1章95話 妃選びの舞踏会10 愛の誓い
ティアンナがエドワード王子の手によって危険な目にあっていたころ、大広間ではキャルメ王女が多くの人々の関心を欲しいままにしていた。
「私考えましたの。どのような方が私の夫に相応しいのかと。でもお互いよく知らない相手なのに、そんなことわかりませんでしょう?だから舞踏会らしく、ダンスで決めようと思って」
キャルメ王女はノルアードに向けて可愛らしく微笑む。
「一緒に踊ってみて、素敵だなと思った方に嫁げばいいのですわ。だって旦那様になる方とはいつまでも、楽しく踊って、笑い合っていたいですもの」
結婚というものに夢を抱いているかのような可愛らしい王女の発言に、今まで大国の姫君と恐縮していた人々は微笑んだ。
「ですから賭けをしていたのですわ。どちらの王子様が先に私にダンスを申し込んでくれるだろうって。そのほうが運命的ですもの」
王女が悪戯っぽく潤んだ瞳で見つめる先には、王子のノルアードがいた。
ノルアードはキャルメの可愛らしい振舞いの下に、懸命な想いがあるのを見て取って、彼女に手を差し伸べた。
「キャルメ様……私と踊っていただけますでしょうか?」
厳かにダンスを申し込む。
「えぇ……喜んで」
はにかんだような笑みを浮かべて、キャルメはノルアードの手をとった。
王女の優しさと、思いやりに心が熱くなる。自然と彼女の小さな柔らかい手を握るのに力がこもった。
多くの人々の注目を集める中、大広間の中央に二人は移動する。
人々は彼らを遠くから見守るように、その周囲を開けた。まるで彼らの為だけに用意されたかのような舞台だ。
曲の変わり目だったのか、ちょうど音楽が途切れた。
人々の喧騒だけが、遠く聴こえてくる。それは彼らの世界を、そこだけ切り取ったかのような不思議な感覚を覚えるものだった。
ノルアードは音楽の再開されるまでの僅かな合間、王女に聞いてみた。
「……何故、貴女はこのようなことを……」
王女の手を取り、美しい蒼い瞳を真正面から見つめる。
王女は慈愛に満ちた微笑みを湛えて、それに答えた。
「何故って、私はこの国に嫁ぐために来たのです。国同士の結婚の意味をわかっていないわけではないわ。でもそれ以前に、私は貴方の力になりたいのです」
王女の真摯な言葉に、ノルアードは胸をうたれた。
「私は貴方を信じます。貴方が語った夢を……」
その言葉とともに、ダンスの為の美しい調べが再び流れてきた。
ノルアードは何故だかそれを少し残念に感じた。
彼女の紡ぐ言葉こそが、ずっと聴いていたい調べそのものだったからだ。
彼の心の闇を、少年の傷を、彼女の言葉が光となり、癒してくれるように思えた。
「ありがとう……」
ノルアードは心からの笑みを王女に捧げると、彼女を抱き寄せ、優雅なステップを踏み始める。キャルメも王子に微笑むと、彼のリードに合わせ、軽やかにステップを踏む。
周囲の人々も踊り始め、皆思い思いにそのひと時を楽しんだ。
「ノルアード様は……ラスティグ様のことをどうするおつもりですの?」
踊りながらキャルメは、気になっていたことをノルアードに聞いてみた。
「……ラスティグの事を助けてやりたいが……、彼自身がそれを望んでいない」
ノルアードは悲し気に顔を歪めると、そう小さく呟いた。
「……そうですか……それは、ティアンナが悲しみます」
ティアンナの事を語る王女の瞳は、どこか憂いを纏っている。
女性ながらに王女を守る騎士は、王女にとってかけがえのない存在であり、同時に心配で仕方のない存在でもあるのだと、ノルアードは知った。
自分が犯した罪は重い。
今この場でこうして王女の手を取る事も、許されない事のように思えた。
だが、兄のラスティグの事を想うと、あの騎士に頼るしかないとも思うのだ。
ノルアードはティアンナのことを思い浮かべ、ある提案を口にした。
「……ティアンナ、彼女ならラスティグの気持ちを変えることができるだろうか?」
エドワードのその呟きに、キャルメは頷きを返す。
「もしかしたら……彼らの為に、私たちでできることをいたしましょう」
王女の強い眼差しに、ノルアードは勇気づけられた。
「何か考えがおありなのですか?」
ワルツを優雅に踊りながら、キャルメは悪戯っぽく笑うと、クルリと可愛らしく回った。
「考えならありますわ。私に跪いてその手をとって愛を誓ってください。返事はもう決まっていますのよ?いつでも貴方に嫁げるわ」
まさかの王女の方からのプロポーズの言葉に、ノルアードはつい笑いが零れてしまった。
全ての不安から解放されるような優しい感情が彼を包み込む。
「キャルメ様に先に言わせてしまうなど、紳士として私は失格ですね」
「ふふ、そんなことありませんわ。私、子供の頃からプロポーズは自分からしますのよ?残念ながらアトレーユは私の夫にはなれませんけどね」
キャルメは悪戯が成功した子供のようにウィンクを一つすると、コロコロと笑い出した。
それにつられてノルアードも笑い出すと、次第にその楽し気な様子は周囲の人々にも伝わって、王女達を見守る人々に幸せな空気を運んだ。
ダンスが終わりお互いがお辞儀をして、再びその眼を見つめ合う。
ノルアードはキャルメ王女の足元に跪いた。
そしてその手をとり、真剣な眼で彼女を見つめる。
彼女の言葉、その望み通りの筋書きだ。
だが、これはノルアード自身が望むものだ。
この醜い手で彼女の清らかな手に触れることは、彼女を穢してしまいそうで恐ろしい。
だが、彼女はそれ以上に強く、優しく慈愛に満ちている。
それはまるで雄大な海のようだ。
彼の醜い心など、まるでちっぽけな悩みであるように優しく包みこんでくれる。
例え彼女が両国の為に嫁ぐだけで、自分の事を何とも思っていなかったとしても、彼は自らの想いで、彼女の前にひれ伏しただろう。
計画のため、兄の為、国の為。
そんな考えはもはやノルアードの頭の中にはなかった。
ただそこにあるのは、一人の女を求める男の姿だった。
跪いた王子に気が付き、誰もが踊るのを止めて彼らを見守っていた。
いつの間にか音楽も止んでいる。
「……私は貴女と出会ってから、今まで忘れていた自分の心を取り戻すことができた」
ノルアードが語るのは、それまで心を殺してまで目的の為に生きてきた自分の事だ。
苦しみの中、大切なものを犠牲にすることさえも厭わない生き方をしてきた。
「心を忘れて生きていくことは出来ないと、貴女に教えられた」
キャルメを切ない眼で見つめる。
「私が歩むこの道のりは、とても険しく、時には辛いことだろう……だが貴女と共になら、乗り越えることができる。貴女は私を照らす光そのものだ」
それは真実の言葉だ。
二人は少しも目を逸らさないでいた。
まるでお互いの心を、一つ残らず掬おうとするかのように。
「キャルメ……」
僅かに声が震えた。
「どうか私の……ただ一人の、妃となってください」
それは彼の願い、真実に心の底からの。
「貴女を愛している」
キャルメは心の中が満たされていくのを感じた。
そして満たされて溢れ出したものが、彼女の蒼い海のような瞳から、美しい雫となって頬を伝う。
「えぇ……喜んでお受けいたします」
キャルメは涙を流しながら、美しい笑顔を見せた。
それは今まで見た中で、最も美しいものだった。
「……ありがとう」
王女に感謝の言葉と、キスを一つその手に落とすと、耐え切れなくなったように、ノルアードは立ち上がり、そしてキャルメの身体を強く抱きしめた。
決してなくさないように、その腕の中にしっかりと抱く。
二人の様子を見守っていた周囲の人々からは、歓声が沸き起こった。楽団も二人を祝福する調べを奏で始める。
幸せな二人の未来に、会場中が惜しみない拍手と祝福を送った。




