1章80話 前に進むために
ラーデルス城へと到着したナイルは、キャルメ王女の使いだと言って国王に謁見をした。そして必要な言伝を伝え終わると、王城に滞在しているというリアドーネの元へと案内してもらった。
王城の中でも割と豪華な客室にいるらしく、その部屋の前では多くの護衛が扉の前を固めていた。事情を説明して中へと通してもらう。
扉を開けると、リアドーネは弾かれたようにこちらを見た。
「ナイル!!」
すぐに椅子から立ち上がって駆け寄ってくる。しばらく泣きはらしていたのか、目の周りが赤くなっていた。
「……やぁ」
ナイルはなんと言っていいかわからず、気の利かない挨拶しかできなかった。
「心配したわ!貴方ってば急にいなくなるんだもの!あのジェデオンって人が大丈夫だって言っていたけど、それでも私……」
色んな不安が再び押し寄せてきたのだろう。リアドーネの淡いグレイの瞳に涙が溢れてくる。
ナイルはそんなリアドーネの頬に優しく触れ、指で涙を拭ってあげた。薄焦げ茶の瞳を切なげに揺らしながら、ナイルはどのように話を切り出そうか悩んでいた。
リアドーネはそんなナイルの様子には気が付かず、優しく触れるその手をただ受け入れていた。美しい水晶のような瞳がナイルを見上げる。
ナイルは心がズキズキと痛み始めるのに気づかないふりをしながら、ついにその話を切り出した。
「……サイラス王子が亡くなったんだ」
ナイルを見つめるリアドーネの目が大きく見開いていく。
一瞬、時がとまったかのような錯覚を覚えたが、すぐさま手に鈍い痛みが走った。リアドーネが頬に触れていたナイルの手を弾いたのだ。
「嘘よっ!!」
拭ったはずの涙が再び溢れ出し、彼女の白い頬を次々と伝う。
「嘘よ!嘘よ!嘘よ!!」
リアドーネは泣きながらナイルの胸を拳で叩いた。
しかしそれは力なく下へと崩れ落ちていく。
「……ごめん」
ナイルは泣き崩れるリアドーネを抱きとめた。
「……ごめん……」
同じ言葉を繰り返し、抱きしめる腕に切ない力をこめる。
「う…うぅ…どうして……どうしてなの……?」
「──っ」
何故と聞くリアドーネに、ナイルは言葉が出てこなかった。
小さく華奢な肩が細かく震えている。
自分の力が及ばなかったことに、唇を噛み締める。
何も告げずに、彼女の前から姿を消すこともできたかもしれない。
でもナイルは、リアドーネが前に進めるようにここへ来たのだ。
それが彼女を一時でも利用した自分の責任だと感じていた。
「……これ、君に持って来たんだ」
いまだ涙の止まらないリアドーネを少しだけ体から離すと、懐から一通の手紙を取り出した。
その手紙には血が滲んで赤黒く大きな染みを作っていた。
リアドーネはそれを見て恐怖で息を詰まらせる。
「君に宛てたサイラス王子の遺書だ……」
「──え?」
思ってもみなかった言葉に、リアドーネは恐る恐るその手紙を手にとる。
「他の誰にも見せていない。サイラス王子がずっと懐に大事にしまっていたんだ」
すでに血は乾ききっており、手紙に歪な皺を作っていた。血で汚れてしまった封筒には、確かにリアドーネへと書かれた文字がうっすらと見える。
リアドーネはその中を開けてみた。中には一枚だけ便箋が入っていた。
ゆっくりと慎重に開いたその中に書いてあったのは、たった一言。
『──すまなかった──』
リアドーネの目にさらに大きな涙が溢れだしてくる。
それでもなぜか笑いが口元に零れるのを感じた。
「……馬鹿なサイラスお兄様……一言謝るくらいなら、どうしてその苦しみを教えてくれなかったの……?」
自嘲と嗚咽を入り混ぜながら、リアドーネはその手紙を抱きしめうずくまった。
ナイルはしばらくの間、リアドーネが泣き続けるままにしていた。
彼女の中にいるサイラスという人間は、きっと他の者とは違って映っているのだろう。だからこそ彼女にだけ手紙を残したのかもしれない。
そしてそれはきっとサイラスにとっても同じだったのだ。彼はリアドーネの残したものを、最後まで決して離すことのないまま死んでいったのだから。
「……サイラスは、私を利用したことを後悔していたのかしら……?」
ひとしきり泣き終えたリアドーネは、縋るような目でナイルに聞いた。きっとサイラスの中で、リアドーネがどれだけの存在だったのかを確かめたいのだろう。
今は亡き人間の想いなどナイルには知りようもない。
だがナイルには確信があった。それは告げるべきかどうか悩んだことだ。
それを告げればきっと彼女の心の中に、サイラス王子は永遠に居続けることになるだろう。だがそれが良い思い出になるか、悲しい思い出になるかは、自分が決めていい事ではない。
ナイルは自身の悲痛な心とは裏腹に、ついにリアドーネにその事を話し始めた。
「あぁ……きっと初めから後悔していたんだと思う……そう……最初から」
うまく言葉を紡げない。
どのように告げても彼女を傷つけるだろう。
情けない自分を叱咤し、決意をこめて拳を握りしめる。
……そして静かに口を開いた。
「彼はずっと君の赤い髪を……最期まで大事にその胸に抱いていたから……」
「っ──!」
彼女が攫われた時に切り取られた髪は、サイラス王子が大切にまるでお守りのように懐にしまってあった。
その燃えるような赤い髪を最期の時に握りしめ、血で汚れたその顔に苦しみはなく、まるで解放されたかのような安らかなものだった。
彼の想いは永遠にわからない。
だがサイラスを大事に想う彼女には、その欠片だけでも届けてあげたかった。
「うあぁぁぁぁぁあぁぁっ────」
部屋の中に響き渡るリアドーネの嗚咽を、ナイルはその身体ごと強く抱きしめることしかできなかった──




