1章8話 商人ナイル
王女の部屋には、様々な宝飾品や、布地、雑貨品などを広げた商人がやってきていた。
つややかな栗色の髪は、くるんとウェーブしていて、その前髪からのぞくこげ茶の瞳はまん丸である。年齢より幾分か幼い印象の青年商人は、にかっと白い歯をみせて、饒舌に商売文句を口から紡いでいる。
「こちらは海岸地方の、貝殻の中からとれる宝石を連ねて作った特注の首飾りです。あぁ、こちらの蒼玉の指輪などもいかがでしょうか?殿下の瞳と同じ色でございますよ」
ニコニコと商品を説明していく商人。王女は一つ一つ手に取って、ものを確かめている。
「きゃぁこれも可愛い!私も欲しくなっちゃう!」
そう声を弾ませているのは、庭園での一件ですっかり打ち解けた、エレン、ミイナ、レーンの令嬢達である。王女の元に商人が来ていると聞くや否や、王家御用達の商品を物色しようとやってきたのである。
「次の舞踏会に向けて、私もドレスを仕立てるつもりだから、装飾も新調しようかしら?」
「そうしなさいよ。久しぶりに開催される、妃候補選びの舞踏会ですもの」
どうやら、近く開催される舞踏会に向けて、令嬢達は気合十分のようだ。
「キャルメ様は、お衣装などはどうされますの?」
王女の装いに興味津々な様子の3人だが、王女はしばらく考えてから答えた。
「そうね、特に考えてはいなかったのだけど…王太子殿下の気に入りそうなものは何かあるかしら?」
商人はすかさず、今まで開けていなかったかばんを開け、中から一巻きの布を取り出した。
淡い水色の生地に、精緻な金の刺繍が施された、非常に豪華な代物だ。
王女は手に取って、生地を体にあてると、黄金色の髪が映えて、よく似合っている。
「こちらは、さる公爵家の方が王女殿下にと特別に作らせた一品でございます」
生地もさることながら、その商人の言葉に、満足げにうなずきを返しながら、キャルメ王女は微笑んだ。
「これを頂くわ。ところで私の騎士にも何かいいものはないかしら?」
王女はちらりと部屋の隅にたたずむアトレーユに視線を送った。
商人も、静かに控えている銀髪の騎士に顔をむけると、にこりと笑顔をみせた。
「お客様もいかがですか?男性用の指輪やカフスもございます」
アトレーユは商人に近づいた。といっても商品に興味があるわけではない。特にもの欲しそうでもないアトレーユをからかうように、商人はこう続ける。
「お客様でしたら、女性へのプレゼントなどをお選びになってもいいでしょう」
この言葉にすかさず反応したのは、令嬢たちである。
「どなたか贈り物をされる方がいらっしゃるのかしら?あぁうらやましいわ」
もしかして自分へ贈ってもらえるのでは?という淡い期待を胸に、熱い視線を送ってくる。
そんな令嬢たちの様子に栗色の髪の商人は、可笑しくなって営業スマイルではない笑いがこみあげてしまった。
それに気付いたアトレーユに一睨みされて、こほんと咳払いをしてごまかす。
「こちらの翡翠のカフスなどいかがでしょう?こちらはとある異国の王家と縁の深い貴族の方から買い取ったもので、こちらに宝石についての鑑定書もございます」
「ふむ……いい品だな。これをいただこう」
商人の勧め通り、アトレーユは即断してカフスを買った。
商人は大喜びでありがとうございますと何度も言った。
そんな様子をみたアトレーユは、まったくこいつは商売人の方が向いているんじゃないか?と、いそいそと商品を包む青年を見て思った。
そう、彼は商人ではなく、アトレーユの部下の一人である。
「次に持ってきてもらいたいものを、ここに書いておいた。次はこれを頼む」
アトレーユはそう言うと、封筒を一つ取り出し、部下である商人に渡した。
「それと、あちらのお嬢様方にも何か見繕ってくれ。代金は私がもつ」
その一言に、きゃぁと令嬢たちから歓声が沸き起こる。
それをにやけた顔で了承する商人。商人の化けの皮が剥がれ、上司をからかう、生意気な部下の表情だ。
その表情を無視して王女に向き直ると、すっと優雅な礼をとった。
「仕立て屋のご用意をしておきます。こちらもお預かりいたしましょう」
「そうね、頼むわ」
そういって王女の手から、先ほどの布地を受け取ると、部屋の外にいるガノンに、後は頼むと言って、自室に下がった。
王女の部屋の隣にある自室にて、アトレーユは椅子に座り、机の上で、先ほどの品物を広げた。
布地の巻物の芯の端を触り、ナイフで端に切り込みを入れる。すると、ノリでつけられていただけの端は外れ、筒状になった芯の中から、紙が出てきた。
一見すると、ただの点と線しか書いていないような代物だが、ロヴァンス王国の特務師団で使われている暗号の一種である。
アトレーユの3番目の兄のジェデオンが、特務師団の副長を務めており、これは彼からの連絡である。特務師団でのみ使われている暗号だが、アトレーユはポワーグシャー家の教育でこれをすでに習得していた。
内容にざっと目を通し、これからのことを思案する。
さらに、翠玉のカフスについてきた鑑定書をとると、燭台の炎で紙をあぶった。何やら地図と文字のようなものが浮き上がってきている。
いわゆるあぶり出しで書かれたものであるが、宝石と鑑定書自体は本物だ。惜しげもなく、それを伝達用として使ったのは、兄のジェデオンである。
もともとこのカフスは彼のものであるが、以前、女性からの貰い物だと言っていた。その女性は未亡人だか何だか忘れたが、ジェデオンに取り入ろうとする女性は多い。まだ独身なので、将来有望の兄はかなりモテる人物なのである。
しかし、女性からの貰い物をこのようにぞんざいに扱うので、その性格は推して知るべし。
とはいっても、諜報の腕は一流なので、たとえ兄が女性の敵であっても、自分には関係ない。
ジェデオンが知らせてくれた内容は、次の通りであった。
『ノルアード王太子は騎士団長の実家、ストラウス家の養子。養子となった経緯は不明。国王は三か月前より病床に伏せる。暗殺未遂の疑いあり。幼い頃に病死した第一王子は第二王子の母による暗殺。母親はすでに死亡しており、第二王子はその事が発覚し失脚。第三王子は同時期に、収賄の罪で失脚。他不明な資金の流れあり。第二、第三王子ともに、王城から離れて別の離宮に滞在している』
『国境沿いの森での襲撃者は、訓練された兵士の可能性。(簡潔な地図)』
巻物の方の暗号は、以前からこの地で諜報していたものを、まとめたものであろう。
また、鑑定書の報告については、王女の襲撃後すぐに祖国に遣わした部下、先ほどの商人に身をやつした青年で名をナイルというが、彼が調べて、ジェデオンがこちらにカフスを持たせてよこしたのだ。ナイルはこれからもつなぎ役として、職務を全うするだろう。
あぶり出しによって浮かびあがった地図は、どうやら盗賊と思しき襲撃者のアジトを示すものらしい。地図上にいくつかの点がある。
これらの報告を読んだことにより、ラーデルス王国とノルアード王太子に対しての疑念が深まる。王位をめぐっての骨肉の争いの只中に、キャルメ王女が巻き込まれていくのが口惜しい。
どのように王女をお守りするかと思案していた時、ふと、とある人物を思い出し、胸がチクンとした。
黒髪に金色の瞳をもつ、爽やかに笑う青年。浮かんだ顔は先ほど帰路を共にしたラスティグ騎士団長だ。
アトレーユは眉を顰めた。すぐに頭を護衛のことに切り替え、これを振り払う。
騎士としての決意を揺らがしかねない感情の芽生えに、本人はまだ気づいていなかった。
退城した商人姿のナイルは、商売道具を抱え、帰路を急いでいた。
彼はもともと、ロヴァンス王国の特務師団に所属し、アトレーユがキャルメ王女の護衛隊長に任ぜられたと同時期に、特務師団から護衛部隊に異動してきた。
男性ながら、アトレーユよりもずいぶん小柄で、護衛騎士としての腕は他の隊員には及ばない。しかし彼のもっとも得意とするところは、諜報活動である。それは今回のラーデルス王国の訪問に際して、大いに役立っている。
年下で女性ながらに隊長として活躍するアトレーユのことを、当初は面白く思っていなかったが、今では騎士として、女であることに甘えない、彼女の愚直さを気に入っていた。
そんな隊長から直々に、自分の得意分野での任務を任ぜられたので、ナイルはやる気十分であった。知らず顔がにやけてくる。アトレーユと違い、追い込まれるほど、笑いがこみあげてくる気質ある。
(さっそく目を付けれらているなぁ。わかりやすい尾行だことで)
入城した時から、監視の目はあったが、城を出てからも、しっかりと尾行がついてきている。アトレーユ達とのやり取りも身元がばれないよう、最大限に気を配ったつもりだが。
勿論、尾行されていると気づいて、反応するようなバカではない。尾行に気付いても、それを勘付かれないことが肝要である。
素知らぬふりで、大通りで道草を食いながら、尾行者を確認。次の調査にむけて、ターゲットをピックアップするのである。
尾行者はあまり慣れていないようで、チラチラとこちらを気にしているのが、あからさまである。どこかの貴族の侍従のようだ。
(あの男は……)
ふと、どこかで見たような気がして、記憶を手繰る。そして、思い当たると、ニヤリと不敵な笑みを口もとに浮かべた。
(面白くなってきたねぇ)
次の調査地を決め、満足して帰路に就いた。