1章67話 真紅の夜2 アトレーユの目覚め
──なぜだ、身体が重い──
腕がまるで縛り付けられたかのように動かない。
意識を集中して体に動けと命令する。
右手が少しだけ動かせた。
よし次は左手だ。再び集中する。
左も今度は腕まで動かせた。
身体と切り離されていた意識が次第に覚醒していく。
すると今まで入ってこなかった情報が、脳にもたらされた。
──何だろう?……何か聞こえる──
激しく金属がぶつかり合う音や、人が怒鳴る声が聞こえてきた。
──戦闘だ!──
アトレーユの意識は一気に覚醒した!
戦いへの条件反射で慌てて起き上がると、思いもよらず胸に鋭い痛みが走った。
「うっ……」
どういうことだと痛みをこらえながら、自身の姿を見てみる。緩い大きめのシャツの下には、包帯が巻かれていた。
「そうか……あの矢に私は……」
ようやく自分の状況を理解して、次に周囲を見回した。
暗い。すでに夜のようだった。
ここはどこの部屋だろう?誰もいない……
そこまで考えが及んだ時、アトレーユはハッとなった。
「──っ!キャルメは!?」
どう見てもキャルメ王女はこの部屋にはいなかった。
ここはエドワード王子の離宮だろうか?見たことのない部屋だ。
しかも今は遠くから剣戟の音が聞こえてくる。不穏な気配が迫ってくるのが肌でわかる。
「キャルメ!!」
アトレーユはベッドから降りて壁に立てかけてあった自分の剣をもつと、裸足のまま部屋を飛び出した。
痛みをこらえながら壁に手をつき、一歩一歩足を運び廊下を進む。
本当は駆け出していきたいところだが、焦る気持ちとは裏腹に身体が思うように動かない。
突然バンッ!という大きな音と共に、目の前の扉が勢いよく倒れてきた。
それと同時に転がり出てきたのは、肩口から血を流した兵士だった。尻餅をついて後ずさるようにしているが、焦っているのか足が滑りちっとも後退していない。
そこへゆらりと不審な黒装束の男が出てくる。男の手には血のべっとりとついた曲刀が握られていた。
アトレーユが目を丸くしていると、黒装束の男は今にも兵士にとどめを刺そうとしていた。
(──まずいっ!)
──ヒュッ!──
アトレーユは素早く抜刀し相手の刃が振り下ろされるよりも早く、男の脇腹に剣を突き刺した!
「──っ!?」
男は攻撃を全く予想していなかったのか、うめき声一つ上げず、一瞬のうちに絶命し崩れ落ちた。
見たこともない男だ。だが明らかに影の襲撃者である。
自分が伏せっている間に一体どれだけの事が起きていたのだろうと、アトレーユの胸には焦燥と不安が押し寄せていた。
「これは……一体どうなっているんだ……?」
アトレーユは渋い表情で剣に付いた血を振り払い、今置かれている状況への疑問をぶつける。
「た、助かりました!」
動けずにいた兵士が、助けてもらったお礼を言ってきた。どうやら腰が抜けてしまっているようだ。
彼がでてきた部屋の中を見てみると、そこは踏み荒らされており、倒れている兵士や血まみれの黒装束の男の姿が他にもあった。
激しい戦闘がそこで繰り広げられたことがわかる。
それを目の当たりにしたアトレーユは、ますます王女の無事が心配になってきた。自分が側にいることができないのが歯がゆくて仕方がない。
「キャルメ王女の部屋を知らないか!?」
アトレーユはすぐさま王女の居場所をその兵士に問うた。
「は!はい!この廊下の突き当りの部屋です!」
「すまない、助かる!」
怯えた様子の兵士をその場に残し、アトレーユはそのまま廊下を突き進んだ。
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──漆黒の闇の中に真紅の三日月が浮かんでいる──
「あぁいい感じね……。とってもいい感じよ。うふふ」
その女は混乱する人間達を見ながら、不気味に笑っていた。
今はもう地味な村娘の恰好はしていない。
革製の真っ黒な装具を身にまとい、高い位置で括られた豊かな茶色い髪は長く風に揺らめいている。
煽情的な雰囲気のその女は、城門の塔の上から混乱する離宮の様子を眺めていた。
足元にはどす黒く汚れて見える人間のようなものがいくつも横たわっている。
それを踏みつけたまま、女はケタケタと可笑しそうに笑った。
「馬鹿な奴ら。もっと踊るといいわ…踊り狂うまで…ね……ふふっ」
その真っ赤な口元が、弧を描く月のように闇夜に浮かんでいた……




