1章63話 ある少年の物語2 その熱が伝えるもの
それからしばらくして、ノルアードはストラウス公爵家の養子として迎えられ、表向きは少年の義理の弟ということになった。
(ノルアードはあんまり僕の事が好きじゃないみたいだ……)
自分は弟ができて嬉しいのに、相手の方はそうでないようだ。
彼はいつも一人になりたがり、少年を無視した。それでも少年が話しかけると、面倒くさそうにだが、ぶっきらぼうに言葉を返した。
少年には逆にそれが新鮮だった。
周りの大人たちはいつも柔和な笑顔で接してはくれるが、決して少年に本心を見せることはなかった。だが弟のノルアードは、たとえそれが嫌悪の情であっても、本心を隠さず接してくれていた。
それは少年にとってはじめて、相手を心から信頼することができるものだった。
「どこにいくの?剣の練習なら付き合うよ?」
「……うるさいな。ついてくるなよ」
いつものごとく、面倒くさそうにあしらわれる。
そのことになんだか嬉しくなって、少年は一層笑顔になった。そして早足で少年を置いていこうとする弟の、少し後ろを同じ早足で嬉しそうについていく。
「何笑ってんだよ?……変なやつ……」
そういってチラリとだけ後ろを振り向いて、またすぐに前を向いてしまった。それでも心なしか歩く速度が緩められたような気がした。
またそのことに少年の心は嬉しさで温かくなっていく。
弟は屋敷から離れてどんどんと草むらの中へ進んでいった。地面をキョロキョロ見ながら、何かを探しているようだ。
「何を探しているの?」
「……」
弟はその言葉に返事をせずに、黙ってあたりを真剣に探していた。
「俺も探すよ。ここら辺は詳しいし。それで何を探せばいい?」
「……花。青い……小さなやつ」
自分だけでは見つけるのに時間がかかると思ったのか、弟はしぶしぶ少年に探しているものを教えた。
「わかった。青い小さな花だね。それならここよりも、森の近くにそんな感じのがあったと思う。ほら、行こう!」
そういうや否や少年は、強引に弟の了承も得ず彼の手を引っ張って、森の方へと歩き出した。
しばらく歩いていくと少し薄暗くなっている森の側の茂みに、青い小さな花がたくさん咲いている所が見えた。
弟は繋いでいた手を外し、あっという間にその花のある所まで駆けて行った。そして手持ちのハンカチを取り出し、そこに花を集めている。少年も一緒にその青い小さな花を摘むのを手伝った。
しばらくすると花はハンカチの中いっぱいに集まった。素手で集めたため二人とも指の先が花の汁で青くなってしまった。
「これどうするの?」
少年がそう聞くと、弟は一瞬考え込んでから訳を話してくれた。
「……母さんにあげる。この花好きだから」
彼らの母親はいまだ具合が悪く、ベッドから起きられない生活をしていた。少年は弟の意見に賛同してすぐに花を母親に届けようということになった。
****************
屋敷に戻った二人はそのまま母親のいる部屋の前まで行った。
しかし今日は特に母親の具合がよくないらしく、子供たちの見舞いは父のハーディンがいるときだけと、入室を禁じられてしまった。
落胆して肩を落とす弟を励まし、少年は彼にとっておきの話をした。
「大丈夫、任せておいて。こっち」
そういって少年は母親の寝室の隣の部屋に、こっそりと弟を招き入れた。
「ちょっと危ないけど、ここのバルコニーから隣の部屋につたっていける」
「でも窓に鍵がかかっていたら?」
すぐに少年の意見に賛同したのか、弟は問題点を指摘した。
「あの部屋の窓の留め金、緩くなっているんだ」
少年はニヤリと悪だくみをする大人のように笑う。
実際彼はそうして、母が来る以前からその部屋に入り込んでいた。
母が以前使っていたというその部屋は、使用されていない当時、扉は固く閉ざされており、少年が中に入ることは禁じられていた。
しかしどんなことでもいい。母の痕跡の一欠けらでもいいから、彼は母親の事が知りたかった。そうして少年は、バルコニーから部屋の中の様子を伺おうとして、窓の留め金が緩いのを発見したのだ。
少年は弟とともにバルコニーに足を掛ける。バルコニーの間は若干離れているが、それでも子供にとって、なんとか届く距離ではある。
しかしここは2階だ。落ちればひとたまりもない。
慣れている少年が、先に隣のバルコニーへと渡った。そしてバルコニーの高さに若干尻込みしている弟に向けて、手を伸ばす。
「大丈夫。俺がついているから、ほら」
少年は弟が怖くないようにと、兄らしく力強く振る舞い、彼を安心させる為の明るい笑顔を作った。それに勇気づけられて、弟は意を決してこちらへ飛び移る。
宙をかくように伸ばされた弟の手を、少年はすかさず掴み取り、離さぬよう強く握った。
跳躍が少し弱かったが、少年がグイっと強く引っ張ったことで、弟はバルコニーの縁に何とか届いた。手すりと少年の手をしっかりと握って、弟は手すりの外側に必死にしがみついている。
「うまくできたね」
にっこりと笑いかけると、弟は目を逸らしてぶっきらぼうに言った。
「当たり前だろ」
しかし彼の手はまだ少し震えていた。それに気づいてクスっと笑うと、バツが悪くて顔を赤くした弟がこちらをじろりと睨んだ。
「なに笑ってるんだよ……変なやつ」
「なんでもない。さぁこっちに入って」
弟がどんなに無愛想でも、少年にとってはそれすらも嬉しいものだった。
手すりを越えさせるために、彼は弟の手をしっかりと握って、身体をささえてあげた。弟の体温が手から伝わってくる。
自分よりも少しだけ高いその熱に、彼はなぜだか涙がでそうになった。
──それは確かにここに彼の家族がいるのだと、少年の心に伝えていた──




