1章69話 真紅の夜4 その腕に抱かれて
──ガキンッ!!──
「っ!!?」
突如黒い影が彼等の目の前に立ちはだかり、アトレーユに向かって振り下ろされたエドワード王子の刃を受け止める。
驚きに目を瞠った王子は、その影を思い切り睨みつけ叫んだ。
「貴様っ……!邪魔をするな!私の命令に従えっ!!」
「……申し訳ないですが、それは出来ませんっ……!」
エドワードと対峙したのは、ラーデルス王国騎士団長のラスティグだった。
自国の騎士団長の言葉に憤慨して、ぎりぎりと剣に力をこめるエドワード。
対するラスティグはそれを冷静に受け止め、一気に力をこめて弾き飛ばした。
エドワードの剣は宙を舞い、乾いた音を立てて地面を虚しく転がった。
「──団長っ!!」
どこかほっとしたような兵士たちが、一斉にラスティグの側へと集まる。
「みな大丈夫か!?すぐに殿下を連れて避難しろ!負傷している者には手を貸してやれ!」
ラスティグは騎士団長として彼等に指示を飛ばす。
「わ、私は……王子だぞ……!」
低く唸るように呟いたエドワード王子は、弾き飛ばされた剣を拾おうとした。
しかしそれよりも早く、ラスティグは王子の鼻先に剣を突き付けそれを制した。
「我々は貴方様にそのような危険なものを持たせるわけには参りません。いつでもこの身を賭して殿下の剣となり盾となりましょう。どうかその剣から手をお放し下さい」
ラスティグの声音は優しく丁寧な言葉遣いだったが、その表情は冷たく恐ろしいほどの殺気に満ちている。
その殺気を目の前で浴びせられたエドワードは、真っ青になって動けなくなってしまった。
また同じように固まってしまっている部下たちに対して、それをひと睨みしたラスティグは鋭く声をかける。
「おい!」
「はっ、はい!」
その声にハッとなった兵士たちは、すぐさまエドワードが手放した剣を回収し、動けない王子に肩を貸した。
「……くっ」
「早く行け!!」
ラスティグの鋭い声が部下たちを叱咤して先を急がせる。兵士達は悔しそうに顔を歪める王子を連れて、すぐさま避難を始めた。
彼等を見送ってから、ラスティグは床に座り込んでいるアトレーユに対して優しく手を差し伸べた。
「……アトレーユ殿……大丈夫か?」
先ほどまでの鋭い空気とは一変して、気遣うような声音で慎重に声をかける。
「……ラスティグ殿……ありがとう……」
アトレーユは安堵の笑みを浮かべながらその大きな手をとった。
二人の金と紫の瞳が交差する。
緊迫した空気が、一瞬だけ緩んだような気がした。
しかし恐ろしい現実は、彼らのすぐ足元まで迫ってきていた。
「もうこんなに煙がっ──!」
ラスティグは煙のまわる速さに焦り始めた。もくもくと白い煙があたりに充満しはじめ、徐々に視界が悪くなってきている。
「そうだ!王女は!?キャルメは無事なのか!?」
アトレーユは王女の無事をラスティグに問うた。
「あぁ、無事だ。あのナイルという男がさっき連れ出してくれたよ」
アトレーユを立たせながら、ラスティグは王女を助けるまでの経緯を簡単に説明した。
黒装束の男たちによる襲撃を知ったラスティグは、すぐにキャルメ王女の元へと走り、護衛と共に彼女を守っていた。
彼が優先したのは、アトレーユが大切にする姫君だった。怪我で動けぬ騎士の代わりに王女の元へと走ったのだ。
それは騎士として、アトレーユの事を想って下した決断だった。
「そうか……ありがとう……ラスティグ殿……ありがとう……」
アトレーユはラスティグの気遣いに、何度も感謝の言葉を繰り返した。次第に声が震え、アトレーユは手で顔を覆った。
もうその言葉は小さく聞こえないが、震える肩がアトレーユの気持ちを真っ直ぐに伝えていた。自分のことよりも、王女を気遣うアトレーユの騎士としての姿に、熱い想いが込み上げてくる。
ラスティグはそんな騎士に手を伸ばすのを一瞬躊躇したが、それでもその肩に触れアトレーユを支えた。
腕の中で小さく震える華奢な身体に、グッと胸が掴まれるような思いがした。
しかしいつまでものんびりしてはいられない。離宮に侵入した賊が城に火を放ったのだ。この離宮は古く改築や修繕を繰り返しており、木造の部分も多いため、火が回るのはとても速かった。
「ここはもう危険だ!行こう!」
彼らがいたのは離宮の三階部分で、すでに煙はものすごい速さで充満していた。
「……ごほっごほっ!」
アトレーユは充満する煙を吸い込みむせてしまった。
思うように動かない体に、アトレーユは歯がゆさと情けなさを感じた。
このままでは足手まといになりかねない。
「少しだけ我慢しろ……」
ラスティグはそう一言だけ断りを入れてから、アトレーユの身体をひょいと持ち上げた。膝の裏と背中に腕を入れて抱きかかえる。
「……なっ!?」
ラスティグの行為にアトレーユは驚いて言葉を失った。身じろぎをしようとするが、大きな手でしっかりと支えられているためできなかった。
「……大丈夫だ。安心して掴まっていてくれ」
そういってラスティグはアトレーユを一層力強く抱きかかえると、一気に駆け出した。
煙によってすでに周囲の視界は、ほとんどなくなってしまっている。それでも離宮の長い廊下をラスティグは迷わずぐんぐん進んでいった。
アトレーユは身体にラスティグの熱を感じながら、潤んだ瞳で彼を見上げた。
そこには一人の頼もしい騎士がいた。
真っ直ぐに前を見つめる金色の瞳は、とても美しく気高い獣のようだ。
力強く逞しい腕に抱かれて、自分がまるで小さな少女になったような気がして、嬉しいような切ないような気持ちが胸に広がった。
その不思議な心地よさに、瞼の裏が熱くなる。
アトレーユはラスティグの服の裾をギュッと掴んで、涙がこぼれそうになるのをこらえた……




