第3話:今夜は、寝かさないぞ?
――――翌日。
瞼を通して透かす朝の眩い光が、夢現な日影の意識をクリアにする。
眉間に皺を寄せながら目を開けると、そこは知らない天井だった。
「っ!?」
日影は一瞬で飛び起き、室内をきょろきょろと見渡す。
六畳ほどの広さがある洋室の部屋。
広めのソファーを借りて、さっきまで自分がここで寝ていたことを認識する。
目の前には、丸形の模した木彫りの机。
その上には昨日僕が飲んだカップが一つ。
微かに香る珈琲の匂いがまだ残っていた。
時間にすると、二~三時間くらいだろう。
(……ん、だんだん思い出してきた)
ここは、早見さんの叔父さんが経営している「月の兎」という喫茶店だ。
知らぬ場所じゃないことを確認し、ホッと一息つく。
その後、目を閉じて大きく深呼吸をする。
冷静に……。
俯瞰的に自分の状況を見て、整理することにした。
昨日までの出来事をまとめると、こうだ。
・一億円の借金を両親に押し付けられて、僕はホームレス高校生になった。
・公園で謎の銀髪美少女、早見白雪と出会う。
・話しているうちにいつの間にか、他人から知人の関係になり、今に至る。
所持金は、日給アルバイトで稼いだ一万円と小銭が少々。
持ち物は、学生の制服くらいか……。
目を開け、自分の置かれている状況の整理を終える。
それと同時に、ついため息が漏れる。
(これから、どうするかな……)
昨日は色々ありすぎて、何が何だかというのが正直な感想だ。
時は、数時間前に遡る……。
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「――――というわけで、晴れて僕は一億円の借金を抱えたホームレス高校生になったというわけだ。つまらん話をして悪かったな」
「いえ……」
早見さんは、下を向いて俯いている。
端的に、今置かれている状況を説明した。
言うまでもなく、両親との関係性やその他の事情は話していない。
あくまでも、知人としてなら教えてもいい程度だ。
それだけでも「両親に捨てられた挙句、一億円の借金をさらに押し付けられて困ってます」などと話を聞いたあとなら、誰でもその関係を切ろうとするだろう。
理由は、明白だ。
関わるメリットよりも、デメリットがあまりにも多すぎるから。
逆の立場なら迷うことなく、僕はその関係を切る。
だから、彼女も同じ行動をするものだと、この瞬間までは思っていた。
「あのですね、日影くん」
「まぁ、なんだ。そういうことだから」
――――遠慮なく、この場から立ち去ってくれて構わない。
そう言って、僕は早見さんを見ながら、早々に立ち去るのを待つ。
すると、一分ほどの沈黙を置いた後、彼女はゆっくりと口を開いた。
「……大変でしたね、日影くん。それに」
――――弱音を吐かずに一人で何とかしようとしたこと、本当に尊敬します。
「……は?」
(……この子は一体、何を言っているんだろうか?)
「普通なら心が折れてもおかしくない状況ですが、ちゃんと『これからどうするか』を考えているんです。だから、日影くんは凄いなって思いました」
「いやいや……。僕の話、ちゃんと聞いてた?」
「勿論」
「だとしたら、何考えてんだ……。ここで使う正しい言葉は『頑張って下さい、さようなら』が普通だろう」
「むっ……。あなたは私を何だと思っているんですか?」
「変人」
「即答ですか……。まぁ、否定はしないですけど」
(否定しないのかよ……)
わざとらしい膨れっ面な表情で、僕に態度で言い返している。
呆れて、ため息交じりに言葉を返す。
「あのな……。一億円の借金を抱えたホームレス高校生なんですなんて聞いたら、普通に考えて避けるべき人間だろうが」
「でも、日影くんは困ってますよ?」
「いや、だから……」
「それにですね、一人より二人で考えた方がもっといいアイデアが浮かびますよ。だから、一緒に解決できる方法を探しましょう!」
「っ!?」
驚いて、開いた口が塞がらない。
「どうかしましたか? 随分驚いた顔をしてますが」
「いや、普通に驚くだろ……」
「そうでしょうか?」
「……はぁ。あんた、変人すぎ」
「両親からもよく言われます、えっへん!」
「それ、絶対褒めてない」
「えへへっ……。照れますね」
「照れるところでもないからなっ!」
「とりあえず、細かいことは明日一緒に考えるとして今日はもう遅いですし……。一先ず今日は、あそこで一晩乗り切りましょう!」
そう言って指差したのは、公園の入り口を出たところに位置する赤レンガ風に塗装されているレトロな雰囲気の佇まい。
看板には「月の兎」という、如何にもという感じの喫茶店をイメージした名前の店があった。
「ついてきてください」
そう言って、雪のように白く細い指が僕の手を包み込む。
内心ドキリとするも、突然のことで頭が上手く回らない。
「お、おい……。一体何の真似」
「いいから、いいから」
「っ、顔に似合わず、なんて強引な」
「それに、男性の皮を剥くときは優しく丁寧にと、ママから教えられてます。私も未経験なので少し緊張しますが、痛いのは最初だけみたいなので、頑張りますねっ!」
「なっ!? あんた、ほんと何言ってんの!?」
「え、何って……。日影くんの指のささくれをどうにかしようかと」
「あ、ああー……そういう……」
「ふふっ、顔真っ赤にしていますが、何を勘違いしていたんですか?」
「っ!? いや、別に……」
「まぁ、私も処女なので、実際はわかりませんけどね」
「まさかの確信犯かよっ!?」
「早見流、ちょっとエッチな話題でした……~っっ」
「照れるなら、最初からするなよっ!?」
「日影くんをからかってこの場を和ませようとしたんですが、同級生の男の子と会話するのは、あまり慣れてないもので……えへへっ、失敗です」
「まぁ、内容がどうあれ。気持ちはありがたく受け取っておくよ……」
「ど、どうもです……」
「……(き、気まずい)」
「あ、あのですねっ!」
頬を真っ赤に染めながらも、早見さんは誤魔化すように説明をする。
「ここは、私の叔父さんが出してる喫茶店『月の兎』です。明日と明後日はたまたま定休日なので、誰も来ません」
「そうなのか……。それで、どうして僕をここに連れてきたんだ?」
「今のお話を聞くところ、日影くんは今家がないんですよね?」
「そうなるね」
「ちなみに、どこで寝るつもりだったんですか?」
「さっきの屋根付きベンチだけど」
「はぁ……。だと思っていたので、今日はここを提供します」
「は?」
「日影くん」
そして……。
早見さんは、得意気な顔でウインクをする。
「――――今夜は、寝かさないぞ?」
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――――というわけで。
早見さんの善意で、喫茶店にある休憩室を借りて一日泊ったというわけだ。
あの後、初めて知り合った人に無料で部屋を貸すなんて何考えてんだよと注意したら「私と日影くんはもう知人なんだから、助けて当然です。逆に、凍死体で君が見つかっただなんて朝のニュースで言われたら、私が真っ先に疑われて、逆に迷惑ですから」と真顔で言い返されては、何も言い返せなかった。
なら、初めから声を掛けなきゃよかったのでは? と思ったのだが、如何せんホームレス高校生になったばかりの僕では、あまりに発言力がなさすぎるのだ。
反論してもきっと論破されるだけなので、すぐに諦めた。
(……それにしても)
「毛布なんて、何年振りだろうか……。開発した人は天才だな、うん」
(酷い時は、新聞紙だったからなぁ……)
ホームレス高校生になる前は、バスタオルを毛布代わりにしていた身だ。
本物の毛布に包まれて眠れた幸せに、日影は密かに感動していた。
将来は絶対毛布を被れるようになろうと心の底から決意したあと、壁に設置されている時計を見ると、午前六時の針を回る前だった。
(もう少しだけ、この温もりを堪能しよう……)
そう思い、再び毛布に包まり目を閉じて眠りにつく。
そして、日影は夢の世界に旅立っていった……。
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さて、こんな言葉を知っているだろうか。
一難去って、また一難――――。
意味は、言葉の通りだ。
一つの災難が過ぎてほっとする間もなく、また次の災難が起きること。
まさか……。
起きて早々に、こんな状況が待っているだなんて、誰が予想できただろうか。
「んっ……」
「…………(おいおい、勘弁してくれ)」
――――くぅ、くぅ、と……。
隣で可愛らしく寝息を立てている早見さんの姿が、僕の目に映ったんだ……。