1章62話 ある少年の物語1 公爵家の跡取りと弟・出会い
彼が弟と出会ったのは、9歳を過ぎた頃だった。
「え……?母様が見つかったのですか?」
その少年は、驚いて父親の顔を見た。
普段はあまり表情を変えない父親だが、少年と同じ金色の瞳が今は動揺しているのか、微かに揺れている。
「……あぁ、迎えをやっているからもうすぐ屋敷に着くだろう」
父親はそれだけ告げると、足早にどこかへと行ってしまった。
一人残された少年は自身の足元を見つめ、その事柄をもう一度確認するかのようにつぶやいた。
「母様が……」
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しばらくして屋敷が俄かに騒がしくなった。
少年は期待に胸を膨らませて、母親との再会を心待ちにした。母親には物心ついてから、一度も会ったことはない。頭の中で思い描いていただけだ。
本当の母親とはどういうものなのだろう。
いつもそう思っていた。
しかし屋敷の人間達が、少年に母親について語ることはなかった。父親が話すことを禁じていたからだ。そして少年はそんな父親の想いを敏感に感じ取って、母親については何も聞かなかった。
素直でいい子。
それが少年に対する大人たちの評価だ。
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母親の到着の知らせを聞いて、少年は急いで彼女のいる部屋へと走っていった。
しかし部屋の前には大人たちが難しい顔をして立っている。使用人たちも忙しそうに行きかっていた。
部屋に入りたいと告げると、大人たちはこぞって彼を部屋から遠ざけようとした。
それでも少年は簡単には引き下がらない。
「奥様はお身体の具合がよろしくないので……お医者様がいいというまで、しばらくお待ちください」
使用人の一人が、彼にそういって納得させようとした。
「え……?母様どこか具合が悪いの……?」
少年のその問いを、もはや大人たちは聞いてはいなかった。誰もが自分たちの仕事でいっぱいで、少年の事を見てくれる者はひとりもいない。
少年は落胆しその場を離れる。しかしあきらめきれず部屋の近くで様子をうかがった。
彼はこの屋敷の跡取りであったが、大人たちは彼に無関心のようだった。もちろん表面上は貴族の子息として、きちんと世話をされている。
しかしどこか、見えない壁のようなものをいつも感じていた。
それは父親に対してもそうだった。
父のハーディンは若くして公爵となり、その跡取りである少年に対しても、非常に厳しかった。彼の望みは、少年が公爵家に相応しく振る舞い、立派に育つことだけで、父親として息子への愛情があるとは少年には思えなかった。
少年は家族の情というものに飢えていた。
うわべだけの優しさや、言葉だけではなく、本当の心でぶつかってきてほしかった。
「……あ……」
しばらく待っていると、医者らしき人物が部屋から出て行き、他の大人たちも忙しそうにどこかへと行った。
こっそりと誰にも見つからないように、母のいる部屋へと近づく。
音を立てないように、ドアノブに手をかけ、ゆっくりと回した。そしてちょっとだけ空いた隙間に、小さな身体を滑り込ませ、急いでドアを閉じる。
「………」
彼はまだ、内側のドアノブに手をかけたまま、部屋の方には背をむけていた。
少年は怖いのだ。夢にまでみた母親に拒絶されるのが。
それでも勇気を振り絞って、恐る恐る振り返る。
広い部屋の窓の近くに置かれた、大きなベッドに一人の女性が横たわっていた。
…………身体の中をビリっと何かが走り抜けた。
震える足で一歩一歩近づく。
レースの天蓋越しに薄っすらと浮かんできたのは、黒髪の女性。彼女の横まで来て、その顔をしっかりと目に焼き付けようと覗き込む。
母は眠っていた。
黒く長いまつ毛は、白い肌に影をつくり、今は閉じられている。
頬は痩せこけ、目の周りがすっかりくぼんでしまっていた。長い黒髪も、かつては美しく艶めいていたのだろうが、今は光を失い生気がない。
それでもこの人が母なのだと、少年は感動に打ち震えながらじっとその顔を見ていた。
そうしてどれだけの時間が流れただろう。部屋の扉が開かれる音がした。
自分がここにいることをとがめられるだろうか。
だがそんなことはどうでもいい。
やっと母に会えたのだから。
「母さん!」
そういってかけてきたのは、見たこともない少年だった。
栗色の髪に、栗色の目をしている。
(なぜ彼は、僕の母を『母さん』と呼ぶのだろう?)
不意に少年の口から言葉が零れ落ちた。
「君は……だれ?」
彼は鋭い目つきでこちらを見ている。
「俺はノルアードだ。君は?」
「ラスティグ……」
少年は自分の名を名乗りながら、考える。
(ノルアード……彼は、母様の子供?)
不安と困惑が入り混じりながら、少年は母の手を握り、そしてつぶやいた。
「……母様」
その瞬間、ノルアードと名乗った少年が、いきなり掴みかかってきた。
「違う!お前の母親じゃない!」
彼が言っていることが、どういうことか分からず、ただただ戸惑う。
あわてて部屋に入ってきた父親が、彼らの間に入ってそれを止めた。
父とノルアードという少年が話している。
少年はそれを呆然と見ていた。
「私たちは長い間、君たち母子を探していたのだ。そしてミーリアはこの子、ラスティグの母親でもある。ラスティグは君の兄だ」
父のその発言に、彼は驚いているようだった。
(母様はミーリア。それで……僕が兄ってことは……)
少年は涙で滲んだ目でノルアードを見る。
(……彼は僕の弟?)
その時、少年の胸に一筋の光が差し込んだ。




