第2話:この感情の正体を、僕はまだ知らない
「そんなところにずっといると、風邪を引きますよ」
近所にある公園のベンチに座ってこれからどうしようかと途方に暮れていた夜野日影が彼女――銀髪の美少女と出会ったのは、雪の降る夜だった。
僕の頭の上で真っ赤な傘を差し、心配そうに見つめている。
どうやら雪から守ってくれているらしい。
視線を上げ、公園に設置されている時計の針を見る。
すると、深夜一時を回っていた。
(いつの間にか、随分時間が経っていたようだ……)
雪が降っているのに傘も差さずにいる僕を見かねて、声をかけてきたのだろう。
不意に、こんなことを思った。
漫画や小説ならこの後はどういう展開になるのだろう、と。
――――例えば、こんなのはどうだろうか?
異世界に転移して世界を救ってもらいますみたいな流れから、理論もクソもない神の力とやらで、異世界に転移して世界を救ってみたり……。
――――はたまた、こういう展開もありじゃないだろうか。
目の前のこの子がいいとこの社長令嬢で、これから私の執事になって働いてほしいみたいな展開になって、何だかんだで幸せに暮らしたり……。
……。
どちらにせよ、非現実的な話なんだが。
わかっているのだ。
現実は、そう甘くはないのだと。
本音を言えば、こう思う。
――――同情するなら、金をくれ。
有名なドラマの名台詞だ。
今の僕を表すには、言い得て妙だと思った。
高校生でホームレス。
名付けて、ホームレス高校生。
なってみるとわかるが、本当に笑えない。
現代の日本において、まさか学生でありながら一億円の借金をいきなり抱えて『家なき子』として路頭に迷うことになるとは思いもしなかったのだ。
(……それにしても)
「……あの、大丈夫ですか?」
さっきから声を掛けてくれる美しく可憐な銀髪の少女を見る。
長く手入れされた綺麗な銀色の髪に、日本では珍しい群青色の瞳。
透き通った真っ白な肌は、まるで雪のようだった。
名も知らない少女を、僕みたいな底辺な人間が評価するのもどうかと思うが、かなり目を惹く容姿なのだ。
そんな彼女がこうして声を掛けてくれる。
行動からして心がとても優しい人なのだろう。
こうして知らない男に傘を指してくれるくらいなのだ。
とても勇気のいることだと思う。
――――借金一億。
改めて漢字で並べてみると、四文字熟語みたいだ。
だが、そんな冗談すら言えない程度には、そこそこ重い話だ。
実は――と、ここは目の前の少女に助けを乞うのが普通なのだろう。
だが、迷惑を掛けるわけにはいかない。
中途半端な優しさや同情は時として、最悪の結果を生む。
出会いから物語が始まり、いい方向に進むのは小説やドラマの中だけ。
それが、現実だ。
一億円の借金を抱えたやつを、誰が救えるだろうか。
傍からみたら厄介者以外の何者でもない。
人は絶望に立たされた時、救いを求める。
出会いを求め、助けを乞い。
みっともなく縋りつく。
……そして。
この出会いが運命を変えたという、甘美な響きに皆騙される。
自分の人生に勝手にドラマを与え、夢物語を作り出す。
僕は、思うのだ。
――――くだらない、と。
弱いから、人はよく群れるのだ。
皆、自分を守ることに必死なのだ。
心の内を。
本音を隠し。
仮面をつけて生きている。
そんな人生を生きるくらいなら、死んだほうがマシだ。
自分の感情が不安定になり、勝手に裏切られた気になる。
他人に期待するからいけないのだ。
自分を貫かずして、何が人生か。
貫けないなら、最初から物語なんて始めなければいい。
初めから期待しなければ傷つくことも、感情が揺れ動くこともない。
だから――――。
この言葉で、僕はこの出会いを終わらせることにした。
「他人のあんたには関係ない。勝手に人の事情に首を突っ込むな」
できるだけ冷え切った目を演出してみせた。
思い切り。
それでいて、突き放すように……。
その暖かな優しさを踏みにじる形で、彼女に言葉を紡ぐ。
すまない。
と、内心は思いつつ僕は言い切る。
すると、一瞬驚いた表情をするものの。
すぐにニコッと笑いながら口を開いた。
「ふむふむ、なるほど……。『他人のあんたには関係ない』ですか、そうきましたか……」
そう言いながら、何を考えたのか。
自分の首に巻いていた赤色のマフラーを外して僕の首に優しく巻いてくれる。
淹れたてのコーヒーのような。
優しい香りが僕の鼻を掠めた。
「おい」
「寒いですので、よかったら」
「あ、寒かったから助かる……じゃなくてだな。一体何の真似だ?」
「まずは、お互いの自己紹介からしましょうか」
「……(無視かよ)」
「私の名前は、早見白雪って言います。高校二年生です」
「あのな」
「特技は、ピアノと勉強ですっ!」
「……はぁ」
「……(ニコニコ)」
「人の話を聞かないことも特技に入れた方がいいんじゃねーの」
「ふふっ、そうですね。それで、あなたの名前は?」
「……(皮肉が通じねぇ)」
「どうかしましたか? もしかして、記憶喪失だとかっ!?」
「そんなわけねーだろっ! ……僕は夜野日影。あんたと同じ学年らしい」
「ふふっ、教えてくれてありがとうございます。日影くん」
「いきなり下の名前かよ……」
「嫌ですか? それなら私のことも、白雪でいいですよっ!」
「……それで、早見さんは、一体何のつもりなんだ?」
「ふふっ、捻くれてるなー。日影くんは」
「ほっとけ」
「ほっとけません」
「なんでだよ」
「これで私たちの関係は他人じゃなくなりましたから」
「……は?」
「先ほど日影くんが言った『他人のあんたには関係ない』という言葉を、私は『関係ある』に今変えましたっ!」
得意気な顔で自信満々に胸を張っている。
確かに、互いの自己紹介を終えて他人ではなくなった気がするが……って、いやいや、流されてどうすんだよ……。
「だからって、人様の事情に首突っ込むなよ」
「私、知人が困っていたら助けないと気が済まない性分なんです」
「なにその無駄にヒーロー思考な考え方は」
「将来の夢は、立派なヒーローになることです」
「……余計なお世話ができないと、ヒーローにはなれないらしいしな」
「ふふっ、そうなのですっ!……コホンッ、私が来た!」
「あ、そう」
「……あ、あれー? もしかして私、今見事に滑りましたっ!?」
「ん(元ネタは知ってるけど)」
「すみません、リテイクで(人差し指を立てながら)」
「じゃあ、最初からするなよ……」
「今のは、日影くんが悪いです」
「理不尽すぎる……」
「だって、日影くんのことが心配なんです。信じてください」
「っ、あのな」
「本当、ですよ?」
「……」
「だから、その……ですね」
――――よかったらお話、聞かせてくれませんか?
先程までの雰囲気とは打って変わり……。
真剣な眼差しで、僕の顔をジッと見つめる。
好奇心とか興味本位ではなく、ちゃんと覚悟を持って聞く姿勢の表れだった。
……。
ここまでされると、拒否するのも憚られる。
これ以上拒否しても逆に話すまでずっと聞いてくるだろう。
何を言ったところで、ずっと付きまとわれてもこちらが困る。
……まぁ、なんだ。
理由を知れば、この子も臆してどこかへ行ってくれるだろう。
(……それに、そっちのほうが効率がいいしな)
そう判断した僕は、ため息交じりに両手を広げて降参の意思を伝えた。
「……後悔しても、僕は知らないからな」
「っ!? ありがとうございますっ!」
「どうして早見さんがお礼を言ってんだか……」
「ふふっ」
「ん? どうかしたのか?」
「いいえ、早見さんって呼んでくれたのが嬉しくて」
「っ、一応知人なんだろ……。知らんけど」
「はいっ! 日影くん」
僕の名前を呼びながら、慈しむように口許にそっと弧を描く。
その姿を見て、自分の顔に少し熱を帯びてきているのがわかった。
気づかれないように、目を逸らしながら口元を覆い隠す。
(……彼女に巻かれたマフラーのせいだろうか?)
この感情の正体を、僕はまだ知らない――――。
――――これが、僕と彼女の出会いだった。