1章76話 王族殺し
「一体どういうことだ!?」
ノルアード王子は声を荒げて、報告にきた兵士に詰め寄った。
離宮から少し離れたところにある軍の野営地の天幕では、キャルメ王女やアトレーユ達がノルアード共にその兵士の報告を聞いていた。
「そっそれが、えぇと……団長がサイラス王子を斬ってしまって……それで、えぇとエドワード王子が……」
しどろもどろになりながら、詰問された兵士はよくわからないことばかりを言っている。
「はっきりと言わないか!どうしてラスティグが罪人として捕まるのだ!」
いつになく感情的になっているノルアード王子に対して、兵士はすっかり萎縮してしまている。何とか聞き出した報告ではラスティグが罪人として捕縛され、王城まで移送されるとのことだった。混乱した状況での、驚くべき事態にアトレーユ達は困惑するばかりだ。
その時、天幕に兵士と共に入ってくる人物がいた。入り口の布が開けられ、薄暗い天幕に薄っすらと朝日が差し込む。
その人物はエドワード王子だった。
王子はこのような状況にも関わらずニヤついた表情でこちらを見回した。
「やぁ、君たちにも状況を教えてあげようと思ってね。何をそんなに言い争っているんだ?」
不穏な空気をさも楽しんでいるかのような表情だ。
「サイラスは死んだよ」
「──!?」
エドワード王子の発言に皆は息を飲んだ。
「騎士団長殿がサイラスを殺したんだ」
実の兄が死んだというのに、エドワード王子は嬉しそうに笑っている。その異様な光景にアトレーユ達は次第に気分が悪くなってくる。夜が明けてもなお、おぞましい悪夢は続いていた。
「何を馬鹿なことを!嘘をつくんじゃない!」
エドワードの発言にノルアードは憤慨し、吐き捨てるように彼を怒鳴りつけた。今までに見たこともないような恐ろしい形相で、エドワードを射殺さんばかりに睨みつけている。
「団長殿に危ない所を助けてもらったことには感謝している。それにサイラスを殺してくれたことにもね」
エドワードはぞっとするような笑みを浮かべて、自らの言葉に狼狽するノルアードを見ていた。
「……それとお前も終わりだ、ノルアード。ストラウス公爵家の後ろ盾がなければ、お前などゴミくず同然の王子だよ」
「──っ!」
「王族殺しの罪は重い。極刑は免れないだろう。悪ければ一族もろともな。今から楽しみだ……くくく……あーはっはっはっはっ」
不気味な笑い声を響かせて、エドワードは去っていった。
ノルアードはその後ろ姿に向けて、近くに置いてあった木の盃を怒りにまかせて投げつけた。
しかし中身のはいっていない盃は、天幕の布に当たっただけであっけなく下へと落ち、今は虚しく地面を転がっている。
「ノルアード様……」
キャルメが気遣うように、ノルアードに近づこうとした。
しかしノルアードの殺気立った様子に怖気づく。全てを拒絶するかのような気配に、足が震えそうになった。
「……」
ノルアードはそんな王女の怯えた様子に気付かないのか、無言で落ちた盃を拾うと、そのまま天幕を出ていってしまった。
皆は呆然とそれを見送るしかなかった。
暫しの間、天幕の中は重苦しい沈黙が支配していたが、その沈黙をアトレーユが破った。
「……連れて行ってくれ」
おもむろに報告に来た兵士に声をかける。
「私をラスティグの所へ連れて行ってくれないか?」
天幕の中に造られた簡易的な寝台にアトレーユは寝かされていた。しかし今は身体を起こしてラスティグの元へ行こうとしている。
「ティアンナ……まだ傷がちゃんと塞がっていないのよ?あまり動いてはいけないわ」
王女がアトレーユを窘めてそれを止めた。
「しかし……彼が罪人として捕まるだなんて……」
アトレーユはラスティグの様子が気になっていた。
離宮から逃げ出す時に、彼らは確かに通じ合うものがあった。その胸の想いを今はしっかりと受け止めることができる。
──だからこそ側にいたいと思うのだ──
「……ミローザ、お願いです。私を彼の元へ行かせてください」
「──っ」
キャルメはアトレーユのその発言に、複雑な想いが胸中を駆け巡るのを感じた。
アトレーユの発言は、きっとティアンナとしての望みだろう。
騎士として女性の部分を否定してきた彼女が、やっと女性としての生き方を自身が認められるようになったのだ。そう思うと嬉しくもあり、少し寂しくもある。
しかし運命は彼らになんと残酷なことをするのだろう。
ティアンナが女性として初めて心を寄せた者は、この先断罪される運命にあるのだ。
────王族殺し────
皆が声に出さないその言葉が、凍てつく氷の刃のように突き刺ささる。王女は目を逸らしたくなるような痛ましい気持ちを抑えて、ティアンナの方を見た。
彼女の眼に涙はなかった。茜から夕闇に移り変わるような美しいその紫の瞳は、まだ希望の光を失ってはいなかったのだ。
「アトレーユ……」
ティアンナのその強い眼差しに、王女は再び彼女をアトレーユと呼んだ。
もう騎士をやめてほしいと願ったのに、そこにいたのは強い意志をもった紛れもない騎士だった。
「無茶はしません。ですが、私にできることをさせてください。お願いします」
アトレーユはそういって寝台から降りると、王女に向けて跪いた。力がうまく入らないのか、少しよろめいてしまった。だが決して、アトレーユは王女が許可するまで、跪くのを辞めなかった。
「……わかりました。でも一人にはならないで。今の貴女の体では騎士として戦うこともままならないでしょう?」
王女は切なく微笑みながら、アトレーユの行動を許可した。アトレーユがここまで強い意志を、王女以外に関することで示すのは珍しいのだ。
それだけ彼女の中に強い想いがあるのだと王女は感じた。
「わかりました。王女殿下……ありがとうございます」
アトレーユは王女の手を取ると、その甲に口づけた。
少し痩せてかさついたアトレーユの手に、王女の心は切ない痛みを覚えた……




