1章66話 真紅の夜1 影の襲撃
アトレーユの部屋を辞したラスティグは、すぐにキャルメ王女の為に用意した部屋へと向かった。
すっかり陽が落ちて暗くなった廊下を、点々と灯る蝋燭の光を頼りに進む。
負傷した兵士たちが行きかっていた昼間の喧騒は、暗闇と共に次第に落ち着き、今は穏やかな時が流れているかに思えた。
ラスティグは、はやる気持ちを抑えながら、弟のノルアードの事を考えていた。
彼は今まで、ノルアードの望みを出来得る限り叶えてきた。その望みは我儘などではなく、彼の大きな目的の為に必要なものだった。
だがラスティグは初めてその望みを拒否したのだ。
彼は廊下を進みながら、ぐっと拳を握り込んだ。それは手が小さく震えそうになるのを、抑えるためだと自分でもわかっていた。
その震えの原因が、アトレーユ、ノルアードどちらにあるのか。
心の中で二人を思い描くと、せつない感情が胸に広がった。
とその時、建物の奥の方で何か、人の叫び声のようなものが聞こえた。物が倒れるような音がした後、バタバタと人が走る音が聞こえてくる。
ラスティグはすぐさま駆け出した。
暗く長い廊下をぐんぐん突き進む。
そして階段まで来て、音が下の方から聞こえてくるのに気づいた。
階段を一気に飛ばして下へ降りると、兵士達が慌てた様子で走り回っており、階下は混乱状態となっていた。
「どうした!一体何があったのだ!」
近くを通った兵士の一人を呼び止め、詰問する。
「団長!それが……」
「おい!こっちからも来たぞ!」
その兵士が説明する暇もなく、他の兵士の怒号が飛んできた。
ラスティグは一つ舌打ちをすると、彼らの行く先に一緒について行った。
すると怪我人を寝かせてある大部屋の中から、剣戟がいくつも聞こえてきた。
部屋の中をのぞくとそこはまさに敵の襲撃にさらされている。
幾人もの兵士が血にまみれ倒れており、そこには黒装束に身を包んだ者達が、曲刀を踊るように振り回して、兵士たちに襲い掛かっていた。
「こいつら一体どこから!?」
兵士の一人が苦々しく吐き捨て、踏み荒らされた部屋へと入っていく。
「動けない者を援護しろ!そこの壁の穴だ!深追いはするな!迷うぞ!」
ラスティグもそれに続き、抜刀して敵へと斬りかかる。敵は形勢が不利になると悟ったのか、壁に空いた隠し通路の中へと姿を消した。
幾人かの残っていた敵は、ラスティグたちの手で始末されたが、部屋の惨状はひどいものだった。血が部屋中に飛び散り、何人かの兵士はすでに息をしていないようだった。
「穴を家具で塞いでおけ!奴らがここを通れないようにな」
素早く指示を出したところで、ラスティグはハッとなった。
「王族の方々の護衛はどうなっている!?」
「今別の者たちが援護に──」
ラスティグは兵士の答えを最後まで聞かずに、大部屋を飛び出した。降りてきた階段を再び駆け上る。
しかし階段を上った先で一瞬だけ迷った。
左に行った先にはアトレーユの部屋がある。しかし今は王族の方の安全を優先しなければいけない。
……最も優先しなければいけないのは──
ラスティグはその一歩を踏み出した──




