スティハーン公爵の思案
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闇が空を覆った日の昼下がり、ライラッカ国のルーポロンド城で職務に当たっていたスティハーン公爵の元に一通の文が届いた。
瞬間魔法で届けられたそれに目を通した公爵は、眉間に深い皺を刻むと急ぎ公爵低へと帰宅した。
屋敷に戻ると、困惑顔をした妻のトゥ―ナが公爵を出迎えた。
その顔にいつもの笑みはなく、彼女も事態が呑み込めていないことが伺えた。
トゥーナに促され客間へと足を向ければ、ライラが通う学び舎の師だと言う者達が数名、難しい顔をしながら何かを話し合っていた。
「お待たせして申し訳ない。私が当主のヴェルディ・トルク・スティハーン公爵だ。挨拶も早々に申し訳ないが、事の詳細をお聞きしてもよろしいだろうか?」
公爵の入室と共に立ち上がり頭を下げようとした師の面々を手で制し、挨拶も早々に公爵はそう口を開く。
屋敷にいたトゥーナから届けられたであろう文には、娘のライラが精霊との契約中に意識を失ったこと、高位精霊と契約を結んだ可能性があることなどが簡素に書かれていた。
その内容だけならば眉を顰めるぐらいで終わったかも知れないが、トゥーナが契約精霊の力を借り瞬間魔法で文を届けてきたことに緊急性を感じ取った彼は部下に向かい少し出てくると声をかける。
ルーポロンド城の職務室で仕事に当たっていたスティハーン公爵はこの時、まだことの大きさを知る由もなく倒れた娘への体調だけが気がかりだった。
職務室から一歩外に出れば城内の騎士団達が慌ただしく動き回る様に何事かと思いはしたもの、屋敷から届けられた文に気をとられていた公爵は特に気にとめることもなくその場を後にしたのだ・・・・・・っが、城を出た瞬間に言葉を失った。
まだ昼下がりだというのに、空には一寸の光さえ差し込むことを許さない闇が広がっていた。
瞬時に公爵の中で文に書かれていた内容と漆黒の闇が結びつき、更に言うならばなぜ騎士たちがああも慌てふためきながら城内を動き回っていたのかも理解した。
卒倒しそうな出来事に頭を抱えそうになったものの、直ぐに頭を切り替えこれから起こりうる出来事の対処に考えを巡らせるが、やり手と名高い公爵もこの時ばかりは混乱が勝った。
まとまらない思考に苛立ちを覚えつつ、何をするにもまずは詳細を詳しく聞く他ないと自身に言い聞かせ、事情を知る師たちと対面したのだが、話を聞いた公爵の口から思わず訛りのような重いため息が吐き出された。
「・・・・・・つまり、私の娘は闇の高位精霊ではなく闇の精霊王と契約したかもしれないと?」
「はい。恐らくは」
普通の人間なら思わず目を逸らしてしまいそうになるほど険悪な表情をしているスティハーン公爵を真っ直ぐに見つめ、はっきりとした口調で言い切ったのはライラの学び舎の師であるリンネだ。
ライラが倒れた後、彼女は直ぐに学び舎にいる他の師に事の顛末を伝え混乱する生徒たちの収拾へと尽力した。
その後間を置かずにスティハーン家に詳細を伝えるために、数人の同僚を連れ意識のないライラを抱えたアランと共に公爵低へと出向いたのだ。
「・・・・・・ライラ様が意識を失ったときに、直ぐ側にとても大きな氣を放つ精霊がいたのです。本来精霊とは、契約した者にしか姿が見えないもの。勿論、契約者と精霊が良しとすれば他者の目に移ることも出来ますが、あのときのライラ様にそのような余裕はなかったと思います。ですが、私ははっきりとこの目で精霊をみたのです。ここにいる他の師も私と同じく、精霊の姿を目にした者達です。」
リンネが同意を求めるかのように視線を送れば、リンネの隣に腰掛けていた二人の師も大きく頷いた。
「・・・・・・学び舎の医療に長けている者にライラ様を見てもらいましたが、恐らく精霊と契約を結ぶ際にご自身の魔力を全て使い果たした事が原因で意識を失ったのではないかと言っていました。もしそれが事実ならば、あの時ライラ様の中に精霊の姿を維持できる魔力は残っていなかったことになります」
続けて放たれたリンネの言葉にしばし沈黙が落ちる。
「・・・・・・魔力の縛りに捕らわれることなく、姿を現せる精霊という事か。」
「・・・・・・貴方。」
唸るように呟いた公爵に今まで静かに話を聞いていたトゥーナが不安そうな眼差しを向ける。
精霊と人族の契約が魔力で成り立っていることは誰もが知る常識である。魔力とは己の命から作られる生命力の一部のようなものだ。
個々の強さにより魔力の大きさも質も異なるが、貴重な魔力を渡すことで契約精霊は契約者を信頼し力を貸すのだ。精霊に何かをしてもらうときは必ず魔力がいる。契約した精霊が人前に姿を現すときも然りだ。
そんな精霊が契約者から魔力も貰わず姿を保てるとなると、精霊その者が強大な魔力を持っているに他ならなかった。
だが、今の世界で自身の魔力だけで姿を保てる精霊など聞いたことがない。
スティハーン公爵自身、光の高位精霊と契約しているが精霊が己の魔力だけで姿を保った所など一度としてみたことがないのだ。
「・・・・・・精霊が自身の魔力だけで姿を保つなど聞いた事がありません。高位精霊でも出来ないことを容易に出来る精霊となると、その存在は限られましょう」
リンネも同じことを思ったのだろう。今まさに公爵が思っていたことを口にする。
「・・・・・・どうしたものか」
思わず弱気な言葉が公爵の口からこぼれる。
魔力判定の義で、娘のライラに闇の魔力があることを知り彼はとても誇らしかった。
世界中が闇の使い手不足に悩む中、公爵家から闇の守護を持つ者が現れたのだ。これほど素晴らしいことはない。
属性は違えど、彼もトゥーナも優秀な魔力の使い手である。
そんな自分たちの元に間に生まれた子だ。きっと彼女も優秀な闇の使い手になるに違いないとは思っていたが、せいぜいが中位精霊止まりだろうと高を括っていたのだ。
この世界に闇使いは少なからず存在はしているが、高位精霊を連れている闇使いなどそれこそ世界に数えるほどしかいないからだ。
そんな稀な高位精霊をも凌ぐ精霊を連れている者がいると周知に知れ渡れば娘がどんな目に合うか容易に想像ができた。
下手をしたら大陸そのものの争いの火種になりかねない。
「まだ、あの子が契約した精霊が精霊王とは決まっていない。万が一ということもある。これ以上、ことを大きくすることを私は望まない。トゥ―ナ、君はライラについていなさい。師の皆様には、娘をここまで連れてきてくださった事に感謝を申し上げます。ですが、このことは他言無用でお願いします」
有無を言わせない威圧をリンネ達にしっかりと向けた公爵は、小さく頭を下げると早々に客室から退室する。
精霊王など迷信に過ぎない。そもそも本来、契約の儀とは自身の魔力に見合った精霊が召喚されるものだ。
まだ幼い娘にそんな魔力があるはずがないと淡い期待を胸に抱きながらも、もしもの時に備え彼は至急ポーランド城に書簡を飛ばした。
国王の元に飛んで行った書簡は直ぐに王の目にとまる事だろう。
思わぬ出来事に何度目か分からない深いため息が彼の口から零れた。
―――――――
愛娘が倒れた次の日にはスティハーン公爵の元に様々な国から至急の返答を要する書簡が届けられた。
それはどれも、こ度のライラの噂をどこからか聞き付けた上級層達からの事の真相の弁明を求めるもが七割と、三割ほどが許嫁の申し出だった。
学園で起きた出来事から、人の口に戸は立てられないと思ってはいたがここまでとは。
そのあまりの量の多さにただでさえ人当たりのいいとは言えない強面の顔が険しさを増し、眉間には深いシワが刻まれる。
次々と届く追加の書簡を手に、部屋を訪れたメイド達の中にはその形相に耐えられず恐怖で腰を抜かし半泣きになる者も現れる始末だ。
普段なら公爵婦人であるトウーナが貴方~お顔が恐いです~と言いそうなものだが、彼女は寝たきりの娘の看病に付きっきりでそれどころではなかった。
最初はやむ気配のない書簡一つ一つにに目を通し、当たり障りのない文を各国に返していのだがそれも直ぐに止めた。
ライラだけではなく、上の息子二人の縁談話まで後を断たなくなっていたからだ。
そんな疲労困憊の公爵の元に、竜城からの使いだと言う王国騎士団が訪ねてきたのはライラが目覚める気配を全く見せないまま迎えた三日目の朝の事だ。
竜城からの使いは竜王の使いだ。大陸の柱と言われる竜王が動いたことに公爵は驚きつつも、彼らを屋敷へと招き入れた。
まだ目覚めぬ娘の事を想うと、何かの間違いであって欲しいという思いは今も変わることはないが心は諦めを見せていた。