1章86話 妃選びの舞踏会1 序章
宵闇に星々が輝き始めた頃、煌びやかに飾られたラーデルス王国の王城では、戦勝の祝いと妃選びの為の舞踏会が開かれようとしていた。
皆はようやく迎えることができた、次期国王とその妃の選定の機会に、戦の勝利とともに浮足立っていた。
しかし一部の人間達は、その華やかな雰囲気とは裏腹に、辛く複雑な想いを抱えその場に臨んでいた。
ノルアード王子もその一人だった。
彼は続々と集まってくる華やかな貴族達や、豪華に着飾った令嬢達に、無感動な冷たい視線を向けて、一人物思いに耽っていた。彼が考えるのはただひたすらに、兄のラスティグのことであった。
隠し通路の先にあった地下牢で、彼は聞いてしまったのだ。
国王の懺悔の告白を。
それは衝撃の事実であった。
ノルアードとラスティグは、父も母も同じである完全な兄弟であったのだ。ノルアードはそのことに衝撃を覚え、折角ラスティグの居場所を見つけたのに、会わずに逃げるように戻ってきたのだ。
再び戻って会いに行くということも考えたが、ラスティグの決意は固いようだった。逃がすための算段を整えたところで、頑固な兄は決して頷かないだろう。
──それに……
ちらりと大広間にいるエドワードに目を向ける。
豪華な衣装に身を包んだエドワード王子は、多くの貴族やその娘たちに囲まれご満悦の様子だ。すでに次期国王の座を射止めたかのような様子で、周囲の者達に傅かれていた。
きっとあのエドワード王子のことだ。サイラス王子の死をうやむやにせず、厳しく追及してくるに違いない。
どのようにしてラスティグを助ければいいのだろうか。そのことばかりが頭の中をぐるぐると巡っていた。
そこへ一人の貴族とその娘が、ノルアードに挨拶をしにやってきた。
「ごきげん麗しく存じます、殿下」
「……あぁ」
ノルアードの元にも、ちらほらこうした貴族たちがやってきていた。次期国王の座は、エドワードとノルアード、どちらのものになるかまだ分からない。両方に顔を売っておこうというのが、彼ら貴族たちの考えだろう。
挨拶をしにきた貴族の打算的な笑顔と、媚びながらも値踏みするような娘の流し目に、ノルアードは若干辟易していた。心ここにあらずで、機械人形のように挨拶を繰り出す。
本来ならばここにいて挨拶に答えていたのは、自分ではなく、兄のラスティグだったのかもしれない。自分の為に命を落とそうとしている兄を想って、心が引き裂かれるような思いがした。
いつものように、完璧な仮面で心の内を隠すのは、とてもできそうにない。
長くなりそうな夜に、ノルアードは深いため息をこぼした。
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多くの人々が、すでに会場である王城の大広間へと集まっていた。もうすぐ国王の挨拶の後、舞踏会が開催される。
そんな中、いまだ会場に入らずにいる男女たちがいた。
「うぅ……本当にこの格好でいくのですか……?あの、とても恥ずかしい……」
気弱な声が、大広間の入り口前に零れ落ちた。
「情けない奴だな。いつもの威勢の良さはどうした?」
そういって揶揄うのは、キャルメ王女をエスコートしている、ポワーグシャー家の三男ジェデオンである。
若草色と深緑のコントラストが美しい貴族の衣装を身に着けており、その色に艶のある焦げ茶の髪がよく似合っている。佇まいはさすが公爵家の出とあって、非常に優雅で王女の横にいても少しも見劣りしない。
「ジェデオン様、あんまりティアンナを虐めては可哀そうですよ?彼女にとってはこれが、社交界デビューなのですから」
そういって横でクスクスと笑うのは、キャルメ王女だ。
王女は、先日購入した生地で仕立てたドレスに身を包んでいる。水色の柔らかい生地に、金糸で精緻な刺繍が施してあるそれは、デザインはシンプルであるが、クラシカルで気品に溢れていた。
キャルメ王女は満足そうにティアンナを上から下まで眺めると、にっこりと極上の笑みを浮かべた。
それを見たアトレーユは、作戦にかこつけて王女の企みが成功したことを思い知る。
勿論アトレーユにとって、これが初めての社交界ではない。だが女性のティアンナとして出るのは、これが初めてであった。
「ティアンナ。いつまでもそうしていても始まらないぞ?私がうまくエスコートするから大丈夫だ」
そういって優しく妹を宥めるのは、ポワーグシャー家の次男グリムネンである。
ジェデオンと違って、彼は着慣れた騎士服でやってきた。白地に金の刺繍がしてあるそれは、公式の行事に出席するための代物で、非常に豪華で威厳がある。美しい金髪と甘い容姿のグリムネンによく似合っていた。
兄弟の中で最も背の高いグリムネンは、同じく姉妹の中で最も背の高いティアンナと二人で並ぶと、とても目立つ。二人とも非常に優れた容姿をしているのもあって、キャルメ王女とジェデオンでさえも、霞んで見えてしまうほどだ。
しかしドレスを着慣れていないアトレーユは、兄の後ろに何とか隠れようと必死である。
「やれやれ。これがロヴァンス王国で一、二を争う色男だとは、ご令嬢達も思わないだろうよ」
流石にジェデオンも呆れ顔で、妹の様子に苦笑いしている。
「……ほら、お前にはお前の目的があるんだろう?アトレーユ」
そうしてグリムネンの後ろに隠れている妹に、黒い絹の手袋をはめた手を差し伸ばす。
ジェデオンの言葉に勇気をもらい、アトレーユはおずおずとその手をとった。
ジェデオンはそれに満足して口角を上げると、妹の手を兄グリムネンに預けた。
「頼むよ、兄さん。可愛い妹の社交界デビューだ。しっかりリードしてあげてくれ」
ウィンクを一つ兄に飛ばすと、自らもキャルメ王女をエスコートし、会場へと入っていった。
それを見送ったグリムネンは、妹を見下ろして兄としての優しい笑顔を作った。
「我々も行こうか」
「……はい。兄さま」
観念したようにアトレーユは頷くと、心を強く持つように前を真っ直ぐ見据えて、会場へと向かった。




