1章92話 妃選びの舞踏会7 誘われた部屋で
「ティアンナ嬢?大丈夫ですか?」
ティアンナとエドワードは、休憩の為に用意されている客間の一つへとやってきていた。
「……えぇ、大丈夫です。ご心配をお掛けして、申し訳ございません」
ティアンナは慣れないながらも、淑女の所作で丁寧なお辞儀をした。
今のエドワードは王子らしく、不慣れなティアンナを、一人の淑女として丁重に扱っている。
しかしあのエドワード王子と二人きりだ。ティアンナは嫌な汗が背中を伝うのを感じた。
「少し酒でも飲みましょうか。この部屋にもいい酒が置いてあるのですよ」
エドワードはそう言うと、軽やかな足取りで、酒の置いてあるガラス製の戸棚に向かった。
ティアンナは王子の態度にかなり戸惑っていた。アトレーユの時の態度とだいぶ違う。
しかしそれはティアンナにとっては好都合であった。
(王子を足止めしとけっていうけど……いつまでこれを続けなきゃいけないんだ?)
ジェデオンの作戦では、エドワード王子を長時間足止めする必要があった。
そしてその役目に抜擢されたのが、アトレーユではなく、ティアンナだったのである。
「ラムはお好きですか?それともブランデー?」
酒瓶を取り出そうとした王子が、振り返ってティアンナに尋ねる。
「ラムで」
ティアンナの返事にエドワードは笑顔を見せると、戸棚からラム酒の入った瓶と、金の装飾が施されたグラスを2つ取り出した。
テーブルに置かれたグラスに、琥珀色の液体が注がれていく。琥珀色のその酒は、芳醇な香りをすでに放っていた。
いつもなら、注がれた先から酒を飲み干してしまうようなティアンナだったが、ドレス姿でさすがにそれはしない。
淑女としての所作を続けなければいけないという以前に、そんな余裕がなかった。エドワードと二人きりでの酒の席である。
ティアンナの緊張はすでに極度のものになっていた。きっと女性としての本能が、警鐘を鳴らしているのであろう。
そんなティアンナの様子を見て、エドワードはクスリと笑うと、彼女の緊張をほぐすように隣に座って、柔らかく微笑んで見せた。
「そんなに緊張しないでください。貴女は本当に可愛らしい人ですね」
ラム酒に口をつけながら、エドワードは蕩けるような目つきでティアンナを見た。
女性として王子から見られていることに、身体が震えるような感覚がした。騎士として敵と対峙するのとは違う種類の恐怖を僅かに覚える。
「どうか今宵は私と共に過ごしてください」
アトレーユに対しては見せることのなかった甘い言葉と視線で、さらにティアンナとの距離を縮める。
ソファに座っている彼らの距離はすでにほとんどない状態だ。
王子はティアンナの肩に腕をまわし、手でその素肌を楽しむように撫で始めた。
「え……えぇ、光栄ですわ」
ティアンナはエドワードから離れるように少し座りなおすと、引きつった笑みでカタコトの返事を返す。
顔を近づけてくる王子との間に壁を作るように、ティアンナは酒の入ったグラスを目の前に持ってきた。
もう覚悟を決めるしかない。
「お酒、いただきますね」
ニコリと笑顔を作って、グラスの酒を一気に飲み干してみせた。
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一方アトレーユ達のいなくなった大広間では、人々はいまだ舞踏会の夜を楽しんでいた。
しかし主役の一人であるエドワード王子の姿が見えないため、今はノルアード王子に令嬢達の関心はいっているようだ。
キャルメ王女は令嬢達に囲まれているノルアード王子に近づくと、扇で口元を隠しながら声をかけた。
「あら、元王太子のノルアード様。こんなにご令嬢方に囲まれて、また王太子様に戻られましたの?」
意地悪な言い方で、王女は隣にいるジェデオンとともにせせら笑いを浮かべた。
ノルアードは一瞬、キャルメ王女の行動に驚いて固まったが、すぐに何かがあると察知して、王女の言葉に乗った。
「……いえ、まだ王太子と決まったわけではございませんが……」
何事もなかったかのような表情で、事実を返す。
「そうですの?てっきり多くのご令嬢に囲まれていらっしゃるから、また王太子様に返り咲かれたのかと思いましたわ」
うふふと優雅に笑う王女の真意はわからない。周囲の令嬢達も、大国の姫君の発言に恐縮しつつも、困惑の色を隠せないようだった。
何事かと更に多くの人々が、彼らの周りに集まってきた。
「私も決め兼ねておりますのよ?エドワード様とノルアード様、どちらの方に嫁ぐのがよろしいのか。だって私の夫となるお方がこの国を継がれるのですもの。責任重大ですわ」
王女は扇から口もとを少しだして、皆に聞こえるような声で言った。
その言葉を聞いた周囲の人々がざわつき始めた。王女に次期国王の決定権があると言わんばかりの発言だからだ。
さすがのノルアードも焦り始めた。
キャルメ王女はこのような事を軽々しく言う人物ではないはずだ。ましてやこのように、権力を手に入れようと皆が躍起になっている中での発言。王女の身に危険が及ばないとも限らない。
しかし王女はなおも言葉を続ける。
「私賭けをしておりましたの。お二人のどちらが私の夫に相応しいのかと思って」
「賭け……ですか?」
何のことかわからずにキョトンとするノルアードに、キャルメは含んだ笑みを返す。
「そう、賭けですわ。とても面白いのよ?その賭けというのが」
クスクスと笑って扇をパタパタとさせる様子は、まるで悪戯好きな少女のようであった。
「一体どんな賭けなのですか?」
さっぱりわからないという空気が、皆の周りに漂っていた。誰もが皆彼らの話に耳を傾けている。
王女はそんな興味津々な人々をぐるりと見回すと、極上の天使の微笑みを浮かべてみせた──




