プロローグ
傷だらけの体を引きずりながら、果てのない白銀の世界を前へ前へと進んでいく少女の姿があった。
腰まで伸びた美しい銀の髪は不揃いに切られ、煌びやかな刺繍が施されている藍色のドレスは自身の血と返り血で深紅のドレスへと様変わりしていた。
白銀の世界へ追い出されてから九日。吹雪は一度もやむことなく、凍てつく寒さが容赦なく彼女の体力を奪っていく。
(それでも、今だけはこの吹雪に感謝してもいい)
皮肉めいた小さな笑いが彼女の口元からこぼれ落ちる。この吹雪が、跡形も無く彼女の痕跡を消してくれるのだから。
凍てつく吹雪が頬を殴ろうと、腹部から流れ出る血が白銀の世界を汚そうとも、彼女は立ちどまらない。ただひたすら前へ前へと進んでいく。
たとえ、自身が力尽きようとも絶対に守りぬく。そう決めた存在が彼女の中に芽吹いているのだから。大陸を追われてから気づいた小さな存在。幸せを知らなかった彼女が、初めて心から幸せだと思えた、小さな奇跡。誰にも手出しはさせない。そう固く誓う瞳から、無意識に大粒の涙がこぼれる。だが、その涙をぬぐってくれる者はもう誰一人として彼女の傍にはいない。
「いたぞ!!ナディア王だ!!」
ナディア王。そう呼ばれた彼女は空から聞こえた声に身をかまえる。
(もう長くはもたない。一刻も早くここを抜け出さなければ)
空からはナディアの追ってであろう竜騎士達が次々と降りてくる。その筆頭にいるのは慣れ親しんだナディアの夫達だ。
「ナディア・・・・・・。もう諦めろ」
優しい声だった。まるで愛しい者の名を囁くような。まだそこに絆があるかのように錯覚してしまう。
こんな目にあっても、心のどこかで彼らを信じている愚かな自分に嫌気がさす。
「・・・・・・クラディス様、そこをどいて下さいませ」
稲穂のような美しい黄金の髪をなびかせ、エメラルドのように美しい緑目で真っすぐにナディアを見つめてくるのは第一夫のクラディスだ。
そんなクラディスの後ろには第二夫のナラン、第三夫のランガ、第四夫のゼダの姿もある。
「ナディア・・・・・・これ以上私達を失望させないでくれ」
優しい声のはずなのに、その声音からは失望と落胆、怒りと悲しみが窺えた。
傷だらけの彼女を見ても心配するものは誰もいない。
当たり前だ。ナディアの髪を切り落としたのも、重症の傷を負わせたのも夫である彼らなのだから。
それどころか、ここで方を付けるつもりなのだろう。強大な魔力の波動を肌に感じる。それは紛れもなくナディアに向けられていた。ついこの間まで、愛を語り合った夫達だったのに、どこで間違ってしまったのだろう。
「クラディス様・・・・・・わたくしは何もしておりません」
ナディアは震える唇で静かに、だが有無を言わせない迫力で彼らに言い放つ。
「・・・・・・いい加減にしろナディア!!クラディスだけじゃない。ここにいる全員が君の行った悪事を知っている。もちろん僕もだ。下手な言い逃れはやめた方がいい。よりにもよって、プリメラに手をだすなんて・・・呆れてものもいえないよ」
うなじで綺麗に切りそろえられた、燃えるような深紅の髪に赤緑の瞳。そんな赤緑の瞳に怒りの感情を燃やしながら険しい顔でにらみつけてくるのは第二夫のランガだ。普段は温厚な性格な彼が他人にこれ程までに怒りを向けたことはあっただろうか。
「・・・・・・私が彼女に何をしたというのですか?」
プリメラ。そう呼ばれた少女はナディアと同じく大陸を滑る竜王の一人で唯一無二の親友だった。
「しらっばくれるな!!お前がプリメラとプリメラの腹の子を殺そうとした事はもう皆知ってるんだよ!プリメラの番も血眼でお前を探してるよ。よくもまぁ、お前を助けようとした相手にそんなことが出来たものだね。竜族にとって、子供がどれほど大切か・・・・・・君自身が一番わかっているだろう!!」
今にも嚙みつかんばかりの勢いで口を開いたのは第三夫のナランだ。スノーホワイトの髪を揺らし海のように深い蒼い瞳には今まで以上の侮蔑が浮かんでいる。
「・・・・・・っつ!そんな事、私がするはずありません」
ナディアは両の目から大粒の涙を零しながら声を張り上げる。
「・・・・・・はぁ、やはり元奴隷を王に据えたのが間違がいだったな。ナディアよく聞け。我々はプリメラから直接話を聞いた。彼女の受けた傷も見た。あの傷をつけられるのは竜王だけだ。これ以上痴態をさらすな」
低い声で唸るように発したのは、ナディアの第四夫のゼダだ。
茶髪の間から見える眉間には深い皺がきざまれ、ギラついたブラウンの瞳がナディァを鋭く捉える。
「ゼダ様・・・・・・私は何もしておりません。・・・・・・どうして、どうして私を信じてくださらないのですか?私は貴方たちの伴侶ではないのですか?」
ナディアは震える声で目の前にいる夫達に問う。だが誰も何も言わない。それが答えだった。
「・・・・・・ナディア・・・・・・君がこれほど愚かだったとは。だが、僕達はまだ君の伴侶だ。過ちを犯した番の罪は夫である僕達が裁く。これ以上君の名を汚さないためにも・・・・・・」
クラディスがそう言い放った瞬間、眩い光がナディアを包む。封じの呪文だった。
光の輪がナディアの体を拘束していく。
(・・・・・・どうして)
走馬灯のように彼らとの思い出がナディアの心を犯す。
だが、最後まで捨てきれなかった夫達への未練はこの瞬間、ナディアの中から消えた。
もう迷はない。期待も、願いも叶わないと知ってしまったから。
「クラディス様、ナラン様、ランガ様、ゼダ様・・・・・・貴方達と共に過ごした日々は私にとって安住の日々でありました」
優しい笑顔だった。思わずその場にいた者が全員が釘付けになてしまうほど、ナディアの表情は晴れやかだった。
小さな魔力の波動がナディアの足元に生まれる。
今まで生きてきた中でナディアは魔力を他人に向けたことなど一度もなかった。
下手に魔力を使えば国が亡んでしまうほど、ナディアの魔力は強大で危険なものだったからだ。
でも今なら、命の灯が消えかけている今なら、少しは加減ができるかもしれない。その目に焼き付けるように、かつて愛した者達の姿を一瞥する。これで最後だ。もう二度とその姿を見ることはない。全身から魔力を解き放つ。ナディアを拘束していた光の輪が溢れ出る魔力に耐え切れず消失する。
魔力の波動は大きく波打ち、空間をも歪ませるほど強大だった。
「滅ぜろ」
ナディアが放った声と共に、強大な魔力が彼らを襲う。
次々と倒れていく騎士たちに目もくれず、彼女は本来の姿へ身を変える。
強風が巻き起こる中、現れたのは漆黒の鱗をもつ黒竜だった。
ナディアは傷ついた翼羽をばたつかせ空へと視線を向ける。
人型のときに受けた傷が大きく裂け、傷口からはおびただしいほどの血が噴き出していた。
「ナディア!!もうやめろ!!このままでは本当に死んでしまうぞ!!」
ナディアの魔力から運よく逃れたゼダが叫ぶ。だがその声がナディアに届くことはない。
大きく息を吸い、渾身の力を振り渋りナディアは空へと飛び立つ。
猛吹雪が傷だらけの身体を襲う。
身も心もボロボロだった。それでもナディアは止まらない。
彼女が飛び去った後にはただただ、大きな血の固まりが残るだけだった。
ご覧いただきありがとうございます。ゆっくりまったり更新ではありますが、お付き合い頂ければ幸いです。誤字脱字たくさんあると思います。ご指摘頂ければ有難いです!未熟者ではありますが、頑張りますので応援よろしくお願いします!