1章78話 天幕での話し合い1 トラヴィスの狙い
焼け落ちた離宮のほど近く、ロヴァンス軍の野営地の天幕では、ポワーグシャー家の兄弟たちと、王女達の護衛が集まって話し合っていた。
その中でアトレーユは今後の事について、兄と意見を対峙していた。アトレーユは事件の真相を知るために、ラーデルス王国に留まることを望んだ。その奥には何とかしてラスティグを助けたいという思いがあった。
「ダメだ。ラーデルスの王城へ戻ることはできない。このままロヴァンスに帰るぞ」
ポワーグシャー家の次兄グリムネンは、渋い顔をしてアトレーユを諫めた。いつもなら妹の味方をするグリムネンであるが、ここはロヴァンス騎士団第一師団長として譲れない意見であった。
「ですが、このまま彼を見殺しにするなど……」
悔しそうにアトレーユは唇を噛み、項垂れている。
その様子を見てグリムネンはますます眉間に皺を寄せ、大きなため息をついた。
「……やはり気に食わないな。お前にそんな顔をさせるなんて」
グリムネンは妹ティアンナの顔に手をやると、上を向かせてその顔を覗き込んだ。じっと紫の瞳の奥を見つめる。
騎士としての矜持の奥に、ティアンナの淡い想いが灯っているのが見えた。
再びグリムネンは大きなため息をつくと、黒い甲冑に身を包んだ騎士に向かって声をかけた。腕に翠の腕章をしている黒甲冑の騎士は、今は鉄仮面を外している。
それは三男のジェデオンであった。
「ジェデオン。お前はどう思う?」
それまで彼らの話し合いを隅の方で黙って聞いていたジェデオンは、口もとに弧を描くと、天幕の中央に歩きながら答えた。
「そうだねぇ。アトレーユの意見に俺は賛成かな?なかなか面白いじゃないか。このままラーデルス王国が滅びる様を、この目で見届けていくのもさ」
冗談にしてはたちが悪いセリフを言い放つと、その美しい容姿からは想像もつかないようなどす黒い笑顔を周囲に振りまいた。
「あのサイラスって王子が気にかかるんだよねぇ。あんな自殺まがいのことをして、彼に何の得があった?きっと王位を得るのが目的じゃなかったんだろうな」
ジェデオンの言葉に皆閉口する。
確かにサイラス王子のことは気にかかっていた。何故エドワード王子の離宮にいたのか。そしてどうして敵と行動をともにしていたのか。
すべてが謎のまま、彼は死んだ。
「トラヴィスの狙いは両国の戦だった。だがそれが失敗して、狙いをラーデルスの王子の命に定めた。何故サイラス王子はトラヴィスの側にいたんだろうね?」
うまくトラヴィス王国の策略の裏をかいたつもりだったが、結局は敵の思う通りの筋書きになってしまったのかもしれない。さらに重たい沈黙が彼らの周囲を支配した。
「ナイルの調査では、サイラス王子はトラヴィスと通じている可能性が最初からあった。しかしそれは王位を狙ってのことだと予測していたが……今となってはわからなくなってしまったな」
ジェデオンは静かに自らの考えを述べた。もうふざけたような笑みはこぼしてはいない。
それに対してグリムネンは眉間に大きな皺をよせ、ジェデオンの意見に反論した。
「だったらなおの事、ラーデルスに留まるのは危険じゃないのか?王位争いがここまで泥沼化している中に、王女殿下をお連れするわけにはいかないだろう?」
次兄グリムネンの反論はもっともな事である。ロヴァンスの面々にとって最重要なのは、キャルメ王女の安全だ。
この言葉に王女は申し訳なさそうな顔をし、アトレーユは自らの浮ついた考えを反省して顔を顰めた。
だが三男のジェデオンはその反論に対して再び嘲るかのような表情をすると、大げさな身振りをつけて周囲の者に問い始めた。
「このままラーデルス王国が崩壊したらどうなる?サイラス王子の心中は知らないが、トラヴィス王国の思惑は今のこの状況だろう。そしたらその次は?ラーデルスを追い詰めた先に奴らが狙うのは?」
ジェデオンが特務の調査内容や彼自身の考えを、ここまで人に対してぶつけることは、普段の彼ならばしないことだ。それだけこの状況に、ジェデオンが危機感を抱いているということである。
「……ラーデルス王国をトラヴィス王国が乗っ取る……とか?」
今まで黙って聞いていた護衛のアトスが、恐る恐るジェデオンに聞いた。大きな体をしているが、この状況に不安を抱いて、背を小さく丸めている。
「……そうだ。ラーデルス王家は常に跡継ぎの問題が絶えない。第1王子の死亡、第2王子も亡くなってしまった。第4王子は義理の兄であるストラウス公爵家の長子が、第2王子を弑逆した罪によって彼もまた失脚するだろう。……残った第3王子に果たして次期国王の座が務まるかな?」
ジェデオンの冷静な分析に対して、もはや反論の余地はなかった。そんな彼らをジェデオンは冷徹な目で見据えると、さらに続けた。
「可能ならば全ての王子を弑逆しようとしたのだろうが、それでもトラヴィスの奴らにとっては、現状でも満足のいく結果なのだろう」
「確かに……あのエドワード王子でしたら、生かしておいても脅すなり傀儡にするなり、トラヴィスにとって都合よくできそうですものね」
そう言ってジェデオンに賛成の意を示したのはキャルメ王女だった。
「そうです。このままラーデルス王国がトラヴィス王国の手に落ちれば、ロヴァンスにとって脅威になる。ラーデルス王国は資源が豊富な国だ。それがトラヴィス王国に流れるようなことになっては……」
ジェデオンはその後の言葉を濁した。
今まではトラヴィス王国の侵攻を幾度となく食い止めてきた。しかし隣国ラーデルスがトラヴィスの側につくならば、状況は全く変わってしまう。いくら軍事力に長けているロヴァンス王国でも苦戦するのは明らかである。
「……最悪だな。ラーデルス王国は自然の守りに固められているから、トラヴィス王国の侵攻は問題視していなかったが……。まさか内側からの崩壊を目論むなど……」
グリムネンはさらに苦悶の表情を浮かべ、自らの考えの浅さを反省しているようだ。
「だがこれからどうするのだ?我々ロヴァンスの人間がどうにかできる状況でもないだろう?それに王女殿下にとっては、危険極まりない状況であることに変わりはない」
ここまでの状況整理によって、ロヴァンス王国としても事態の収拾に協力しなければならないのは明らかとなった。しかし王女の事を思えば、そう簡単にはいくまい。全員に相当の覚悟が必要となる。
前にも後ろにも進むことを皆が逡巡している空気の中、ある人物が口を開いた。




