第5話:『白雪姫』の来訪
――――十二月。
この街の寒さには慣れていた。
空から降る雪も、頬を刺す冷たい風も、煩わしいと思うことはあっても忌み嫌うことは決してなかった。
当たり前のように受け入れ、またこの季節がやってきたのだと思っていた矢先、昨日の出来事が起きたのだ。
人生、何が起こるかわからない――とはよく言ったもので、当たり前だと思っていた日常が一瞬で壊れる様を身をもって体験した。
よくよく振り返ると、内容の濃さでいえばかなりのものだと思うが、時間にしてみれば、まだ一日も経っていない。
スペインの作家『ドン・キホーテ』の小説で名が知られる、ミゲル・デ・セルバンテスはこういった言葉を残している。
――――どんな困難な状況にあっても、解決策は必ずある。
救いのない運命というものはない――――。
彼の言葉を借りるなら、この困難すらも解決できる策があるということ。
救いのない運命がないのだとすれば……。
(……彼女に出会い拾われたことにも、きっと意味があるのだろうか?)
そんなことを思いながら、喫茶店『月の兎』のドアを開いたのだった……。
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「またあとで、必ず声を掛けますからねっ!」
「ん、色々と悪いな」
「ふふっ、それは言わない約束ですよ?」
学生服に身を包み、自分の唇に人差し指を当て可憐に笑みを浮かべる彼女の姿を見て、早見白雪という女の子が僕と同じ学園の生徒だと実感する。
そう言って、早見さんとは喫茶店『月の兎』を出てから、一旦別れた。
さっきまで、一緒に行きましょうと誘われたのだが、流石に首を横に振って遠慮しておいた。
神楽学園の生徒会長といきなり一緒に登校だなんて、ハードルが高すぎる。
(……それにしても)
喫茶店『月の兎』が、学園の徒歩圏内にあったのは助かった。
徒歩で通うとなると、三十分くらいの位置。
電車やバスで行った方がもちろん早いのだが、現在の所持金は一万円のみ。
ギリギリ無一文というわけではないが、一切の無駄遣いは出来ない身だ。
日給で貰える工事現場で働いておいたのが、不幸中の幸いだった。
できるだけ、ここは節約しておきたい。
それに、早見さんが衣食住に必要な拠点も提供するとは言っていたけれど、いつまでもというわけには、流石にいかないからな。
できるだけ早くお金を貯めて、自立しよう。
あのロクでもない両親のことだから、色々と考えての計画だろう。
この先、何が起きてもおかしくない状況なのは変わりない。
(考えれば考えるだけ不安は尽きないが、今考えていても仕方がない)
起こるかもしれない未来を想像して不安を募らせるより、今この瞬間をどう生き抜くかのほうが大事だ。
(とにかく行動あるのみ、だな……)
そうこう考えているうちに、神楽学園の門までたどり着く。
そして、日影はその門をいつも通りにくぐり抜けたのだった……。
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「――――以上、ここはテスト範囲に出るから必ず勉強しておくように」
その言葉と同時に、チャイムが鳴り響く。
ようやく、四限が終わった。
すると、一気に教室内は弛緩した空気になり、喧騒に包まれていく。
そういう僕も、グッと背伸びをしながら教室内を見渡してみる。
その光景は、いつも通りの日常だった。
チャイムと同時に教室を出て、ダッシュでパンを買いに購買部に向かう者。
ガタガタと机をくっつけてグループで弁当を取り出して食べ始める者。
中には、携帯を取り出し連絡を取る者や勉強を始める者だっている。
十人十色、僕も含めてそれぞれが日常のワンシーンの一部となったいた。
――――そして。
「日影は、今日も飯抜きなのか?」
ニコッと笑いながら隣の席の級友、もとい腐れ縁である浜辺太陽がクラスでも目立たない僕に喋りかけてくるのも、いつも通りの日常だった。
栗色の髪に、整った顔立ち。
学園でも『王子様』なんて呼ばれたりしているみたいだが、入学当初からずっと僕に絡んでくる。
きっかけは、なんてことない。
学園の入学式に来たのはいいが、あまりに広すぎる学園内で迷い、たまたま浜辺太陽と鉢合わせした。
そして、|二人で数々の困難があった大冒険《学内をただ歩いただけ》を乗り越え、先生にこっぴどく怒られた。
ただ、それだけだ。
それからは、こうして太陽から話しかけてくれて、何だかんだで付き合いが続いている。
「当然だ、ご飯を食べると胃の消化で午後の授業が眠くなるからな。折角の授業なのに、そういう状態で受けたくないんだ」
「真面目だねぇ」
――――私立、神楽学園。
全校生徒、四千人以上。
今もなお増え続けているとされる、国内でも最大の生徒数を誇る学園。
いわゆる、マンモス校というやつだ。
専門分野の勉強ができ、数多くのエリートを輩出しているということで、とても人気がある今世界でも注目を浴びている学園だ。
制服の色は、生命を感じさせる赤色。
学年順に、男子はネクタイ。
女子はリボンの色が違うのが特徴だ。
一年生は黄色、二年生は赤色。
三年生は青色だ。
他校と比べると、かなり目立つ制服なのだが、凄いのはそれだけではない。
この学園の特徴は、とにかく専門分野の学科が多いのだ。
芸術、音楽を専門とするピアノ科や美術科。
テクノロジーを中心としたITデザイン科やプログラミング科などが例に挙げられる。
他にも調理科、社会福祉科、体育科など様々あり、これからの社会に役立つであろう科目ばかりだ。
一つの学園に専門学科をあるだけ突っ込んだようなとこだし、当然だろう。
教員も数百人いて、課目によってそれぞれプロの専門分野に分かれている。
僕も二年間近く通っているが、初めて見る教師も少なくない。
「それにしても」
「ん?」
「『白雪姫』は、相変わらずの人気だよなぁ」
「なんだ、突然……。童話の話か?」
「この話をして全く知らないでいるのは、日影くらいだと思うなー」
「おいおい、白雪姫と聞いたら童話しかないだろ。あの憎き王妃を最後は真っ赤に焼けた鉄の靴を履かせて、死ぬまで踊らされたって話は有名じゃないか」
「え、そんな話なのか!?」
「逆に、どんな話だと思ってたんだよ……」
「毒林檎を食べて死んだ白雪姫に王子様がキスしてわーいって生き返って、都合のいいハッピーエンドだなって思ってた……って、そうじゃなくてさ!」
「……ん(一瞬、太陽の闇を感じた)」
「うちの学園で大人気の『白雪姫』だよ」
「知らないな」
「だよなぁ……」
「珍しく回りくどいな。その『白雪姫』がどうかしたのか?」
「じゃあ、遠慮なく聞くけど」
「ああ」
「――――その『白雪姫』がここにきて、俺らのところに目を向けて手を振っているんだが、何か心当たりはあるか?」
「…………は?」
そう言って太陽は、人差し指で教室内の入り口に立っている『白雪姫』とやらがいる場所を指さす。
目を向けると、確かにここに向けて手を振っている『白雪姫』はいた。
「……あー」
「では、日影さん。答えをどうぞ」
「……悪い、知らないこともなかった」
「おいおい、マジかよ」
その姿に、確かに見覚えがあった……。
長く綺麗な銀色の髪。
宝石のように綺麗な群青色の瞳。
可愛いらしさを兼ね備えつつ、どこか守ってやりたい保護欲もそそられる。
そんな『白雪姫』が、こちらに向けて無邪気に笑いかける。
すると、どうなるか……。
答えは、言うまでもないだろう。
「えっ、白雪姫が何でこの教室に!?」
「今日もお美しい……。流石、学園一の美少女なだけはあるな」
「ままま、まさか、とうとう『王子』の太陽君と!?」
そして『白雪姫』は、周りのどよめきなんか気にすることなく、空気も読まずに大きな声で、とんでもない爆弾発言をさらに落としたのだ。
「――――日影くーんっ! お弁当、持ってきましたーっ!」
「「「え、えぇぇぇぇぇぇぇぇ~っっ!?」」」
「なぁ、日影」
「……なんだよ」
「俺、ちょっとトイレに」
「頼むから、ここにいてくれっ! 僕を見殺しにする気かっ!?」
無邪気な笑顔で弁当持って近づいてくる白雪姫こと――早見さん。
目を見開き、僕に視線を送るクラスメイト。
「……はぁ」
この場を、どう乗り切るか――――。
そんなことを考えながら早見さんに「ありがとう」と、呟かざるを得なかったのだった……。