第4話:改めて自己紹介ですね、日影くんっ!
「……はぁ」
(どうして無防備に隣で寝るかな……この人は)
こんな至近距離から女の子見たのは、初めてだった。
雪のように白い肌に、艶を帯びた桜色の唇。
鼻を擽る苺ショートケーキのような、仄かな甘い香り。
寝ているからか、全く警戒心を感じない。
そして、僕の片袖を大事そうにギュッと握る姿は、なんとも可愛いらしい。
見ていると、緩み切った可愛いらしい表情が自然と僕の頬を緩ませる。
銀色の綺麗な髪が僕の頬を擽り、少しだけくすぐったい。
わかりやすく言うなら、可愛い。
しかも、ただの可愛いではない。
可愛いに可愛いを掛けて、さらに何十倍にしたレベル。
可愛いは、正義。
自分でも何を言っているのかわからないが、つまりそういうことなのだ。
恋愛感情とかそういうのではなく、例えるなら……そう。
(猫みたいな愛玩動物が可愛いの感覚に近いな、うん)
歴史を紐解けば、これは仕方のないことなのだ。
古代エジプト人がその神秘的な魅力で人を虜にしたとされる猫だが、歴史でも深く愛されたその猫にも引けを取らない早見さんのこの可愛いらしい姿は、きっと誰もが心癒されることだろう。
名づけるなら、そう……。
マイナスイオンならぬ、シラユキイオンというところだ。
可愛いは正義=シラユキイオン。
うむ……。
これが、可愛いの最終定理。
フェルマーの最終定理にも勝るとも劣らない、完璧な定理の完成だな。
これで僕も一躍有名な人へ……って。
「バカかよ、僕は」
一人で、思わずツッコんでしまう。
思わぬ出来事で、頭がいつの間にかおかしな方向にいっていた。
これも、シラユキイオンの力なのか……。
恐ろしいな、おい。
(それにしても……)
冷静に考えて、この状況はおかしい。
僕が寝ているソファーに寄りかかっている姿からして、大方寝ている僕を待っているうちに寝てしまったというオチだろうが、それにしても警戒心がなさすぎだ。
万が一にも手を出すことはあり得ないが、昨日会ったばかりの男の前だぞ。
あまりにも無防備すぎるから、もう少し気をつけてほしいものだ。
……仕方ない。
ため息交じりに、僕は耳元で声に出して彼女を起こすことにする。
「おい、起きろ」
「あと五……」
「五分は長いからダメだ、五秒で起きろ」
「年」
「長いなっ!?」
「んぅ……ひ、かげくん?」
僕の名前を呼ぶと同時に「んっ……」と掠れた甘い声が漏れる。
目の焦点が上手く調整されず、視界がぶれているのだろう。
群青色の瞳が日影のいる目の前を、何度も瞬きしながら見つめてくる。
その姿は、警戒心が全くないどころの騒ぎじゃない。
きっと、まだ夢の中にいるんだと勘違いしているかもしれない。
じゃないと……。
「えへへっ……」
――――こんな可愛らしくふやけた笑みを、僕の前で溢すわけがない。
「っ」
その表情を見て、何とも言えないむず痒さを覚えてしまった。
(っ、なんて顔してんだよ……)
自分の顔がみるみるうちに赤くなるのを感じ、空いているもう片方の手の甲で、自分の口元を思わず隠す。
そういう早見さんはというと……。
ようやく、頭がハッキリ覚醒したのだろう。
目を何度も瞬きさせて、首を傾げていた。
「……あれ、いつの間にか寝てしまって……へ?」
目の前の僕を見つめてから、ようやく今の状況を把握したらしい。
そして、今も握っている僕の片袖を見て、カチコチに固まった氷のように早見さんは硬直してしまった。
「おはよう」
「おはよう、ございます……?」
「それで」
「……は、はい」
僕はため息をつきながら、挨拶ついでにこの言葉を贈ることにする。
「今夜は、寝かさないぞ、だっけ?」
「~~っ!?!?」
前日に自分で言った言葉を思い返し「ううっ……」と唸り、頬を赤らめて羞恥に身悶えながら、ぷるぷると震えている。
「あんたが寝てどうするんだよ。警戒心なさすぎだぞ」
「うぅ……。気持ちよさそうに寝ている日影くんを見ていると、つい……」
苦笑いしながら頬を掻く姿を見て、そもそも僕が寝床を借りたせいでもあるし、寧ろ感謝しなきゃいけない立場だとすぐに思い直し、話題を変えることにする。
「寝床を貸してくれて助かったよ。ありがとう」
「あ、いえいえっ! ゆっくり休めましたか?」
「ん、久しぶりに気持ちよく寝れたよ。毛布の偉大さを改めて知ったとこ」
「それはよかったです……って、ん? 毛布の偉大さとは一体何のことでしょうか?」
「気にするな」
「でも」
(……バスタオルを毛布代わりにして寝てたんだ、なんて流石に言えない)
「さて、これからのことなんだが」
「あ、そうでしたねっ!これからどうしましょうか?」
「っと……。ちょっと、そこの机を借りるな」
心配そうに見つめる早見さんに申し訳なさを少しだけ感じつつ、ソファーから立ち上がり、置いてあったカバンの中からペンとメモ帳を取り出す。
「ペンとメモ帳?」
「頭で考えていても、埒が明かないからな。問題をまずは文字化することから始めるんだよ」
「へぇ……。私も見ていいですか?」
「ああ、別にいいよ。なんも面白くないと思うけど」
「いえいえ、お気になさらずに」
「じゃあ、遠慮なく」
そう言って、僕は頭の中にある考えていることを殴り書きでメモをした。
(まずは、借金が一億円あるという事実。これはいったん排除する)
一億円をどうにかするには、ただ働いても今の僕には途方もない額だ。
現状この問題は、今の僕にはどうしようもない。
借金を返すためにまずは、地盤作りから始めないといけない。
食費に衣服の調達など、問題は山積みだ。
だが、最優先で今この瞬間必要なのは、衣食住が可能な拠点だな。
流石に公園で寝泊まりや漫画喫茶に居続けることは現実的ではない。
……よし、決めた。
まずは「拠点」を探すことにしよう。
これをどうにかしないことには、話にならない。
そう思い、僕がペンを机の上に置くと、隣で見ている早見さんは「衣食住が可能な拠点探しですか……」と呟く。
「ああ、この問題を解決しないことには先に進めないからな」
「あの、一つ提案なのですが」
「ん?」
「この場所を使えば、衣食住の問題も解決しませんか?」
「いやいや、ダメだろ。それは」
僕は、早見さんが何を言っているのか全然理解が出来なかった。
言葉そのものが理解できていないわけではなく、昨日会ったばかりの男に対して、いきなり住まわせるという選択肢が出てきて、何故僕にそれを与えたのかという、行動思考が理解できなかったのだ。
「かなり名案かと思うんです。だって、幸いこの部屋は殆ど使っていないですし、この喫茶店でアルバイトという形で私と一緒に働けますから、何かとフォローができますよ?」
「いやいや、だから」
「それに、賄いも出るので食費も殆ど浮きます」
「っ、昨日会ったばかりの男をここに一日泊まらせただけでも問題なのに、そこまで迷惑をかけるわけにはいかんだろ……。それに、僕みたいな厄介者を置いたらこの店に迷惑がかかるぞ」
「あ、その辺は私に任せて下さい。ここのマスターである幹久叔父さんにも、このことを伝えてありますので」
「おいおい、それって……」
「はいっ!日影くんさえ良ければですが、この喫茶店『月の兎』を拠点にしばらく動いていくっていうのはどうでしょう?」
「それは、大いに助かるが……。どうして……」
(……そこまでするんだろう?)
その疑問だけが、僕の心に残る。
その表情を読み取ってか、微かな笑みを浮かべながら。
「ふふっ、それはですね――――」
そう言って、早見さんは突然立ち上がる。
そして、身に覚えのある赤色のブレザーをカバンから取り出し、身に纏ったのだ。
「……あんた、それ」
それは僕と同じ制服の色だということに、思わず目を見開く。
「はいっ!日影くんの通っている神楽学園の生徒会長だからですよっ!」
えっへんと胸を張り、自慢げに胸を張る早見さん。
「……全然気づかなかった」
「改めて自己紹介ですね、日影くんっ!」
――――神楽学園二年、生徒会長の早見白雪ですっ!
彼女が満面の笑みを浮かべた、その瞬間――――。
吹き抜ける隙間風が、彼女の銀色の髪を大きく靡かせた。
「これから、よろしくお願いしますっ!」
「あ、ああ……」
こうして、僕の日常はどんどん変わっていくのだった……。