1章93話 妃選びの舞踏会8 宴の夜に蠢く影
大広間から離れたところの王城の一角では、舞踏会のざわめきが僅かに聴こえていた。日は完全に暮れ、影の者が動くのに都合のよい闇があたりを包んでいる。
ナイルは黒い装束に身を包んで、その闇の中に紛れていた。
(これだけ広いと流石に見つけ出すのは難しいか……)
ナイルは本来の役目である、ラーデルス国王にロヴァンス王国の書状を届けるという仕事をすでに終えていた。それでもこうやって王城に留まっているのは、囚われているラスティグを探すためだ。
ナイルは書状の件で、ラーデルス国王との謁見に際し、騎士団長の処遇について尋ねていた。しかし国王は他国の人間には関わりのない事として、情報を一切明かさなかった。
当然といえば当然の返答だが、ナイルは少し不満だった。
国という機関に仕えていながらも、時にその存在の大きさ故に身動きが取れなくなってしまうという矛盾に、人間の愚かさを感じてしまう。
そしてナイルは、ラスティグの処遇に対して責任を感じていた。
もう少しうまく立ち回っていたら、このような事態は避けられていたかもしれない。そんな考えがナイルを責め立てる。
本来の彼は、終わった仕事に対して後悔などしない性格だ。だが今回の件に関しては違っていた。
あの娘の涙を思い出して、一層胸の痛みが強くなるのを感じた。
その時ナイルの目に、暗闇にまぎれて別の影が動くのが見えた。すぐさまそこへ注意を向ける。
しかし見間違いだったのか、あたりの闇は静かに沈んでいて、揺らめきもしない。
────ヒュン!
突然、意識を向けていなかった方から、僅かな空気の乱れとともに、一閃の鋭い刃が走った。
ナイルはすぐさま反応し、横へ飛びのいた。
闇の中に弧を描き、次々と鋭い凶刃が繰り出される。
ナイルはすぐさま双剣を腰から抜き、ひらひらと舞うようにしながら、その攻撃を受け流した。
剣戟の火花が暗闇に散る。
その僅かな光に照らされて、相手の顔が一瞬だけ見えた。
「っ──貴方は!」
ナイルは驚いて大きく後ろに飛びのくと、放っていた殺気を抑えた。
闇の中、その人物は口もとに弧を描くと、ナイルに向けて話しかけてきた。
「……君は……?そうか、ロヴァンス王国の影か……流石というべきか、なかなかやるじゃないか」
どうやら相手も剣を収めたようだ。しかし緊迫した空気はそのままである。
その声はストラウス公爵のものであった。
「──それで何を探っている?」
目的を聞かれナイルは逡巡したが、それでも彼は騎士団長の父親だと思いなおし、僅かな期待と共に問われたことに答える。
「ラスティグ様を探していたのです」
一瞬、ストラウス公爵の纏っている空気が揺らめいたような気がした。
「……探し出してどうするのだ?」
殺気ではないピリピリとした何かが、彼らの周囲を満たす。
「彼は大事な証人です。みすみす国によって殺されるのを待っているわけにはいかない」
「……貴国には関係のないことであろう……」
地を這うような低い言葉は、静かな怒りに満ちていた。
彼自身の息子のことであるのに、その怒りが何故なのか、ナイルはわからなかった。
「……教えてくれる気はないということですね。その頑なさがその身だけでなく、国を危うくするのがわからないのですか?」
騎士団長の父親の期待外れの返答に、ナイルの心は氷のように冷えていった。それとともに頭も次第に冴えてくる。
どのようにして公爵を出し抜き、ラスティグの居場所を探ろうかと考えを巡らせていると、突然公爵が後ろを向いて歩きだした。
驚いてそのまま立ち尽くしていると、僅かに顔を振り返らせた公爵が、ナイルに向けて言葉を放つ。
「どうした……ついてこないのか?知りたいのだろう?」
何をとはハッキリ言わず、公爵はそれきり黙ってすたすたと歩いていく。
ナイルは自嘲の笑みを一瞬だけ浮かべると、すぐに表情を引き締めて、案内人の後ろに続いた。




