1章98話 許されざる者3 闇に消えゆく懺悔
ナイルと公爵はティアンナを残して、先に地下牢を出て行った。ティアンナは彼らを見送ってから、背を向けていたラスティグに向き直る。
そこには、真剣な眼で彼女を見つめるラスティグの姿があった。
その真っ直ぐな瞳に、切ない気持ちとともに、頬が熱くなっていくのを感じる。
「……綺麗だな、とても」
ラスティグは目を眩しそうに細め、柔らかな微笑を湛えた。
ティアンナは急に恥ずかしさが込み上げてきて、身体を小さく捩った。
「よく見せてくれ。そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃないか」
久しぶりにラスティグは明るい笑顔を見せた。ティアンナの胸は締め付けられるような、息苦しさを覚える。
しかしそれは甘い疼きであった。
「あんまり見られると、恥ずかしいから……」
そういって俯いた真っ白い肌が、美しい薔薇色に染まる。自分の隠していた部分を、詳らかにされるような感覚に、胸の鼓動が高まっていった。
「本当に綺麗だ……ティアンナ」
再び彼女への賛美を口にする。
しかしその瞳には、憂いが満ちていた。
「もっとこっちへ、来てくれないか?……お願いだ」
ラスティグに促されて、ティアンナは彼に近づいた。
少し手を伸ばせば、お互いに触れることができるほどの距離。
しかし堅牢な鉄格子が、冷たく二人の間を隔てていた。
まるで彼らの運命を物語っているようだ。
どうすることも出来ない。
────絶望────
その深い闇に飲み込まれてしまいそうになる。
しかしラスティグは、すでにそれを受け入れているように笑ってみせた。
その笑顔はまるで泣いているかのように、ティアンナの目に映った。
──とても悲しかった。
「……どうしてそんな悲しい顔をしているんだい?」
浮かない表情をしているティアンナに、ラスティグは明るい調子で声をかけた。わざと明るく振舞うラスティグに、ティアンナは焦った様子で口を開く。
「何故っ……」
しかしその後の言葉は続けられず、闇の中に消えた────
自分の心の平安を得る為だけに、彼が抱える秘密に軽々しく触れてはならない。どうして、と叫びたい気持ちを必死で抑えると、次第に目の奥が熱くなってくる。
制御できない感情の波に攫われてしまいそうだ。
ラスティグは、ティアンナのその気遣いに嬉しさを覚え、穏やかな笑みを口もとに浮かべた。彼女の想いに触れ、自分の気持ちが心の中で、確かなものに変わっていくのを感じる。
────それは叶うことのない想い────
ラスティグはティアンナに手を伸ばした。
まるで信仰を求める人が、神に対してそうするように。
────だが決して触れはしない。
ティアンナはその手を取ろうとするが、それはすぐに鉄格子の向こうへと消えてしまった。
彼は自分自身を戒めていた。
彼女をここに一人残したのは、触れ合う為でも、自分を憐れむためでもない。
彼女に対して犯した罪を告白する為だ。
「……聞いてくれ。私は貴女に対して、償いきれない罪を犯した……とても許されることではない。許しを乞おうとも思ってはいない……」
重々しく開かれたその口から紡がれる言葉は、戒めの鎖のように、心の中に食い込んでくる。彼は躊躇いながらも、続く言葉を絞り出す。
「私は……傷を負って眠っている貴女をっ…………」
「…………殺そうと、した……」
「──っ」
ティアンナは息を飲み、言葉を失った。
「貴女の存在が、ノルアードの進む道にとって、邪魔になると思った。だから、私はっ……」
ラスティグは、ティアンナが自分をどんな目で見つめているのか、確かめる勇気がなかった。
不誠実であるとわかっていても、顔を上げることができない。
こんなに情けなく、醜い自分の姿に、幻滅しているかもしれない。
怒って、自分を蔑んでいるかもしれない。
だが彼女にはそうする正当な権利がある。
それでもラスティグは、彼女の心を失うことを恐れていた。
いつの間に彼女の存在は、こんなに自分の心の中を占めていたのだろう。
────だがもう遅い。
いくら求めても、彼女の心は永遠に失われるのだから────
「軽蔑してくれ。私を守るために、貴女は命がけでその身体に傷を負ったのに……私は卑怯にも、抵抗できない貴女を、この手にかけようとしたのだ。本当に……本当にっ……すまないっ……」
崩れ落ちるように、彼女の前に跪く。両手を付いて、地に額が付く程に体を曲げ、何度も何度も謝罪の言葉を、声が枯れるまで口にした。
ティアンナはそれをただ黙って聴いていた。
彼の謝罪は地下牢にこだまし、闇の中に消えていった。
そして沈黙が訪れると、それは永遠に続くように思われた。
それでも彼は顔を上げなかった。
許しの言葉を待っているのではない。
彼女の言葉によって、断罪されるのを待っていた。
罵倒され、軽蔑され、この身は醜く朽ち果てていくだろう。
それでいい。
そうすることでしか、彼女に償えないと思った。
自分が死を選ぶ本当の理由は、この為だったのかもしれない。
他は所詮、ただの言い訳だったのだ。
……情けない。
私は本当に……どうしようもない男だ。
自分で自分を蔑めば、涙が込み上げてくる。
────ダメだ。
自分を憐れんで泣いてはいけない。
そんな資格などない────




