1章6話 尾行と路地裏の乱闘
すでに日が高くなってきていたので、通りには商店へ足を運ぶ者や忙しく店を切り盛りする者。観光客らしき者や、巡回する警備兵まで、ラーデルス王国の様々な人々がせわしなく行きかっていた。
アトレーユは一般的な貴族の服を身に着けていたが、目立つ銀髪と美しい顔立ちが、すれ違う人々の視線をさらっていた。若い娘などは、アトレーユを見るなり、呆然と立ち尽くしている。商店で店番をしている青年も、その際立った美しさに、仕事の手を止めてしまい、親方に怒られるほどだった。
(やはりまだつけてきているな……)
アトレーユは行き交う人々の視線の中に、違う視線を感じていた。
朝、城からここへ来るまでの間も感じていた視線だ。そのことから、城の人間であることは明白である。離れて尾行してはいるが、明らかに自分を監視しているようである。
(さてどうしたものか……)
大通りをそのまま進めば城へは最短で帰れるのだが、アトレーユはふと目についた細い路地にさっと入った。そのまま一気に走り出し、また横道へと入る。それを繰り返すうちに、人気の無い、うら寂れたところへ出てきた。やっと速度を落とし、後ろを振り返ると、どうやら視線の主を振り切ったようだ。
ふぅ、と一息ついて、歩を進める。しばらくぶらついて、ほとぼりを冷ましてから、帰ろうと心づもりをしたとき、なにやら前方が騒がしいのに気づいた。
「これっぽっちしかねぇのかい。もっと出せっていってんだよ!」
「こ、これしか持ち合わせていません!」
「こんなんじゃぁ酒代にもならねぇや。これでどう落とし前つけるっていうんだ?」
柄の悪そうな男数人が、一人の気の弱そうな男を囲んで、何やら因縁を付けているようだ。
面倒事に巻き込まれそうな予感がするが、このまま道を戻る気もしないでいると、ひげ面のいかにも悪そうな男が、こちらに気づいた。
「なんだ?てめぇは?」
それに続いて、他のゴロツキも、こちらに一斉に顔を向けた。
「やけに綺麗な顔をしてやがるな……おい、アイツもシメんぞ」
そう言うと、にやにやとした下卑た笑みを浮かべながらアトレーユに近づいてきた。
下衆の考えていることが手に取るようにわかり、うんざりとした様子で、侮蔑の眼差しを男たちに向ける。
帯刀していない普通の貴族の恰好であったため、男達はアトレーユをひ弱な貴族の子息だと思ったのであろう。
「お前みたいな綺麗な顔だったら、ベッドの上で可愛がってやってもいいんだぜ?」
げへへと下品なセリフを吐くひげ面。もしここに護衛隊の皆がいたなら、今まさに、ブチっとキレる音がアトレーユから聞こえただろう。
凄絶な怒りをにじませた、凍てつく微笑をアトレーユが見せたとき、後ろで聞き覚えのある声がした。
「何をしている?」
とてつもなく低く、怒りを抑えるような声色だ。
振り返るまでもなく、それがラスティグの発したものだと気づいたアトレーユは、内心舌打ちをした。怒りを発散させるのを邪魔されるであろうことと、どうやら尾行してきたのが、ラスティグだったこと両方が原因である。
「邪魔するんじゃねぇよ!」
いかにも強そうな騎士の登場に、怒りをあらわにしたひげ面の男は、そのまま腕をのばし、アトレーユをつかもうとした。
しかしアトレーユはすかさず身を翻し、逆に男が伸ばしてきた腕を抱え込むと、そのままの勢いで男を担ぎ、次の瞬間には地面に叩きつけていた。それだけで伸びてしまったひげ面だが、アトレーユは更に振り上げた長い脚を男の鳩尾にぶちこみ、とどめを刺すことを忘れない。完全に白目をむいているひげ面を見下ろす表情は、氷帝のごとき凍てつく眼差しである。
あっというまの出来事に、ラスティグも、ゴロツキ共も、一瞬固まってしまった。そんな彼らを一瞥すると、アトレーユは面白そうに口を開いた。
「どうした?シメるんだろう?この私を」
凍てついた眼差しはそのままに、口もとだけが挑発的な微笑をたたえた。
アトレーユの挑発が引き金となって、狭い路地はすぐさま乱闘となった。
男の一人が大ぶりなナイフを出すと、顔色を変えたラスティグが叫ぶ。
「アトレーユ殿!私の後ろへ!」
帯刀していないアトレーユを気遣った言葉だが、ブチ切れモードのアトレーユはそれを騎士に対する侮辱ととった。ラスティグの言葉を無視して男達に向かう。
ラスティグはそれを苦々しく思いつつも、援護しようとすかさず剣を抜いた。
ナイフをもった男がアトレーユに斬りかかる。路地は狭く、左右によける場所はない。すぐ足元には先ほど倒した男が転がっており、足場が悪いため、アトレーユには逃げ場がないかに見えた。
ナイフがアトレーユの美しい眼前に迫り、男がとらえた!と、手ごたえを感じたように思えたその瞬間、首の後ろに強い衝撃を感じ、男はそのまま意識を飛ばした。
美しい銀髪を翻し、脇に迫るようにそびえる、細い路地の壁を一瞬で掛け上ったかと思うと、そのまま空中から男の首めがけて強烈な肘鉄を食らわしたのだ。
地面に手をつき、ゆらりと立ち上がったアトレーユは、髪が少し乱れてしまっていたが、その乱れる様も非常に美しい。
恐怖からか、あまりの美しさからか、わからないが、残った男たちは足元からゾクゾクと震えがくるような感覚がした。ついに何かの糸が切れたかのように、男はがむしゃらにナイフを振り回して迫ってきた。
「伏せろ!」
ラスティグが叫ぶと同時に、呼応したアトレーユは身を伏せた!
「ぐあっ!」
男の一人が苦しそうなうめき声をあげて倒れ込んだ。
ラスティグが繰り出したのは、喉元への強烈な突きである。よく見れば、突きを繰り出したのは鞘のほうで、悪者の喉はつぶされてはいたが、血はでていなかった。
剣は男のナイフをはじいて飛ばしていた。非常に正確な突きと、冷静な対処に、アトレーユは些か冷静さを取り戻し、ラスティグの剣の腕前に舌を巻いた。
そのままラスティグは、アトレーユと、喉のつぶれた男を跳び越すと、重い一太刀で、残っていた敵のナイフを使いものにならなくし、間髪いれず、相手の下あごに強烈なアッパーを入れた。
彼らはあっというまに、すべての敵を沈めてしまった。