1章7話 二人の騎士
アトレーユはラスティグの見事な剣捌きを目の当たりにして、改めて自らの姿を省みた。
帯刀してないとはいえ、これでも騎士の端くれである。素手で敵を倒すことは訳もないが、威圧だけで相手を撃退することはかなわない。アトレーユの実力を知っている者であれば違うだろうが、先ほどのアトレーユに対するゴロツキたちの舐めた態度と、ラスティグが現れてからの態度の違いがそれを物語っていた。
己がいくら鍛えても、華奢な女の体であるということを見せつけられたようで、心臓を掴まれるような苦しさを覚える。
そんな胸中を露とも知らず、悪者共を片付けてきたラスティグが、心配そうに近づいてきた。
「大丈夫でしたか?アトレーユ殿。怪我などは?」
「……大丈夫だ」
ぶっきらぼうにそういうと、アトレーユは黙り込んでしまった。
ラスティグも何と言っていいかわからないようだ。気まずい雰囲気が二人のまわりに重く漂う。
アトレーユは、途中で手放していた荷物を無言で拾いあげると、すたすたと歩きだした。
「やぁ、買い物の途中でしたか」
何か話題をと、にこやかに言ってくるラスティグに対し、わざとらしい会話を続ける気のなかったアトレーユは、核心をついて言った。
「朝から人のことをつけていたのだから、ご存じだと思っていましたが?」
そもそも尾行されていなければ、面倒事に巻き込まれることもなく、嫌な気分にもならなかったものをと、全てをラスティグのせいにして、怒りの矛先を向ける。
今度はラスティグが黙る番だ。
「こんなところまでつけまわされて、気分のいいものではない。こんなことは貴殿の仕事ではないでしょう」
ここには、茶化して場をなごます部下たちも、にこやかにアトレーユをとめてくれる王女もいない。ついついきつくなった言葉がそのまま口から放たれる。
「気づいておいででしたか……流石ですね」
「この程度に気づかぬは、ロヴァンスの騎士の恥というもの。笑わせるな」
誇り高き騎士の言葉に、知らぬうちに彼を侮辱していたことにラスティグは気づいた。そして今まで自分が、彼を侮っていたと思い知る。アトレーユの騎士としての矜持は、見せかけだけのものではない。
どんな状況でも決してアトレーユは引くことはない。本物の騎士道精神がその華奢な体に宿っており、ラスティグはそれを垣間見た気がして、自らの存在を小さく感じた。
そしてアトレーユの前に回り込むと、その頭を下げた。
「申し訳なかった。私はどうやら貴殿を侮っていたようだ。騎士の矜持を傷つけるつもりはなかったのだ」
そういった彼の真剣なまなざしと姿勢に、アトレーユは気持ちを軟化させた。精悍な顔立ちの目の前の青年は、真摯に謝罪をしている。騎士としての矜持を傷つけたことに対して。
ラスティグをまっすぐに見つめ返すと、ふとアトレーユの胸の中に彼を認めようという気持ちが芽生えた。騎士として相手を認めるということは、アトレーユにとっては、深い意味があった。
自らも騎士となるべく厳しく育てられ、また立派な騎士である親兄弟に囲まれていたのだ。並大抵の者では認めることはできない。それは剣の腕だけではなく、人となりについてもである。
「こちらこそ……先刻は失礼な態度をとって申し訳なかった。改めて礼を言う。ありがとう」
自分の態度の悪さを反省し、丁寧に礼をとった。自分の非を素直に認められない点が、まだまだ甘いと痛感する。その点、ラスティグの素直さや実直さは見習うべきである。
いままでの重苦しい空気から一転、そこには、お互いを認めた二人の騎士がいた。
ふと気づくと近くにはまだ、男たちが伸びていて、通りかかった人々がなんだなんだ?と騒いでいる。
どちらからともなく、ふっと笑いがこぼれると、二人の笑い声が路地に響いた。
「このままにしていては、道行く人の邪魔になる。どうしますか?騎士団長殿?」
丁寧な言葉でしゃべるアトレーユはさも可笑しそうだ。それをみて、ラスティグも眉尻をさげて笑う。
「警備兵を呼んできて、後始末をさせましょう。我々の仕事はここまでだ」
確かに、片付けるのは性に合わないなどと、二人で冗談を言い合いながら、大通りに向けて連れ立って歩いた。
あとを近くの警備兵に丸投げして、城までの道のりを、いろんな話をしながら歩いていく。剣のことから、故郷のことまで、気づけば同胞のような気安さを、お互いが覚えるようになっていた。
しかし、ラスティグがなぜ尾行をしていたのか、アトレーユはあえて聞かなかった。いや、聞けなかったというのが正しい。この気安い空気を壊すのも気が引けたし、何よりこちらの外出の理由を詳しく聞かれるのも都合が悪かった。お互いが仕えるものの立場はあまりにも違う。騎士として、人間として、ラスティグへの信頼は芽生え始めていたが、それまでだ。立場が違えば、いくら信用に足る人物であろうと、敵となる。
そのことを肝に銘じ、アトレーユは城へ戻った。
城に戻ったアトレーユは、他に用があるというラスティグと別れ、王女の待つ部屋へと向かう。
「意外と遅かったのね」
アトレーユが入室するなり、キャルメ王女はすぐにそう声をかけてきた。
遅かったのをとがめているのではなく、これが心配からくるものであると、アトレーユは知っていた。そんな王女の優しさに、ふっと表情が柔らかくなる。
「あら、ずいぶんご機嫌じゃない?」
普段との小さな表情の違いにすぐ気がつく王女である。
そう言われて、アトレーユはドキッとした。なぜだかわからないが、頬が熱くなるのを感じる。
「そうですか?俺らにはよくわかりませんが?」
今日は一段と口が軽くなっているアトスが隊長の顔を覗き込む。
「わからないなら、さっき皆でしていた会話の内容を伝えてみましょうか?機嫌がよいか悪いかすぐにわかるわよ?」
ニヤリと意地悪く王女が言うと、途端に部下たちが慌てだす。
「やぁそこまでわからなくもないかな。なぁ?隊長の機嫌が良いことに越したことはないし!」
うん、うん、と必死にうなずきあっている。どうやら王女と一緒によからぬ話をしていたに違いない。
やれやれと思いつつも、きつく部下たちを言い含める気も起きない。どうやら本当に自分は機嫌が良いらしい。
自分の中によくわからない感情がうずき始めているのを感じた。
だがその思いをすぐさま打ち消し、王女への報告を優先させる。
「午後に私が贔屓にしている商人がこちらへ伺います。その者は殿下の欲しいものをもってくるでしょう」
「わかったわ。ありがとう」
にっこりと優しく王女は微笑んだ。自分を信頼してくれている顔である。
深い海の底のような青い瞳には、知性の光と慈愛が満ちている。総てを承知しているかのような、優しく深いその瞳を見つめながら、アトレーユは、幼き日のことをふと思い出していた。
自分がこの方にお仕えすることになったその日のことを。
そして、一生をこの方に捧げようと決めた日のことを。
なぜこのタイミングなのかはわからない。が、水滴が水面に波紋を広げるように、胸に淡い憂いが広がるのをじっと感じていた。
一方アトレーユと別れたラスティグだが、兵舎へは行かず、王太子であるノルアードの元へと参じていた。
「護衛隊長一人での外出か…何かわかったのか?」
「いや、特に怪しいところもなかった。出入りしていた商店も手広く商売している、普通の商店だった」
ノルアードと話すラスティグは、王太子と話しているというのに、特に畏まった物言いをしていなかった。ノルアードも別段気にする様子もなく、話を続ける。
「ふむ。だが、相手はロヴァンス王国きっての名門の騎士だ。ただ出かけていたというわけでもないだろう」
ノルアードの鋭い洞察に、ラスティグは、路地裏でのアトレーユの立ち回りを思い出していた。
(圧倒的だった……あれがロヴァンス王国の騎士の実力…)
地理的、物理的な不利をものともせず、果敢に立ち向かう勇気。美しいほどに洗練された技量。
それだけではない。ラーデルス王国に一行が来た日、彼らが森で盗賊に襲われた一件がある。
後に調べたが、森で倒されていた盗賊の数はすさまじいものだった。しかしどれも、一太刀に近い切り口で倒されていた。
あの少数で、あれだけの数の盗賊から馬車を守り切ったという事実が、どれだけ彼らが強いのかを物語っている。
その精鋭部隊を率いているのが、あの美貌の騎士であるのだ。
冷たい怒りに満ちたあの紫色の瞳を思い出し、ラスティグは身震いをした。武者震いである。自然と口もとに笑みが浮かぶ。
「なんだ?楽しそうだな?」
その様子にノルアードが気づき、面白そうにラスティグをみた。
「そうだな。俺はこの状況を楽しんでいるかもしれない。あの騎士と本気で剣を交えてみたくなった」
普段と違い、暗い感情を含んだ様子で不敵な笑みを浮かべた。
「お前がそこまで言うとはな。もしかしたら、その時がくるかもしれん」
そう言うと、ノルアードは鋭い眼差しを窓の外に向ける。目を細め、遠い空の向こうに想いをはせる。
「やっとここまで来たのだ。失敗は許されない」
ノルアードの胸に去来する想いを想像して、ラスティグは黙って側に控え、同じようにして窓越しに空を見た。
厚い雲が太陽を隠し、大きな影をつくる。それをじっと見つめ、自分たちの行く末にも同じく影が差すであろうことを感じていた。