1章85話 真実を知る時2 懺悔と断罪の刃
暗い地下牢には、わずかに廊下から差し込む灯の明かりのみで、それに背をむけている国王の表情はハッキリとはしない。しかし国王が母ミーリアに対して、並々ならぬ想いを抱いていることだけはわかった。
ラスティグは複雑な想いが胸中を駆け巡り、感情のままにそれを口に出してしまいたい衝動に駆られたが、歯を食いしばってそれを抑え込んだ。
「彼女は……私が唯一愛した女性だった……だが、妃として迎え入れることができなかった」
国王の口から語られる、自分の知らない母親の話。自然とラスティグの視線は、強く突き刺すように国王を見つめていた。
ホルストはその視線に耐えられなくなったかのように、ラスティグに背を向け、再び話し始める。
「彼女は貴族の娘ではなかった。だが……私たちは恋に落ちた」
まるで神に懺悔するかのように、ホルストは天を仰いだ。暗い地下牢の天井のその先に、愛しい者の魂を見ているのだろうか。
「……しかしすでに私はこの国の国王である身。貴族でない娘を妃に迎えることはできない。だから密かに彼女と愛を交わしていた」
国王の話を聞きながらラスティグは、頭を強く殴られたかのような眩暈を覚えた。父の妻である母が、無理やり愛人として国王の元へいったのではなく、自ら進んで国王と愛を育んでいたなど知りたくはなかった。
そんなラスティグの様子に気が付くことなく、なおもホルストは話し続ける。
「当時すでに多くの妃がいたが、私は跡継ぎを作る役目を終えると、彼女たちにはもはや関心を持たなかった……それがいけなかったのだろう。妃同士の争いや暗殺未遂などが横行し、ますます私の気持ちは王宮から離れていった」
国王の話していることは、歴代のラーデルス国王が悩まされ続けていたことだ。もともと子孫を残す能力が低いのか、ラーデルス王家はなかなか子宝に恵まれない。
よって多くの妃を持つことを強制され、それに伴う争いも常に絶えなかった。
「……そんな中、彼女は私の子供を身ごもったのだ」
国王は再びラスティグの方を向いた。
思いつめたような表情で、じっとラスティグを見つめる。
暗闇の中の灯が、一瞬だけホルストの瞳に揺らめいた。
暫くの沈黙の後、ホルストは重い口を開き、その言葉は闇の中にそっと光を灯すように紡ぎ出された。
「……お前だよ、ラスティグ……お前は……私の息子なのだ」
その瞬間、ラスティグの体に鋭い稲妻のような衝撃が走り抜けた。
──心臓が凍り付くような
──頭が沸騰するような
──身体が散り散りにばらけてしまうような──そんな衝撃だった。
もはやまともに姿勢を保つこともできない。
ラスティグはよろめきながら、それでも国王の方に目を向けて、戦慄く唇で何とか言葉を紡いだ。
「……どういう……ことですか……?」
国王に向かって問いかけながらも、自分が何を聞いているのかも理解できない。自分自身の存在が足元から崩れていくような感覚がした。
ホルストは唸るようなため息をひとつつくと、再びラスティグから目を逸らし、続きを話し始めた。
「私は身ごもったミーリアを隠すことに決めた。彼女と子供の存在が知られれば、命が危ないからだ……そして私はハーディンに相談したのだ」
「……父に?」
ラスティグは父であるハーディンの名に反応し、聞き返した。
「ミーリアはストラウス公爵家の非嫡出子だった。前公爵が外に作った子供だ。彼女はハーディンとは異母兄妹だった」
父と思っていた人は、ラスティグにとって父親ではなかった。
これまで父に対して抱いていた感情を思い起こし、苦い想いが広がっていく。ラスティグは、もはや真っ直ぐに国王を見ることができなかった。
「……ハーディンは私の懸念を察知して、自らがお前たちの隠れ蓑になると提案してくれたのだ。ミーリアを妻とし、生まれてくる子供を我が子として育てると──」
しばらく二人の間には重い沈黙が流れた。
────遠く闇の軋む音が聞こえた気がした────
「……何故、誰も何も教えてはくれなかったのですか?」
闇の底から這い出てくるような、暗く淀んだ声で国王に問うた。
「……すまない。だがわかってくれ。お前たちを守るためだったのだ……」
そういってホルストは皺のある、かさついた手で顔を覆った。
しかし彼の目は涙を流すことはない。王として非情な決断をし続けたせいであろうか。
人間らしい感情が、涙という確かな形となって表へ出ることはついぞなかった。
──それでもホルストの懺悔は続く。
深淵の地下牢に凍えるような痛みと、残酷な真実を響かせて──
「ハーディンとミーリアが表向き結婚をしても、私たちは密かに隠れて会っていた。……だが彼女にはその生活はひどく辛かったのだろう……」
僅かに国王の声が震えたような気がした。
「私とハーディンとの間で、一人罪悪感に苛まれていたのだ。それを愚かにも私は気が付くことができなかった。……しばらくして彼女は、私たちの前から姿を消した……」
国王の言葉がラスティグの胸に突き刺さる。
母にとって息子の自分は、捨ててしまってもよかった存在だったということを、改めて思い知らされる。それでもどこか家族というものに期待をしてしまう────なんて愚かなのだろう。
「彼女は再び身ごもっていた。ノルアードだ。ミーリアが見つかるまでの長い間、私たちはその存在すら知らなかった」
「なぜ……母の居場所がわかったのですか?」
自分でも諦めが悪いと思いながらも、ラスティグは国王に問うた。母が自分に会うために、その存在を知らしめたのではないかと仄かな期待を抱いて。
「手紙だ。自らの死期が近いと悟ったミーリアは、ノルアードを我々に託すために、手紙をよこしたのだ」
「……そうですか……」
期待は見事に打ち砕かれて、風によって塵が吹き飛ばされるように、彼の中にはもはや何も残されてはいなかった。
「だが当時の私たちはノルアードの存在を公表する事もできず、仕方なく再びハーディンに頼るしかなかった」
もはやラスティグにとって、そのような真実などどうでもよかった。
早く解放されてしまいたいという投げやりな気持ちが、心の奥底から沸々と沸き起こってくる。
「お前たちには本当に悪い事をした……私が至らなかったばかりに……」
国王の言葉が酷く弱々しく感じた。
そこには王としての威厳はなかった。
一人の男として許しを乞うていた。
それが父親としてのものなのかは、ラスティグにはわからなかった。
彼の求めている家族というものに、もはや彼らは必要なかった。
ラスティグは国王の言葉に何も返事をしなかった。
──できなかった。
そこには喜びも感動もなかった。
────ただ深い絶望という名の奈落があるのみだ────
「……許してくれ……」
鉛のような沈黙が二人の間に重く横わっていた。それでもホルストはありったけの気持ちを振り絞って、ラスティグに告げた。
「必ずここからお前を出してやる。お前の罪は私の罪だ」
今にも泣きだしそうな顔をした男が、そう言った。
しかしラスティグにとってその言葉は無意味であった。
「……どのように……?私が貴方様の血を引いていると公表でもするのですか?」
怒りに満ちた声が、闇の中こだまする。
何に対しての怒りなのかは、自分でもよくわからない。
だが国王が自分を助けるためにしようとしていることは、とても許せるものではない。
それは彼の中に唯一家族としてある、ノルアードの存在を危うくするものだ。
「だが……お前を王子だと公表せねば……」
「必要ありません。私はただの一人の男として、断罪されることを望みます」
ラスティグは鋭い目つきで国王を見据え、きっぱりと断った。
「陛下」
諫めるような声音で、あえて『陛下』と呼ぶ。
その気迫に、国王は一瞬たじろいだ。
「私は王家ともストラウス公爵家とも、もはや関わりのない男です。もしこのことを公表しようとなされば……」
国王の目が、恐怖によって見開かれていくのが見えた。
それを冷酷に見据えながら、ラスティグは告げた。
「私は貴方様を一生許さないでしょう」
一人の男の懺悔の告白に、ラスティグは非情な断罪の刃を振り下ろした──




