている詐欺の被害総額である。
最初は、騙されすぎなのではと疑問に思ったのだが、逆に言えばそれほどまでに彼らのお金に対する執着は尋常ではないということだ。
規模こそ小さいものの、害虫のように世界のあちこちに存在しており、今もなお数え切れないほどに増え続けている。
偽りの会社や名前を名乗り、色々な手口で騙し、バレそうになれば拠点を変えてから、繰り返し人を騙し続ける。
たとえ、捕まっても刑期の相場は、懲役十年以下らしい。
この事実が、人によって長いか短いかでいえば、騙されたときの人生の価値によるところもあるが、僕から言わせれば、かなり短いほうだと思う。
彼らは騙されたほうが悪いと言わんばかりに、何度も繰り返す集団だ。
巧みな話術で人を惑わし、狡猾な手口で金を奪う。
中には、それが悪いことだと気づかずにアルバイト感覚で実行している人も少なくないという。
――――例えば、こんな話をご存知だろうか?
被害者と接触し手渡しでキャッシュカードなんかを受け取る詐欺集団の末端の役割を果たす者――受け子と呼ばれている彼らだが、その殆どが「詐欺に加担しているとは思わなかった」と、泣きながら語るらしい。
無自覚ほど、怖いものはない。
人を騙していることにすら、当の本人は気づいていないのだから。
詐欺師の幹部たちは、その受け子すらも上手く騙し、利用する。
笑顔の裏には悪があるとは、よく言ったものだ。
まさに、現代の「絶対悪」と、言っても過言ではないだろう。
それが、宿命と言わんばかりに他人の人生を崩壊させ続ける。
まるで、人の皮を被った悪魔のような存在だ。
「絶対悪」と言葉では表現したものの、その姿形は様々であり、いかにも顔が怪しい者や身だしなみに気を配っていない者は、三流以下だと黒咲は語る。
一流の詐欺師ほど、見た目に気を配り、常に知識に貪欲であれ。
まさか、この人が詐欺をするだなんて微塵も見えないと思わせること。
それが、一流詐欺師の最低条件だ。
過去に、黒咲と会話をしたときに印象に残った言葉がある。
――――詐欺師の本質は人を騙すことではなく、人に信頼されることだ。
心を開き、最後の最後で騙すか騙さないかの違いだけ。
これが、詐欺師とそうでないものとで分類されるのだ、と。
世界でも常に話題に挙げられる詐欺という商法。
その中心にいるのが、この男。
無数の詐欺手口を発案し、集団に広めている詐欺師界のカリスマ――黒咲右京という人間だった。
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「はぁ……はぁ……っ」
どれくらい走っただろうか。
気持ち的にはウ〇イン・ボ〇トを超える走りをしているつもりだが、普段から全力疾走していないせいか、油断すると今にも足がもつれて転んでしまいそうだ。
それに、息継ぎするときに冷気を吸いすぎたのか、喉が死ぬほど痛い。
もっと鍛えておけばよかったと心底今は後悔をしている。
今にも仰向けで倒れてしまいたい衝動にかられるが、立ち止まったら次はもう動けないと思い、必死に我慢する。
一度興味を持ったらその業界に引きずり込もうとする黒咲の性格は、何度も黒咲と対峙してきた僕が一番よく知っている。
(なるべく、黒咲と早見さんを遠くに引き離さなきゃ……)
そう思い、無我夢中で走った先は何もない平地に辿り着いた。
流石に息が続かず、ゆっくりペースを落としてその場で立ち止まる。
「ここまできたら、しばらくは大丈夫だろう……」
そして、後ろを振り返ると、不敵な笑みを浮かべながら手を振っている黒咲右京がその場にいた。
「なっ!?」
「くくっ、鬼ごっごはもう終わりかな?」
「……ちっ」
(こっちは全力で走っていたのに全く息を切らしてないとか、どこのチートキャラだよ、くそがっ……)
「相変わらず気持ち悪い笑い方をしやがって……。同じ人間かよ」
思わず、悪態をつく。
「色々と鍛えているからねぇ……。さてと」
――――そろそろ、本題を話してもいいかい?
その言葉と同時に、ガラッと雰囲気が変わる。
空気がピリついているのは、気のせいではないだろう。
「ああ、言われなくても大体予想はついている。今後の僕について、だろ」
「半分正解」
「……それから」
(あの人たちのことは、誰よりもよく知っている)
「あのバカ親どもは、とうとう僕を売ったか」
「百点満点だよ。正確には」
――――夜野日影君、君を一億円で買うことになった。
「……そうか」
(あのバカ親どもの傍にいて、いつかこんな未来もあるかもしれないと思っていたら、まさか本当に人身売買の対象者になるとか、本当に笑えないな)
「……驚かないんだねぇ。もっと取り乱すものだと思っていたよ」
「取り乱すかよ。驚くも何もあんたが僕の前に現れた時点で何となく答えはわかっていたからな。逆に、多額の金を払ってまで僕を買ったあんたの気が知れないな」
「他人から騙し取った金だ。俺にとっては小遣い程度さ」
「ちっ、クズ野郎が」
「くくっ、それだけの金であの『夜野日影』が買えるなら安いもんだよ。だって、君はちゃんと雇われたらキチンとその仕事を全うするだろう? そうするしかないよねぇ? だって」
「うるさい」
「そうしないと、君の大切な――」
「黙れよっ!!」
思わず大きな声で叫ぶ。
そんな僕を、肩を震わせて笑っている黒咲。
「くくっ……。ああー、貧乏って辛いねぇ……。今どんな気持ちだい? 惨めかい? 悔しいかい? こんな紙切れ一つで運命が決まるって、面白くて面白くて……っ、ぜひ参考までに聞かせてくれよぉ?」
「……っ」
わかっている、わかっているさ……。
どんな嫌なことでも、僕にはやり通さないといけないことがある。
たとえ、自分の手が汚れようとも関係ないのだ。
僕は、僕のやるべきことをする。
いや、そうするしか選択肢が残っていないのだ。
「……早くしろよ。買われたからには、あんたに使われてやる」
「へぇ……随分、潔いんだね」
「それしか選択肢がない。その代わり、今まで通り、あの約束は絶対に守れよ?」
「俺は詐欺師だけど、その約束については絶対守るさ。守らないと、君に殺されかねないからねぇ」
「それならいい」
「でも、本当にいいのかい?」
「別に……。そういう運命なら受け入れるしかないだろうが」
「くくっ……君は面白いことを言うねぇ」
顎を擦りながら、興味深そうに黒咲は相槌を打つ。
「……なにか、おかしいかよ」
「いやね、言葉と行動がちぐはぐだなぁと思ってねぇ」
「は? 何のことだよ」
「いやね、半ばあきらめて運命を受け入れているのに、どうしてここまで必死に逃げる必要があったのかなーと思ってねぇ……」
「それは……」
「例えば、さっきの子を守る為とかね?」
「おい」
「んー?」
「あの人には、絶対に手を出すなよ」
「おやおやぁー?」
「なんだよ」
「もしかして、彼女?」
「違う」
「じゃあ、友人?」
「違う」
「あー、わかった。もしかして、セフ」
「今すぐ死ね」
「相変わらず口が悪いなぁ……。それじゃあ、一体どういう関係なんだい?」
「あの人は、ただの……」
――――知人。
そういうのは簡単だったが、なぜかその言葉が出てこなかった。
昨日会ったばかりなのに、あそこまでしてくれたあの子に知人という枠に組み込むことがどうにも違和感があったからだ。
改めて問われると、どういう関係なのだろうか。
ただの知人ではない、かといって友人でも恋人でも、もちろんない。
どの言葉が一番しっくりくるだろうか。
そうだな……。
彼女との関係を言葉にするなら……。
(……ああ、そうか)
一瞬、彼女の笑いかける笑顔が脳裏によぎる。
僕は、大きな風が吹き抜けると同時に黒咲にその答えを伝える。
「……――――だ」
その答えが明確かどうかは、わからない。
そもそも、僕自身もそれが本当なのかどうかもわからないのだ。
けれど、言葉にするとそれは意外としっくりくるもので……。
そう自然と答えられた僕自身も、正直驚いていた。
その言葉に、腹を抱えて笑い出す。
「あはははははははっ!!」
「……」
「君の口からそんな言葉が出るだなんて、ますます興味が出てきたねぇ」
「自分で言いながら、僕自身も驚いているよ」
「……でも、色々と遅かったねぇ」
「いいさ、あの約束さえ守ってもらえるなら僕はそれでいい。今日から僕はあんたの奴隷だ、好きに使え」
「いいねぇ、その卑屈っぷり。じゃあさっそく俺のところで働いてもら」
「――――ちょっと待ってくださいっ!」
息を切らしながらその声は、背後から聞こえてきた――――。
――――そして、その声の主は僕の前に立つ。
「おやおやぁー? 面白くなってきたねぇ」
その姿は、長く手入れされた綺麗な銀色の髪――――。
――――日本では珍しい、群青色の瞳。
「なっ!? なんで、あんたがここに」
誰が見ても美しく、可憐な銀髪の美少女――――。
――――彼女の名は……。
「私の名前は早見白雪ですっ! あなたに日影くんは渡しませんっ!」
その声は、熱意と情熱に満ち溢れ、奥深くまで僕の心に響き渡ったのだった……。