1章77話 振り返らないその背中を
「なに!?今一度申してみよ! 」
ラーデルス王国の王城では、ストラウス公爵の使いの者の報告に対して、国王が声を荒げていた。早馬によって、夜が明けると同時に使者は城に到着していた。
「第2王子のサイラス殿下がお亡くなりになりました。そして……殿下を手にかけたのが、ストラウス公爵家のラスティグ騎士団長だと報告がはいっております」
使いの者は、言いにくそうにだが、事の次第を国王に報告した。
「……なんということだ……」
王の謁見の間には、護衛の者のごく少数しかいなかったが、それでも彼らが息を飲むのが聞こえてきた。
「第3王子のエドワード殿下が主導となって、騎士団長を拘束、断罪せよと命を下しているようです」
国王はそれを聞いて唸るように俯くと、しばらく黙り込んでしまった。重苦しい沈黙が、彼らを圧し潰そうとするかのように鎮座した。
国王は考えこみながら、落ち着かなく玉座の周りをウロウロしている。しかしかなりの時間そうしていたので、使いの者がしびれを切らし言葉をつづけた。
「……すでに罪人として護送の為の準備を始めているようです。あの……いかがいたしましょう?」
ピタっと国王は足を止めると、使いの者に背を向けたまま言った。
「……騎士団長は王城の牢へ入れる。私が直に調べよう。他の者の手出しは一切ならん。調べが終わるまでは、王子達にも口をださせるな。いいな?」
地の底から闇が這いあがってくるような低く響く声で命を下す。背を向けて表情が見えない分、ぞっとするような怒りと恐怖が使者を襲った。
「か、畏まりました!そのように……」
深くお辞儀をすると、使者はそそくさと謁見の間を辞した。
しばらく国王は動かずにまた沈黙していたが、ふと顔を上げると、そばに控えているだろう影の者に声をかける。
「ハーディンを呼べ」
「御意」
玉座の影から一言了承の意だけが聞こえた。国王は難しい顔のまま玉座へと腰をおろした。そしてひじ掛けに肘をつき、顔を覆う。
涙などすでに自身の心のように枯れきってしまっている。
悪魔よりも非情な怪物に成り下がった自分には、人間らしい温かい血も涙も流れてはいないのだ。そのことに国王は更に哀しみがこみあげてきた。
彼にできるのは、流れない涙を憂いて、肩を震わせるのみだった──
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「ラスティグ!」
兵士に連れられてきたアトレーユは、ラスティグを見つけるとその名を呼んで駆け寄った。しかし彼は縄で縛られ兵士に腕を掴まれながら、馬車に乗せられるところだった。
「ラスティグ!!」
アトレーユがその名を叫んでも、ラスティグは振り返らない。
護送のために用意された馬車が、地獄への入り口を開けて、罪人を迎え入れた。
黒く堅牢な造りの馬車は、鉄格子のついた明かり取りのための小さな窓があるだけで、非常に質素なものだ。その入り口にはしっかりと頑丈な鍵がかけられ、周囲を警護の兵士たちが固めている。
馬車に近づこうとしたアトレーユは、その兵士たちによってとめられてしまった。
「彼と話をさせてくれっ!」
「申し訳ありませんが、それはできません。どうか離れてください!」
その兵士も感情を抑えようと努めているかの様子だ。アトレーユと同じように騎士団長の捕縛を不服に思っているのかもしれない。
「──っ」
馬が嘶き馬車が静かに走り始めた。警護の兵士たちも沈んだ顔でそれに従った。
まるで死神が導く葬列のように続くその一団を、アトレーユは走って追いかけようとした。
しかし足にはまだ力が入らず、地面に思い切り倒れ込んでしまう。土を掴みながら、馬車が遠く小さくなっていくのをただ見つめる。
「ラスティグ……」
振り向くことのない彼の後ろ姿だけを、必死に探してその名を呟いた──
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ガタゴトと馬車の揺れる音と、周りを固めているであろう兵士達の馬の蹄の音だけがしている。
堅牢だが質素な造りの車内は、椅子というものはなく、床にそのまま座るしかない。馬車の振動が直に体に伝わってきた。
ラスティグは馬車の中に座りながら、一連の出来事について考えていた。焼け落ちた城の事後処理は大丈夫だろうかとか、部下の何人が犠牲になったのだろうとか、ノルアード王子との間の誤解を解けぬままだっただとか、自分の行く末よりも他の事ばかりが気になっていた。
そしてあえて考えないようにしていた人物の姿が頭をよぎる。
美しい銀髪に、熱い情熱を秘めた紫の瞳。
自らの手でその命を奪おうとした人。
騎士としての生き方や、その意志の強さに心惹かれた。
──自分にとって彼女の存在はすでに大きくなっている。
「ティアンナ……」
その存在を確かめるかのように、彼女の名を呟いた。
床を見つめていた視線を上にあげる。小さな窓からようやく昇り始めた太陽の光が、か細い光の筋を暗い馬車の中に差し込んでいた。
馬車の中の埃が光の中を舞って、うつろうように金銀にきらめいている。
確実に死へと向かう馬車が、急かすように時を刻み続けていた。
だが彼は時を止められたかのように、その光の舞に見入った。
信心深い者が神に許しを乞うために祈るのと同じで、まるでその光こそが許しのように思えたのだ。
その光の先に彼の人を思い浮かべる。
彼女は最後にどんな表情をしてこの名を呼んでくれたのだろうか。
────振り向くことができなかった。
いままで多くの者の命を奪ってきた。
その中の一人にしようとした彼女に、今更どうしてこの顔を見せることができよう。
これは罰なのだ。
自分が犯してきた多くの罪の。
許しはない。
許してはならない。
強く戒めの言葉を自分自身に刻みつけ、再び視線を床に戻した。そしてゆっくりと目を閉じる。
彼女の面影だけを瞼の裏に留め、静かにその時がくるのを待つために────




