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クラウス車の記憶  作者: 伊藤 慎一郎
2/16

2 貧しい村

 峠をこえてマナ村に帰る途中の親子がいた。


「ねえお母さん、喉が渇いたよ!」


「あまり持ってこなかったからね、水筒に少し残っているわ」


「お母さん、林の中に水はたくさん見えているよ、ほらそこに」


「この水たまりは山の湧き水だけど、酸が強いから駄目よ」


「でもお母さん、おうちのお水はもう少なくなってきているよ?」


「そうだわね、またもらって来なくてはならないわね」


 雑木林の中に見える池の水は、薄いブルーをした奇麗で透き通るような水だが、酸が混ざっていて微生物も存在しない生活用としては中和でもしない限り利用できない。ましてや飲み水にするのはもってのほかだ。


 この辺りでは、豊かな暮らしからかけ離れて貧しい生活をしているひとばかりが住んでいる。

 その貧しい村はマナ村と呼ばれている。


 一昔前までは多くの人が住んでいて、道は車の往来も多く、農作物も良く育つ豊かな所だった。

 村の中心から山手の方に見えるタツタ連山は標高が高く、村から直線で数十キロ先に存在する。はっきりとは輪郭が解らないが山頂の積雪が雲のように連なっているのは村からでも薄っすらと見える。


 山々に降り注ぐ雪や雨によって、大地は水分を蓄えると離れた先のマナ村に水が湧き出し、山の恵みをうけ干ばつを逃れて村全体を豊かにしていたのだ。



 時代が進むと、村は車という恩恵を受け、農業機器類を作り運搬、それを使って畑を耕し農業の生産を拡大していった。

 車産業の発展に伴い農業を中心とした産業が広がっていくと、マナ村の人々はトラックを使い、他の街へ売りに行き収益を得た。

 やがて車を使う人が増えると、車の販売店や整備工場が立ち並び、ガソリンスタンドもできた。合わせて石油関連会社へ勤める者たちもマナ村で生活をしていた。


 だがそれは以前の話だった。



 マナ村が活気にあふれていた頃に事件は起こった。


 一九三八年の事、山脈の一部から火山噴火が起きてしまったのだ。

 山の影響で放出された火山灰は五十キロ離れた村まで届き、光をさえぎった。

 村全体が厚い雲に覆われ、薄暗い状態になった。火山灰は農作物も駄目にして、幹線道路も埋まった。

 それだけではない、噴火に誘発され、大地は地震を起こした。地震の揺れは大きいものではなく、マナ村には建物の崩れるような被害がなかったが、山に走る地層がずれ、今まで湧き出ていた水が寸断したのだ。


 出なくなった水を求めて、人々はいくつも井戸を掘ったが駄目だった。

 また噴火が収まった後、山に飲み水をくみに行く者もいたが、山頂付近にある噴火によってできた湖は酸の水で生活に使えないことがわかった。

 使える水としたら山に降った少しの雪解けの水。

 マナ村は、他の町から水を買うことで生活をどうにか続けていくが、村の予算が底をつくのは時間の問題だった。



 この後何年たってもマナ村には水が湧き出る事はなかった。

 やがて日照り続きで干ばつ状態になると、農作物は育たず畑は枯れ、村人の仕事はなくなった。

 仕事を失った人たちは次々とマナ村を出ていき、村の人口は少しずつ減っていった。残った村人は車を使う頻度は少なく、車で栄えた店も工場もすぐにつぶれ、徐々に貧しい村と化してしまった。



 噴火から二十二年後、そんなマナ村でも暮らしている青年がいた。


 名前はマッキー。


 マッキーの歳は十九歳、村の中心にあるポルト自動車整備工場で働いていた。

 小さいときに母親は病気で亡くなってしまった。

 山の噴火が原因で仕事がなくなった父親は、毎日酒を飲んだくれて、家に閉じこもっていった。マッキーに対する暴力もひどくなって、十五歳になる前に家を逃げ出した。


 幾日も村をさまよってくたびれた少年を見かけたポルトの社長が自宅に連れて行き、飯を食わせ、行く宛てもないマッキーをポルトで働かせた。


 ポルトは車を扱う整備工場で、社員は社長も合わせて四人しかいない。


「おいマッキー、そこのプライヤを取ってくれ」


「はい、ドレンボルトですか?」


「ああっ、二分の一のボルトがすべって締まらない」


 マッキーは別のピットでタイヤ交換中の車をジャッキアップさせて、タイヤのボルトを外していた。


 工具の名前は全て把握して、いつも整理整頓を心がけている。時には大きな修理をする事もあるのだ。

 車の下にもぐって足だけ見えた状態で作業をしているのがボスだ、マッキーはここで働くことになって以来、社長の事をボスと呼んでいる。


「マッキー、ありがとう」


 マッキーがプライヤを渡すとき、交換中の車からコロンと音がなった。


「あー、転がっていく」


 マッキーが慌てるとボスが車の下から叫ぶ。


「なんだ、どうした?」


「いえ、何でもありません!」


 外れたタイヤが狭い工場の中を転がり、隅までいくと机にぶつかってタイヤは倒れた。上に積まれてあった書類が振動で崩れ散乱した。慌てたマッキーはタイヤを起こし、散らばった書類をかき集めた。


「あーあ、しまった」


「マッキー、余計な仕事を増やすなよ!」


 車の下からボスが怒る。


「はい、すみません」


 マッキーは拾い集めた書類に目が行ってしまう。それは仕事の依頼諸や引継明細書などばかりだ。


「ボス、この書類は何ですか? こんなに仕事がたまっているのですか?」


「ああ、それはあれだよ、また近所の工場が閉鎖して、その仕事がこっちにまわって来た」


「ひょっとして、そこの工場ですか? やめたのですか」


「いや、やめたのではなく他へ移転した。そこの書類にもあるように仕事の依頼はまだ来ているのを、うちの工場で引き継ぐ事になっている、村の状態が悪いから出て他へ行ったさ」


「そうですか、またここの人口が少なくなりますね」


「この村にいても仕方ないからな、マッキーお前もここにはいつまでいても仕方がないぞ、気を使うな、俺は構わないからいつでも離れていいぞ」


「僕はここを出る気はないです、他に行っても何もできないし。と言っても親が心配と言う事ではないです、僕の両親はいないのと同じだから」


「お前もいずれ親になるときがある。それに大人になったら何でやれる。あっそういえば出て行った工場から引き継いだ仕事の中に急ぐ物件があったな、そこの書類にないか?」


 拾い上げた書類を何枚か目を通すマッキー。


「至急ってありますけどこれですか? 廃車処理依頼物件とか修理依頼書など、ほとんど至急の判が押されています」


 車の下から顔を出したボスが迷惑そうに言う。


「そうなのか、忙しいのに。仕事があるのは良い事だがこちらの工場としては迷惑な話だな」


「この村は車がほとんどないのに、どうしてこんなに仕事があるのですか?」


「周りの工場がなくなっているのもあるが、ここの村で修理する方が他の町でするより比較的安いらしく、よその町からここに車を持ち込んで修理する客が増えているからだよ。矛盾しているよ。貧しい村も悪い事ばかりではないな」


 苦笑いしながらボスは車の下にもぐった。



 マッキーはたくさんある書類のうちの一つに目がいった。


「ボス、この廃車依頼の車の書類に載っている廃棄処分の車なんですけど、このクラウスって言うのはどんな車なのですか? 聞いたことないですよね」


「それかー、前から何度も催促の連絡が来ていたな。ともかく車が置いたままの建物が取り壊しになるから早く引き取りに来いと言っていたな。新しい建物が建つのだろう。よその町は盛んだよな。マッキー、ひと段落したらそれをトラックで引き取りに行ってくれるか?」


「今からですか? それも一人で積載車に乗るんですか? 今までマナ村を出たことがないのですけど」


「大丈夫だ、隣町だっただろ? 峠を越えて行けばすぐだ、俺は持ち場を離れられない」


 峠を越えるといっても数十キロ走らなければならない所で、町へ降りると百キロを超えるだろう。マッキーの知らない遠い町で、不安でしかない所だったが、嫌がる事もできない。どうせ断ることもできないので軽快に返事をした。


「わかりました、すぐに行きます。あとで道も教えてください」


「道は一本しかないよ。引き取ったら部品屋に寄って、その車体からいくつか部品を買い取ってもらえ! あとは下のスクラップ工場へ直接持っていけ!」


 ボスはもうその仕事の依頼を終わったかのようにマッキーへ言いつけた。



 結局、日をあらためることになった。




 出発当日、マッキーは朝早くから、依頼書に載っている住所までの道筋をボスに確認した。


「気をつけていけよ、隣町のウォータモルンに行く途中はあまり道が良くない」


「はいわかりました、任せてください」


 慣れない積載車をマッキーは一人で運転して整備工場を出た。積載トラックは古く、ボンネットは塗装がはげ落ち、錆でひどく赤茶けていた。


 小柄のマッキーに車内は広く、かろうじて届く足先のペダルは、泥が付いていて滑りそうだ。それに床も汚れていた。普段は使わないトラック、前に動いたのはいつか覚えがない。


 久しぶりに動いた積載車は、荷台がガタガタ音を立てながら泥道を走った。マナ村は思いの外広く、周りに広がる大地は壮大だ。

 水不足なために地割れが発生するほど乾いている。先には砂漠のように砂だけの場所も目に付く。

 最近は車が少なく排出ガスが少ないせいか、辺りは空気が澄んでいて、マッキーの目に映る今日の村の景色はとても奇麗に見えた。


 工場を出てからかなり時間がたち、緊張のせいなのか朝早く起きたのに、ちっとも眠気はこない。

 村の峠を越える頃、林の中に水たまりが見えてきた。

 この池も薄いブルーがかった色をしている。この色合いは酸性の度合いによって濃淡が異なる。火山の影響で生まれた酸性水の特徴だ。

 その景色が途切れたところで、道端に見慣れないものを見つけ車を止めた。先には祠のような石が座っている。


「何かの目印かな?」


 石の前に立ち、マッキーは文字を読んだ。


「水の恵みを?」


 マッキーは林の中に足を踏み入れると、目の前に湧き出る水を発見した。


「ここの水はブルーじゃない、湧き水か? 飲めるだろうか?」


 水を手ですくうと、ゆっくりと喉へ通した。


「おいしい。ここは飲める奇麗な湧き水が出ていたのか。」


 一口だけ飲むとと、何度も口に運んで飲み干した。喉まで通すと、空のにおいを感じた。


 よく見ると、もっと奥の暗い林の中に、祠とは違った、直線的で平らな面のある近未来的な大きく黒い石のような物が見えている。

 何だろうと目を凝らして見てみるが、林の中は薄暗く、その黒い石は草木の陰に隠れており、全体像がよく解らない。

 気になるが、生い茂った草が行く手を妨げて、進んで行く気にはなれなかった。


 黒い石は、ほんのすぐそばにあるようだけど、じっと見ていると、遠く先の方にあるようにも思えてくる。とてつもなく大きな物体なのかもしれな。


 マッキーは考えると急に足の方から身震いがした。


「なんだか気味が悪い」


 高い所から、聞いたことないような鳴き声がした。見上げると、木漏れ日が差し込む枝の間に影がある。だがまぶしく鳥か何かは確認できない。


 仕事の途中だった事を思い出すと、すぐにトラックに戻り、また泥道を走らせた。

 祠を過ぎると舗装された下り坂に変わっていた。


 今思えば、あの湧き水があった峠がマナ村とウォータモルンの境界線だったはず。その証拠に、峠からこちら側へ下ってくる道の回りは、たっぷり水を含んだ草木が途切れることがなく生い茂っている。それと反対にマナ村側の草木は生えているものの、地面の土が見えるほど枯れていてスカスカだ。ウォータモルン側には山水か、あるいは地下水がきちんと行き渡っているのがわかる。


 マッキーはウォータモルン側の雑木林さえも高級な町並みに見えた。それだけでなく、周りの緑がしっかり湿度を保ち、肌にはひんやりした空気を感じさせる。


 ふと思いだし、トラックのメーターパネル板に目をやると、もう燃料が少なかったことに気づいた。それまで外の景色に気をとられていたので、ゲージが底をつきそうになっている事実に一瞬あわてた。


「あー、思ったよりも減りが早い。もう数百キロ? そんなに走ったのだろうか。街まで行けばスタンドが有るだろう、それまでもてばいいけど」


 心配するまもなく開けた場所に出た。小さな給油所を発見し、マッキーは安堵の息を吐いた。「良かった、とりあえず燃料補給」


 給油所は一台ずつしかできない程こぢんまりとしていた。


「いらっしゃい、おや? 若いのがこれを運転してきたのかな」


「はい、うちの工場の車です! 満タンにお願いします」


 麦わら帽子をかぶったおじさんが出て来た。日焼けした顔に親しげな笑みを浮かべて話しかけてくる。「こりゃー年季の入ったトラックだ、かなり辛抱しているよな」


「うちの工場はあまり儲けがなく、トラックなんて買えません。だけど毎日忙しくて仕事が途切れることはありません。今日もボスの代わりに僕が来るしかなかったんです」


「来たって、どこから来たのかい」


「マナ村です」


「マナ村? では今峠を降りてきたばかりなのか?」


「そうです、燃料が持つかハラハラしました」


「そうだろ。このトラックでよく来たな! ほら、もう満タンになったよ。峠を越えるには、このトラックの燃料タンクは小さ過ぎる」


「そうですか、初めて来たので距離感がわからなくて」


「そうすると、君はもとからマナ村に住んでいるのかい?」


「そうです。生まれた時からずっと」


「どうして村を出ない?」



「どうしてと言われても。昔から住んでいるので」


 おじさんは話しやすかった。


「とにかくボスの工場もあるし、村を出る事は考えたこともありませんよ」


「そうか、大変だな。俺から見ると、あえてマナ村に住む事の良さがわからなくてな」


 マッキーはマナ村に住んでいるのを大変だと思った事は一度もない。


「あっ、それと、これから行く場所を知りたいのですけど」


 マッキーは引き取りに行く車の置いた場所をおじさんに訪ね、地図を広げた。


「その車を処分するためにわざわざ来たのか?」


 説明しながら、呆れたた顔をしていた。


「そうですね」


 マッキーは苦笑いしたまま地図をたたみ、またトラックを走らせた。




 一つの町にたくさんの建物が見えてきた。


 広場には多くの人がいた。食料や水などを置いている露店が連なっている。

 他にも衣料品や雑貨などがあり。人がひしめき合い、市場の雰囲気があった。

 料理する店は入り口付近にあり、肉を焼いている匂いが漂うとそれがマッキーのおなかを空かせていた。

「そろそろ飯を食べよう」


 トラックを止められるような場所を探すが、通りはあまりにも人が多くて、邪魔になる。勿論買い物する金も持ってない。


「しかし、ここは人が多いなぁ。子供もたくさんいるし、豊かな町だ。マナ村も昔はこんな光景があったのだろうか」


 トラックの中に響くエンジン音に消されそうなか細い声で一人つぶやいた。


 子供たちが麦を売っている露店に目が行く。店の奥には老人が一人いるが、ボーッと座っているだけだ。しかしその麦はとても奇麗なものできらびやかな色をしていた。


 先の方に空き地を見つけた。空き地には車が何台か止めてある。

 マッキーはトラックを脇に寄せ、持って来たパンと、少しのミルクでおなかを膨らませようと少しずつ口へ入れた。


 空き地に止めてあった車は先に出て行った。車の陰に隠れてわからなかったが、その場所は、湧き水の出る水くみ場だ。トラックを降りて、急いで新鮮な水を口にした。


「よかった、つまってどうにもならなかったよ」


 マナ村を出て、湧き水の場所を見つけたのは二回目だった。


「皆、ここで水をくんでいるんだ。マナ村の人たちもここまでくみにくるのだろうか? それだったら峠にあった所が近いな。こっちの町は、やはり水には恵まれている」


 青々とした周りの木々が目に入ってくる。空までも青く見えるのは気のせいだろうか。


「スタンドのおじさんが言うように、マナ村に住み続ける意味はない」


 また一台の車が入ってきた。今度は若い男だ。普通の車ではあったが独自で改造した車だとマッキーはすぐにわかった。


「やあ、若いの。くみ終わったかい? 次いいかな」


「あっ、はい、僕はくみに来ているわけではないので」


「そうなの? じゃ俺がもらうよ」


 男よりもそこにある改造車のが気になった。


「ああ、これかい、いいだろ? 俺の傑作品だ、速いぞ」


「へー、すごいですね、全部自分でやるんですか?」


「だいたい自分でやるけど、できないところは整備工場にやってもらうよ。とはいってもガラクタの寄せ集めだけどな、じゃーな」



 男の人は話をしながら、手元のタンクに水を手際よく給水し終えると、すぐに行ってしまった。


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