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薔薇騎士物語  作者: 雨音AKIRA
第1章 ラーデルス王国編 ~薔薇の姫君と男装の騎士~

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1章61話 闇の軋む音

 暗闇の中、揺らめく蝋燭の灯りに照らされて、ぼんやりとアトレーユの白い顔が浮かんでいる。


 しばらくの間、その顔を呆然と見ていた。


 しかしいつまでもそのままではいられない。


 …………事を成さねばならない。


 そう決意した時、まるで深い海の底に閉じ込められたかのような息苦しさに襲われた。


 どんなにもがいても闇が圧し潰そうとやってくる。


「──っ」


 その苦しみに耐えるように唇を強く噛み締め、きつく瞼を閉じた。


 自分の中で叫びをあげ続けている感情を、抑え込むかのように。


 そして再び開けられた彼の眼に映っていたのは、凍えるような狂気だった。


 一歩、また一歩と、彼は歩みを進めた。


 暗闇の中、彼の足音は絨毯に沈む。誰もそれを聴くものはいない。


 一歩……また一歩と……。


 そして静かに眠るアトレーユの横に立つ。


 アトレーユの寝顔は、相変わらず、息を飲むほど美しいものだった。


 陶磁器のような滑らかで白い頬は、柔らかい曲線を描き、とても鋭い殺気を放つ者とは思えないほど優美だ。


 ラスティグはそっと、その頬に触れた。


 驚くほど柔らかい感触に、触れた指が一瞬だけ怯む。


 しかし、もはや彼を止めるものは、どこにもいない。


 自分の中にある、相反する感情だけが、彼の行為を止めようとせめぎ合っていた。


 しかし彼はその感情を無視して、もう一方の手をアトレーユの頬に寄せた。


 そして指先でつたうように、ゆっくりと白い首筋に向かっておろしていく。


 華奢な首筋に触れた時、再び彼の中で悲痛な想いが、彼を止めようと訴えかけてきた。


 使命に背くその感情はなんという名だろうか。


 ふとそんなことが頭をよぎる。

 

 しかし自分には許されないことだと、その考えを振り払うように、騎士の首筋にあてがう手に一気に力を込めた。


 自分の中の名もなき感情ごと、息の根を止めるのだ、と……。




無音の闇が彼らを包む。



形のない闇の魔物だ。



ぎしりと一瞬ベッドが軋む音がして、魔物の気配を感じた。



震える手にはうまく力が入らない。



それでも魔物は耳元で囁く。



アトレーユを殺せ──と。



戦慄く唇は乾き、限界まで見開いた眼が血走った。



──アトレーユを殺せ──



次第に感覚が麻痺していく……


──アトレーユを殺せ──


──アトレーユを殺せ──

──アトレーユを────



 その時、僅かにアトレーユの整った顔が曇るのが見えた。


 美しい顔に苦悶の表情は広がっていく。


 刹那、魂を切り裂くような、鋭い痛みが走った。


 痛みは彼の思考を揺さぶり起こそうとする。


 その隙を見逃さず、殺したはずの感情が彼の中で大きく膨れ上がっていく。


 凍てつきひび割れた彼の心は、もはやそれを抑えきれない。


 溢れ出た感情が一粒の雫となって、金色の瞳から落ちていく。


 闇に覆われたこの小さな世界で、その雫だけが輝きを放ち、そして……


 ──白磁の頬の上で弾けた──


「────っは──っ」


 その瞬間、それまで止まっていた時間が動き出すかのように、彼は大きく息を吸いこんだ。


 そして大きくのけぞると、そのまま糸の切れた操り人形のように、床に崩れ落ちた。

 

「…はっ…はぁっ…はぁっ──」


 追い立てられるように、浅く激しい呼吸を繰り返す。


「はっ…はっ……はぁ………」


 手を後ろにつき、倒れ込んだまま息を整えると、彼は顔を上げた。


 視界は大きくぼやけている。


 彼は自身の頬から、涙がボロボロと落ちていくのを感じた。


 その涙は、彼の中にあるどす黒い感情を、全て洗い流してくれるような気がした。


 清々しい心地よさに彼は、ただただ滂沱の涙が流れ落ちるままにした。


 再び穏やかな時がゆっくりと流れだす。


 蝋燭の灯がふわりと揺れ、あたりを優しく包んだ。

 

 その時、彼はアトレーユの気配を感じた。


 衣擦れの音とともに、真っ白い腕が暗闇の中、天にむかって伸びている。


 アトレーユの腕が、宙をさまようように、挙げられていた。


「──っ!」


 ラスティグは慌てて起き上がり、膝をついたまま、その手を両手でしっかりと握りしめた。


 涙で滲む視界の先に、彼は美しい銀色のまつ毛が揺れるのが見えた。


 もはや闇の魔物は囁かない。


 彼の目に映るのは希望の光だった。


「……ん…………」


 小さなうめきが口元から零れ、それとともに瞼が震えた。


 それはゆっくりと、だが確実に開かれていく。


 その瞬間がとても長い時間のように感じられた。


 やがて永い眠りから覚めた紫色の瞳が、その中に光を宿した。


 それはずっと、騎士が矢に倒れた時から、切望していたものだった。


「……ラ……スティグ……」


 その名を呼ばれて、彼は更に目を涙でいっぱいにあふれさせた。


「あぁ……ああ……」


 言葉にならない返事を、泣き笑いしながら返す。


「……ラス……ティグ……どうし、て……」


 泣いているラスティグを、アトレーユは不思議そうに見つめた。


 ラスティグはそれに答える代わりに、首を左右に振った。


「……いいんだ、もう……アトレーユ……いいんだよ」


 そんなラスティグにアトレーユは、弱々しくだが、握る手に力を込めた。


「泣かな……いで……悲し……い…………から」


 手に感じる優しい力と、その温かさに、闇に囚われていたはずの彼の心は、解きほぐされていった。


「……アトレーユっ」


 彼はその握った手を自らの額に押し当て、声を上げて泣いた。


「アトレーユ……アトレーユ……っ」


 何度もその名を呼ぶ。


 その人がそこにあることを、確かめるために。


「わた……しの…………本……当の、なまえ……」


 その言葉にラスティグはふと顔をあげ、アトレーユを見た。


「本当の……名前……は……」


 それだけ言って、アトレーユは疲れたのか、再び目を閉じてしまった。


 ほうっと安堵したような吐息が口からもれ、また微睡の中を彷徨っている。


 アトレーユが何を最後言おうをしていたのかは、わからない。


 そのことに少しだけ残念になりながらも、ラスティグは徐々に冷静さを取り戻した。


 腕で乱暴に涙をぬぐって立ち上がる。


 決意を宿した瞳がそこにはあった。


 彼の中にいた、狂気という名の魔物はもうどこにもいない。


 彼はアトレーユに背を向けると、騎士の目覚めを皆に告げるために、部屋を後にした。


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