1章9話 夜会の夜1 令嬢リアドーネ
段々と夕闇がせまってくる道を、金の装飾が美しい馬車を護衛しながら、アトレーユ達は馬に跨り走っていた。
向かう先は、とある貴族の開いた夜会会場である。王城で開かれる妃選びの舞踏会ではないが、他国の王女であるロヴァンス王国の一行も招かれている。
アトレーユ達は、国境沿いの襲撃の件があったため、非常に神経をとがらせて今回の事に当たった。断ることも視野に入れていたが、あれからまた、ナイルの報告もあり、参加することを決めた。
王城から少し離れたところにある会場につくと、アトレーユは、門前でお客の対応に追われている屋敷の者に、馬上から声をかけた。
「ロヴァンス王国第三王女、キャルメ王女殿下のご到着である。案内せよ」
朗々と響き渡る、美しい声に、そこにいた客人たちも、アトレーユの方を向いた。
そこには、白い馬に跨り、紺色の騎士服に身を包んだ堂々とした姿の、銀髪の美しい騎士がいた。
人々は、あまりの美しさに屋敷へ入るのも忘れ、固まってしまった。屋敷の者も仕事を忘れ、ポカンとしている。
アトレーユはいつものことであるので、それを怒りもせず、馬を侍従に預けると、馬車の扉を開けた。
アトレーユに手を差し伸べられて、馬車から出てきたのは、黄金の髪が波打つ、菫色のドレスに身を包んだ、美しく可憐な王女だ。
美貌の騎士にかしずかれて、優雅に馬車から降りる王女。まるで一枚の絵画を思わせるような、美しい様に、人々は感嘆のため息を漏らした。
ここでようやっと、金縛りからとけたかのように、屋敷の人間が、他の護衛達や、馬車の誘導などするため、動き出した。
そんな様子を気にすることもなく、流れるような美しい所作で、王女をエスコートしてアトレーユ達は会場へ入った。
ここはラーデルス王国の貴族、ナバデール公爵家の屋敷である。白い石造りの豪華な屋敷で、意匠は王城と似通ったところがある。屋敷の広間に通されると、そこは多くの貴族たちであふれていた。
これだけの大きな夜会を催せるとなると、ナバデ―ル公爵家は、ラーデルス王国でかなりの力をもっているらしい。
広間の奥に、ナバデール公爵と思しき人物を見つけた。向こうもすぐに王女の到着に気付き、こちらへとやってきて挨拶をした。
ナバデ―ル公爵は、やせ型の長身で、白髪の少し混じった黒髪を後ろになでつけている。
綺麗に整えられた口ひげが、神経質そうな雰囲気を醸し出していた。
「此度はお招きくださり、誠にありがとうございます。ロヴァンス王国、第三王女、キャルメ・デローザ・ロヴァンスです」
王女はふわりと美しい礼をした。まるで大輪の黄金の薔薇が、風に揺られて、綻ぶかのようである。
続いてアトレーユも挨拶すると、会場にいる人々は、美しい二人に注目して、早速噂話に興じている。
「わが公爵家の夜会に足をお運びくださり、誠にありがとうございます。王女殿下に置かれましては、我が娘が親しくさせていただいているようで、大変光栄でございます」
ナバデ―ル公爵は大仰に畏まって、細い顔いっぱいに皺を作りながら、嬉しそうに笑った。
しかしどこかぎこちない印象がある。ふとアトレーユが彼の手元に目線を移すと、その手は何かをこらえるように固く握りしめられていた。
そんな彼の横には、見知った人物がいる。最近懇意にしている令嬢の一人、レーンだ。彼女はナバデ―ル公爵の長女である。王女と目が合うとにこりと笑った。
茶色の髪を緩やかにまとめ上げ、落ち着いた雰囲気はそのままである。大人びた様子のレーンは、会場を見て回る王女に付き従い、他の貴族たちの説明をしてくれた。
すでにロヴァンスからの調査で、大体の人物については知っていたが、顔と名前が一致しないのがほとんどだったため、非常に助かった。
「あ、あれが第二王子サイラス様の幼馴染のリアドーネ様です」
そういってレーンが教えてくれたのは、黒いレースのドレスに身を包んだ、真っ赤な髪が特徴的な、美女である。
燃えるような髪に、瞳は灰色で、髪と同じく真っ赤な唇は艶やかで美しい。
ひと目で美人とわかるが、その真っ黒な装いと、周囲を威嚇するような雰囲気で、悪い意味で目立っている。
(母親のせいで失脚した第二王子の幼馴染で、妃候補の筆頭だった女……)
アトレーユはリアドーネを遠くから観察した。
まるで喪服を着ているかのようなドレスに、真っ赤な髪がちぐはぐな印象だが、美しさは損なわれてはいない。
周囲に敵意をまき散らすかの様子は、彼女の境遇を鑑みると、哀れですらある。
そんなリアドーネの様子を、人々は遠巻きに冷やかしていた。
じっとリアドーネを見つめ思案する騎士に、キャルメはからかうように言った。
「アトレーユは彼女のような女性が好みなのかしら?」
「え……?」
突然そんなことを聞かれて、つい間の抜けた声がでてしまった。
人の好みなど考えたことなどないが、女性が恋愛対象でないのは事実である。
そのようなことは、わかりきっているはずなのに、いたずらっぽく目を輝かせている王女は人が悪い。
周囲の女性たちも、そのやりとりに興味津々で側耳をたてている。
王女の思惑をいつも通りかわすのも面白くなかったので、アトレーユは適当に話を合わせて気のない返事をした。
「そうですね。彼女のような美しい方の愛情を独り占めできたら、光栄でしょう」
この言葉に周囲の女性たちからは、落胆のため息が漏れた。これでもし、アトレーユが女性と知ったら、彼女たちの落胆ぶりはいかなるものであろう、と、実情を知る他の護衛達は苦笑している。
対する王女は、驚いて目を見開いた。この騎士がこんな冗談に乗ってくるのは珍しいからだ。
アトレーユとしては、内偵を進めている人物の一人なので、いろいろと思うところがあっただけなのだが。
周囲からの注目を浴びて、その視線の元を見るように、リアドーネはこちらに気づいたようだ。目が合うと、人をかき分けて、こちらへやってくる。
「ごきげんよう、皆さま。面白おかしく、私の噂話でもしていらしたのかしら?」
高飛車な口調でこちらを見据えるリアドーネ。自分をネタに噂話に興じる人々に我慢がならない様子である。
リアドーネの攻撃的な雰囲気を察して、レーンがすかさず口を開く。
「リアドーネ様。こちらはラーデルス王国の王女殿下、キャルメ様です。リアドーネ様もご存じかと思いますが、ノルアード様の婚約者様ですよ」
だから失礼な態度もほどほどにしろ、と言外に言っているレーンである。
「ただの候補です。まだ、はっきりとは決まってはおりません。今宵はこちらに招かれた、皆さまと同じ客人の一人です。王女であることなど、お忘れください」
王女は気にしなくていいと、にこやかに笑いかけた。
そんなやり取りを、面白くないといった様子で聞いていたリアドーネは、馬鹿にしたような口調で声高に言った。
「どこの馬の骨かもわからないようなノルアード様の婚約者として、わざわざ隣国から来られるなど、キャルメ様はよほど自国に嫁ぐ先がないのでしょう。お可哀そうでいらっしゃるわ」
この言葉に怒りをあらわにしたのは、勿論アトレーユである。
自分の大切にしている王女を、このように馬鹿にされて、黙っていられるはずもない。
すかさず反論しようとしたところを、王女にとめられた。騒ぎを起こすなと、首を小さく横にふっている。悔しいが、王女の意向に逆らうことはできない。
ふふん、と勝ち誇った様子のリアドーネ。周囲の人々は、王女に対しての無礼な態度に、肝を冷やしている。レーンはどうしたものかと、困惑しているようである。
雰囲気が気まずくなったところに、音楽が流れてきた。ダンスがはじまったようである。
「ダンスだわ。アトレーユ。行きましょう?」
王女はアトレーユをダンスに誘った。騎士の機嫌を直すにはちょうどいい。
王女の思惑がわかったようで、ため息を一つついて、気持ちを切り替える。ここで自分が騒ぎを起こしては、王女を守ることはできない。
「では皆さま、ごきげんよう」
先ほどまでの、険悪な空気など、何もなかったかのように、王女は周囲の人々に、にこやかに挨拶をすると、騎士の方へ向いて、さぁ早くと言わんばかりに可愛らしく小首をかしげて見せた。
「王女殿下、お手をどうぞ」
冷静さを取り戻した騎士は、優雅に礼をして王女の手をとり、広間の中央までエスコートする。
人々は、その様子を呆気にとられて見ていたが、やがて自分たちも踊るために、それぞれパートナーを見つけ、言葉を交わしている。
リアドーネは王女が全く動じなかったことが面白くなかったようだが、すでに興味を失ったようで、会場からは見えなくなっていた。
アトレーユとキャルメ王女は、軽快なリズムに合わせて、滑らかに踊り始めた。
アトレーユは女性であるが、かなり背の高いほうなので、男性のパートを踊っても、何の違和感もない。むしろ、幼い頃から、王家に嫁いだ姉達や、王女達に囲まれ、男性としてのエスコートやダンスは完璧である。
アトレーユは紺色の地に金の刺繍の施された、洗練された騎士服に身を包んでおり、すっとした体つきによく似合っている。背筋をピンと伸ばして、堂々と王女をリードする様は、どこかの王族のようだ。
キャルメはふわりとドレスの裾を翻し、軽やかにステップを踏んだ。菫色のドレスに黄金に波打つ髪がよく映え、まるで妖精が舞っているようである。
美しい二人の踊りを、皆が見つめていた。くるくると金銀の髪が揺らめいて、美の女神に祝福されたような二人は、まるで天上の世界の住人のようである。
感嘆のため息と羨望の眼差しの中、アトレーユたちは、久しぶりのダンスを心から楽しんでいた。
蒼い瞳が、アトレーユを見つめる。海の深淵に続くかのような深い色合いは、アトレーユの心を落ち着かせた。
キャルメの深く美しい瞳は、幼い頃からアトレーユの心を慰めてくれる。
ほんの少しの憂いを伴って……