1章90話 妃選びの舞踏会5 夜空の女神と第3王子
────美しい夜空の女神と目が合った────
吸い込まれそうなほど澄んだ紫の瞳に、目が釘付けとなる。
「……な……」
エドワード王子は言葉を失って、呆然と立ち尽くしてしまった。
「とんだ間抜け面だな」
王子の様子を見ていたジェデオンは、小声でポツリと言った。嘲笑すら浮かばす、むしろ王子の馬鹿正直な反応に感心しているようだ。
キャルメ王女はそんなジェデオンを諫めるように、笑顔のまま彼の腕を強く握った。ジェデオンは苦笑いしながら、目を伏せるだけの謝罪を王女に返す。
「あ、あれが……アトレーユ?」
何とか言葉を出したエドワード王子だったが、そう言うのが精いっぱいだったようだ。
そしてその王子の言葉を聞いたご令嬢の一人が、驚愕に目を見開いたかと思うと、そのまま顔を青くして倒れ込んだ。その動揺が広まると同時に、彼らの周囲で同じようにして気絶する令嬢が何人もでてきた。
よほどアトレーユが女性であったという事実は、ご令嬢達にとって衝撃だったようだ。
「あーあー、流石わが弟。この国でも随分とまぁ、アトレーユは人気があったんだねぇ。本当に女にしておくのが勿体ないよ」
悪戯っぽくジェデオンは声を上げて笑った。もはや優雅な貴族の皮をかぶり続ける気はないようだ。キャルメ王女もジェデオンの態度をすでに諦めたようで、悪戯っぽい笑みを浮かべて小声で話しかけた。
「まぁ、ティアンナの兄君なのに、それは酷いのではなくて?彼女はとっても美しくて、それはそれは可愛らしいのよ」
キャルメ王女は、自分のことのように誇らしげに言うと、そのままティアンナ達を見守った。
呆然と固まっているエドワード王子に向けて、ティアンナは荘厳な女神のように優美な微笑を湛えた。
「殿下、ご機嫌麗しく存じます。いつもは騎士服でございますので、この姿でお目にかかりますのは初めてでございますね。ポワーグシャー家の四女、ティアンナ・トレーユ・ポワーグシャーと申します」
夜空の女神のごときティアンナは、淑女の礼を優雅にして、エドワード王子に傅いた。
──ドサリ──
また一人、いや二人の令嬢が人混みの中、地に伏したようだ。
辛うじて意識を保っているご令嬢も、取り乱したようにハンカチを涙で濡らしている。
「あ、あぁ……よく、来てくれた……」
もはやエドワード王子は、自らの目的が分からなくなってしまったようだ。近づいてくるティアンナに対して、あわあわと取り乱し、顔を赤くさせている。
それを面白そうに見つめている三男ジェデオンに対して、ティアンナをエスコートしている次男グリムネンは、眉を顰めて難しい顔をした。
グリムネンが着ているのは普段の騎士服とは違って、式典用の豪華で威厳に満ちた騎士の礼服である。そんな彼が眉間にしわを寄せると、甘いマスクではあるが背の高さも相まって、今にも天上の最高神の怒りが落ちてくるような寒気がした。
「殿下、こちらは私の兄でポワーグシャー家の次男、グリムネンです」
ティアンナは不機嫌な兄の様子に全く気付くことなく、グリムネンをエドワードに紹介した。
「お初お目にかかります、殿下。ロヴァンス王国騎士団、第一師団長を務めさせていただいております、グリムネン・ハント・ポワーグシャーと申します。殿下におかれましては、妹が大変お世話になっておりますようで、恐悦至極に存じます」
丁寧な言葉で挨拶をしながらも、威圧感のある声で自らの武力を誇示し、ティアンナに対する態度に気を付けるよう、しっかり釘をさすところが流石である。
と、ここで楽団の奏でる音楽が、戦勝を讃える凱旋の曲から、緩やかなダンスの曲に変わったようだ。
「あら、ダンスだわ。私たちも行きましょう」
王女はそれに気が付くと、すぐにジェデオンを促してダンスをするために広間の中央へと行ってしまった。
しかしエドワードはそんなことにも気が付かず、いまだティアンナに目が釘付けとなっているようだ。
ティアンナの為に用意されたドレスは、王女や他の令嬢が着ているものとはだいぶデザインが異なっている。
瑠璃色の夜空のように染められた天鵞絨には、煌めく星々のような宝石が縫い付けられ、生地が揺らめくたびに光を映して輝いている。
その美しい夜空を切り取ったかのようなドレスは、ティアンナの体のラインにそって作られているため、普段の騎士服ではわからなかった、女性らしい豊満な胸や、腰の括れなどがうっとりするほど艶めかしく見えた。
デコルテの部分と背中の部分は、大胆に肌を露出させており、真珠のように滑らかな白い肌が、夜空の下から見えている。
アシンメトリーで作られているそれは、右肩から柔らかく曲線を描いて左脇をえぐるように流れ込んでいて、左肩を露わにしていた。
美しい銀色の髪も右耳の後ろあたりで緩くまとめられ、それをそのまま右肩に落とすことで、肩口を片方だけ隠して、騎士として普段鍛えているティアンナを、より一層華奢に見せている。
そして普段と違って柔らかで、どこか頼りなげな表情を見せるティアンナは、どこからみても美しい女性でしかなかった。
「あの……何か?」
あまりにもエドワードが凝視してくるので、ティアンナはおずおずと王子に聞いた。
「あっ!……いや、あまりにも普段と違うので、つい……」
エドワードはいつもの調子がでないようで、普段の彼では考えられないことだが顔を赤らめて俯いてしまった。
そんなエドワード王子を見て、着慣れないドレスに身を包んだティアンナも、なんだか恥ずかしくなり俯いてしまった。
初々しい恋人同士のようになってしまった二人に、頭上から不機嫌なグリムネンのため息が零れ落ちてきた。
「ティアンナ嬢、是非、私と一曲踊っていただけますか?」
再び顔を上げたエドワードは、燃えるような欲望を宿した瞳でティアンナを見つめると、手を差し伸べダンスを誘ってきた。
ティアンナは困ったように、兄グリムネンを見上げると、縋るような目つきで兄に助けを求めた。しかし兄から返ってきた返事は、ティアンナにとって喜ばしくないものだ。
「折角の殿下の御誘いだ。ティアンナ、行ってこい」
そういって妹の背中を押す。しかし言葉とは裏腹に、グリムネンは眉間に大きな皺をよせ、エドワード王子に顔を向けた。
「殿下、妹はこういった場に騎士として出たことはあっても、令嬢としての所作は不慣れです。どうかティアンナをよろしくお願いいたします」
内心は非常に面白くないのだろう。しかしそれをなんとか隠して、ティアンナを王子に託す。
王子はその言葉に心の底から嬉しそうに頷くと、グリムネンの手からティアンナを受け取った。そしてすぐさま彼女の華奢な腰に手を回す。
ティアンナは慣れないドレス姿での男性との触れ合いに、ビクッとして体を揺らした。
そのことに更にエドワードは気をよくして、もはや先ほどまでの戸惑いはどこかへ吹き飛んだようだ。
「ではありがたく。ティアンナ嬢、行きましょう」
ティアンナの不安な心に気が付かないように、エドワードはダンスの為に広間の中央へと向かった。




