サモエド、巨大猪を運ぶ
巨大猪を担いだ少年が地面に溝を作りながら歩いていく。
あ、溝って巨大猪を引きずった跡ね。両前足を肩に担ぐように持ってるんだけど、重いから地面に付いた下半身が溝になんの。少年、猪に埋れてほぼ見えない。
前方を歩くだら男一行はなんだか妙に緊張してる。いや、緊張というより恐怖かなこれは。頑なに後ろを振り向こうとしない。
まぁ仕方ないけどね。なんたって少年ってば自分の10倍はありそうな巨大猪背負ってケロっとしてるもん。流石に余裕綽々とはいかないみたいで、澄まし顔してるけど首筋に汗が伝ってる。手伝ったほうがいいかなぁ。
とかなんとか考えつつ少年の隣を歩いていたら、笑い上戸の人がつつつと少年に近寄ってきた。だら男が後ろ向かないだろうからって、大胆な人だな。
「……おい、何考えてやがる」
んお?!
笑い上戸の人の言葉がわかる!! わかるぞ!!!
その風体に違わないワイルドな言葉遣いですね!! もうちょっと意外性あってもいいと思うよ!! あっでも少年ほどの意外性は要らないです!!!
内心めちゃくちゃテンション上がってるましろちゃんだけど、今はそんな状況じゃないの分かってるからちゃんと真面目な顔してるよ。でも尻尾振る速度が上昇するのは許して。犬だから仕方ないの。犬だから。
「特には。ダルさんがいたからついて行くのも楽しそうだと思って」
「お前なぁ……」
少年が飄々と答え、笑い上戸の人は呆れ顔になってる。
おおっと、お知り合いの方でしたか!! 周りに聞こえないように小さな声でやり取りしてるけど、犬のましろちゃんには丸聞こえだ!
聞こえたところで別に何も問題ないんだけどね!!
あと何気に笑い上戸の人の名前が発覚した。少年の名前より先に。ましろちゃんまだ少年の名前知らないのに。ましろちゃんまだ少年の名前知らないのに!!!
「あとな、前々から言ってるが俺はヴィダルヒールって名前なの。断じて『ダルサン』とかいうわけわからん名前じゃねーの。お分かり?」
「知ってます。けど『ヴィダルヒール』って長いでしょ。だから間とってダルさん」
「愛称ならヴィーとかヴィットとか他にあんだろーが」
「言いにくい」
「お前なぁ……!!」
ダルさん少年に遊ばれてら。でも確かに「ヴィダルヒール」って長いし言いにくいもんね。ダルさん、いいあだ名だと思うよ。うぷぷ。
うーん、しかし少年とダルさん仲良いな。少年敬語だし、雰囲気がやわらかいや。尊敬してる人なんだな。あとダルさんさり気なく少年の手伝いしてる。足元の邪魔な枝とか石とか移動させたりいろいろ。うーんスマート。ほんとなんでだら男の護衛なんてやってるんだろ。謎だ。
少年のお手伝いは大丈夫そうだから、ましろちゃんは引き続きだら男たちを見張ってることにする。おうおう、キリキリ目的地まで行けよぉ。
ダルさんは少年とのやりとりになんとなくほっとしたような、でもどっと疲れたような顔をして、安心したように頬を緩めた。
「まっ、変わりなさそうで安心した。元気だったか、ジーク」
おっ。
おおっ。
おおおおっ!!!!
少年の名前判明した!! ついに!! ついにましろちゃんは飼い主の名前を知ることができましたぞー!!!
ジーク、ジークね、わかった。ましろ今から少年のことジークって呼ぶ!! もしくはジーくん!! ひゃっほいやったぜ!! 今日はお祝いだぁ!!! ねぇねぇこの豚丸焼きにして近隣に配らない?! お祭りにしようぜ!!!!
「見ての通りです」
「相変わらずかわいくないガキだ」
ましろのテンションがテンアゲしてることなんか知らない二人が親睦を深めてるけどそれどころじゃない。今のましろちゃん、顔はキリッとしてるけど尻尾が荒ぶってるから。喜びを抑えきれてないから。
ジーくんが肩をすくめて、ダルさんが懐かしそうに笑ってる。いいなそういう関係。男同士の友情ってやつ? どんな関係なんだろうな。
と、ダルさんが急に険しい表情をした。纏う雰囲氣が硬くなる。
「が、いくらなんでもこの状況はいただけねぇな。わかってると思うが、あいつはとんだ悪党だぞ」
「ダルさんが下手こいて奴隷落ちさせられるくらい?」
「わかってんじゃねーか」
ダルさんが自嘲気味にわらって、ジーくんが眉間にしわを寄せる。ダルさんが手をやった首元には、変な模様が首をぐるっと一周するようにまとわりついていた。
ていうか、えっ? ダルさん奴隷だったの?!
あー! だから異様に装備が悪かったのか!! ってことは他の人も全員奴隷ってこと!? ヒェッ、だら男最悪じゃん!!
「らしくないですね。あなたがそんな風に言うなんて」
「らしくないのはお前もだろう、ジーク」
厳しい顔をさらに厳しくして、ダルさんがジーくんに詰め寄る。
「なぜついて来た。お前ならもっと上手くやれただろう」
「さっきも言いました。ダルさんがいたからですよ」
ジーくんの答えが気に食わないのか、ダルさんが苛立ちに似たにおいを発した。
ここで声を荒げたり、怒気を発したりしないのは凄い。そんなことしたらさすがにだら男も気付いちゃう。
自我のコントロールが上手い人なんだな。ジーくんが懐くはずだ。
「……俺を助けようって?」
「俺がそんなことするとでも?」
苛立つダルさんを、ジーくんが鼻で笑う。
「あなたがいたら楽しそうだ。それ以外に理由なんてない。本音ですよ」
ジーくんの答えに、ダルさんが面食らったような顔をした。まぁそうなるよね。
でもダルさんさぁ、ジーくんとちょっとでも面識あるならわかってるでしょ?
ジーくんは、我々の理解の範疇を超えた言動をしやがる、って。
「……ハァ、お前はそういうやつだったな」
根をあげるように肩を竦めて、ダルさんはジーくんの頭を乱暴に撫でた。あっ、いいなぁ、ましろちゃんも撫でてほしい。
「おわっ! ちょっ、バランス崩すでしょうが!!」
「知るか。ガキがいっちょまえに大人ぶりやがって。付き合うほうの身にもなってみろってんだ」
「俺がいつか親になったら味わえるんじゃないですかね」
「減らず口を」
よろけたジーくんを支えるように大猪の下に割って入って、ダルさんはニヒルに笑った直後真顔になった。
「おいこれ重すぎないか」
「軽いなんてひとことも言ってませんが?」
「なんでお前こんな、……はぁ」
涼しい顔したジーくんに何か言いかけて、結局諦めたようにため息を吐き出すダルさん。それでも巨大猪の下から出ていかない。ジーくんの前で巨大猪の頭を支えてる。やさしさなのか意地なのかわかんない。どっちもかな?
うむ、ジーくんたちが話し込んでたから、前方集団とちょっとばかし距離が離れちゃった気がしないでもないなぁ。これはましろちゃんもお手伝いしたほうがいい気がしてきたなぁ。いやぁ仕方ないシカタナイ。
なんて、誰にでもなく言い訳しながら、巨大猪の下に潜り込む。
ましろちゃんこれでも結構力持ちだからね。このくらいの獲物なら、余裕とはいかないけど普通に持てるんだよね、実は。
「ん?」
急に軽くなった荷物に、ジーくんが訝しげに振り返る。
背中と頭で猪の腹を支えて尻尾をふるましろちゃんと目が合った。ましろちゃんがお手伝いしてるから、巨大猪の下半身はもう地面に擦れてない。あとはジーくんの歩調に合わせて歩くだけだ。
ダルさんは猪の頭支えるのに精一杯だから後ろで何が起こってるかなんて知らないよ。たぶん必死の形相で前だけ見てるやつだ。
あ、ジーくんが笑った。わかりやすい笑顔、初めて見たや。
「ダルさん」
「あん?!」
「あとで、俺の話、聞いてくださいね」
「おお!? モチロンいいぞ! どうした、珍しいな!」
「いやね」
ましろちゃんが手伝ってるせいでズレてきた大猪の巨体を抱え直して、ジーク少年は年相応の子供みたいな顔で笑った。
「紹介したい相棒ができたんで」
……ここで話が終われば単なる美談だった。
でもここで終わるなら、終わってくれるような子だったら、ましろ、ジーくんの言動にあんな振り回されてないんだ。
なんかいい感じの雰囲気になった直後、ジーくんは何気ない風にこう言った。
「あ、あとその奴隷紋、消しときます?」
「は?」
あ、ダルさんが固まった。足まで止まってら。
うーん、この世界の常識を持ってるヒトが少年の非常識を見聞きした時の反応ってこんななのか。ましろちゃんまた一つ賢くなったや。かなしいなぁ。
ましろちゃん犬だから。犬だから人間界の常識とか知らないから。だから実は少年の行動にそこまで驚くことってないんだ。
いやぁ、じょーしきあるひとってたいへんだなぁ。
「ちょっとダルさん、あとつかえてるんで」
「あ、ああ」
ジーくんに背中つつかれて歩くの再開したけど、あれ確実にまだ意識戻ってないね。まだジーくんが何言ったか脳が理解しきれてないやつだ。ましろ知ってる。ジーくんに「よし、石器を作ろう」とか言われた時のましろとおんなじ状況。
あれ? そう考えたらましろちゃん結構ジーくんの言動に驚かされてる……?
「……え?」
「ダルさん?」
「待て。俺は今混乱している。これ以上は処理しきれんから何も言うな」
あ、ダルさんようやく現実に帰ってきた。
うんうん、やっぱジーくんの知り合いだけある。自分が今どんな状況にあって、ジーくんが何やらかすか大体察してる。付き合い長いと見た。
そうだね、爆弾は大概複数個存在するね。
「奴隷紋を? 消す??」
「はい。あ、それ刺青じゃないですよね? 魔力印でしょ? なら消せます」
「その通りだが違うそうじゃない。これ以上俺を混乱させるな」
人間っていいな。自分の状況を言葉で伝えられる。種族の壁は分厚い。ましろちゃんはただ振り回されるしかなかったもん。
ダルさんの混乱が天元突破だ。声を荒げないよう必死になってる。前を行くだら男とは違う意味で顔色が悪いぞ。大変だなぁ。
ご愁傷様です、ジーくんに見つかった時点で精神の平穏はお亡くなりになりました。肉体は頑健になると思われるのでそれで相殺してください。相殺できるのかどうかは知らない。ましろちゃんはできてない。できたら苦労しない。
「……お前が非常識なのは今に始まったことじゃなかったな……」
「なんですかそのかなしいものを見る目は」
ジーくん、それかなしいものを見る目じゃなくて慈愛の眼差しだから。そう思っとこ? いい子だから。ね??
ダルさんは慈愛の眼差しでジーくんを振り返り、一緒に猪を運ぶましろちゃんを発見して二度見し、何も見なかったことにした。賢明な判断だと思う。
「……あとでいろいろと説明してもらうからな」
「もともとそのつもりです」
しれっと言うジーくんにダルさんの青筋が増えた気がしたけどきっとたぶんメイビー気のせい。ましろちゃんがその一端を担ってるなんて信じない。え? 非常識仲間? はははなんのことやら。
「で、奴隷紋どうします?」
「やめろその話を蒸し返すんじゃない。いや外せるんなら外してもらいたいが」
「じゃあ」
「今はやめろ俺が諸々捌ききれなくなって精神的に死ぬ!!」
「あっはい」
そうだねジーくん迅速果断だからね。思い立ったら即決だもんね。ノンストップボーイジーくんだもんね。ダルさん、ジーくん止めれてよかったね。
人間っていいな。自分の状況を言葉で伝えられる。物理じゃない解決策が生まれるんだよ。素晴らしいよね。
そのせいで別の厄介ごとが生まれたとしても、少年の行動を止められた時点で大体の問題は些事になるよね。なにせ消費する精神力が段違いだもん。
『何を騒いでいるのです!! 早くそいつを荷車に乗せるのです!!』
おおっとぉ? もしかして今なんか命令的なことしましたぁ??
巨大猪の下から抜け出て牙をチラ見せしたらだら男が顔色を悪くして黙った。この程度で黙るんならずっと黙っててほしいよね。ペッ。
ジーくんとダルさんが戯れてたらいつの間にか森を抜けていたらしい。目の前には黄土色に踏み固められた道がある。わー、人の手が入った場所って初めて見た。轍が薄いから人通りはあまりないと見た。
「クェー!!」
おっ、なんかでっかい鳥さんが荷車に繋がれてる!! なんだあれ!!! あの鳥さんが荷車引くのか!! すごい!! 力持ち!!!!
『ここに乗せればいいのか?』
『え、ええ、お願いします』
だらだら汗を流しながらジーくんに一つの荷車を示すだら男。相変わらず顔色悪いね、体調良くないの? 急にポックリいっちゃう??
というか荷車小さいな。いや荷車にしては充分大きいんだろうけど、巨大猪が大きすぎて全部乗らない。3分の1くらいはみ出てるよ。壁がないタイプのでよかったね。にしても荷車ギッシギシ言ってるけど大丈夫? 壊れない?? てか鳥さんこの車牽引できる??? めちゃくちゃ暴れてるけどほんとに大丈夫????
『……俺の方で牽引しようか?』
『…………そうですね。お願いいたしましょう』
流石のだら男もこれには真顔。ジーくんが気を使うレベル。
『ああ、一応、そちらから護衛を借りたい。何人か付けてくれないか』
『護衛……?』
なんか、だら男がましろちゃんとジーくんを交互に見ながら「何言ってんだこいつ」って顔してる。なんでだ。
そんでたむろしてる護衛さんたちが、全力で首を横に振ってる。なんなんだ。
『……こいつでいい』
ジーくんが呆れ顔でダルさんの肩を叩いた。ダルさん、微妙に震えてるけどもしかして笑ってます??
その後、ジーくんが何か交渉して、前方にだら男たち、後方にジーくんとましろちゃんと何がどうしてこうなったのかわかんないけどダルさん、って配置で街とやらに行くことになった。えっ、素直になんで??
「……とりあえず、いろいろと説明してもらおうか」
なんか疲れた顔してるダルさんがジーくんの肩を叩いた。
ジーくんはましろちゃんに牽引用のハーネスを取り付けながら頷いて曰く。
「その前にその奴隷紋外しましょう」
「お、おう」
……ジーくん、そんなにダルさんが奴隷紋してるの嫌だったのね……。ダルさんが勢いに負けて頷いてしまってる。言質取れてよかったねジーくん。
でもとりあえず、ましろちゃん先に森を抜けた感動に浸りたいから、なんの説明もなく荷車に繋ぐのやめようか。
いや、引けと言われれば喜んで引きますけども!!! 情緒ってもんが!!!! あるでしょ!!!!!!
やっと少年の名前が判明した!! セルフネタバレの危機からやっと解放される!! わぁい!!!!(歓喜)
*追記* 2019/06/07 改稿