1章52話 堕ちた公爵
ラーデルス王国城内では、王の謁見の間にて、声を荒げて玉座に詰め寄る者がいた。
細身で長身のその男は、白髪の混じった黒髪が乱れるのを気にもせず、慌てて登城していた。
「陛下!これは一体どういうことですか!?」
書類を手にして感情を露わにしているその男は、ナバデ―ル公爵である。
「どういうこととは、一体なんのことだ?」
玉座のある広間の高い天井に、国王の冷たい声音が響く。
国王のホルスト・ミンスク・ラーデルスが、玉座で自ら指示を出すのは、病気療養として蟄居してから久しかった。
「この財産差し押さえの件です!」
そういって、握りしめてクシャクシャになっていた紙を、国王に見せつけた。
ホルストはそれを一瞥してから冷笑を浮かべた。
「ふん、そんなことか。それは貴族たちに対する増税のための特例措置だ。気にする必要はない」
素っ気ない返事に、なおもナバデ―ル公爵は食いかかった。
「なぜ増税が必要なのです?いえむしろどうして財産の差し押さえという形なのでしょうか?納得がいきません」
国王陛下に対しても、ナバデ―ル公爵は強気の姿勢である。
王家の血筋を絶やさないため、国内の貴族の娘を妃に迎えているラーデルス国王は、多くの妃が輩出している貴族の家に対して、彼らが増長するのを止めることができないでいた。
「ほう。わからないとは意外だな。お前たちは戦が起こるのを見越して、小麦の買い占めや武器、火薬の売買に金をつぎ込んでいると報告があがっているぞ?」
じろりと公爵を睨むと、ナバデ―ル公爵は怯んで思わず一歩後ろへさがった。
なおもホルストは彼を責め立てる言葉を浴びせた。
「私が部屋にこもっている間、随分と好き勝手やっていたようだな?まさか他国の間者と取引までするとは……」
国王の最後の一言に、一気に顔面を蒼白にした公爵は言い訳をするよりも早く、身を翻してその場から逃げ出そうとした。
「逆賊をとらえろ!」
ホルストの鋭い一声と同時に、広間にいた武装した兵がナバデ―ル公爵を囲む。公爵は暴れて抵抗しようとしたが、鍛錬した兵たちに敵うはずもなく、あっけなく取り押さえられた。
しかし抑えられながらも、恨めしそうな目で国王を睨んだ。
「あなたは間違っている。我々をないがしろにしてラーデルス王国が立ちゆくはずがない。我々貴族あってこその王家だ」
なでつけられた髪を振り乱しながら、彼はゆがんだ嘲笑を浮かべた。
「間違っているのはお前だ。王家は国の為だけに存在する。国とは土地とそこに生きる民のことだ。お前たち貴族も王と同じ責務を果たさなければならない。そうでなければ貴族の価値は無いに等しいからだ。そんなこともわからず、簡単にトラヴィスにそそのかされおって」
ホルストはつまらないものを見るかのように、兵士によって跪かされたナバデ―ルを見下ろすと、冷たく言い放った。
「もういい、連れていけ」
玉座に肘をつき、大きくため息をつく。
ナバデ―ルたち貴族の一部が、ロヴァンス王国の姫君と王太子との縁組を嫌って、両国の間に諍いを起こさせようと画策していたのだ。
そこに目を付けたのがトラヴィス王国であった。うまく彼らをそそのかし、戦を誘発させて、両国に攻め込むつもりだったようだ。
「……それであいつらを操っていた犬は見つかったのか?」
ぼそりとホルストが呟くと、玉座の裏にすっと影が現れた。
「まだはっきりとはしませんが……すでにナバデ―ル公爵の屋敷からは姿を消したようです」
「そうか。だがまだ国内に潜んでいることも考えられる。油断はできない。引き続き警戒しろ」
「御意」
影は頷くと、すっとまた姿を消した。
静けさを取り戻した広間をぼんやりと見つめながら、ホルストは沈思していた。ナバデ―ル家のような、影響力の強い貴族を斬り捨てなければならなくなったことを残念に思うが、そこに後悔はなかった。
国王として、自らの力量が足りないことを自覚はしている。しかしトラヴィス王国の介入を受け入れることはできなかった。
ロヴァンス王国は秀でた軍事力を持っているが、その力を他国への侵攻に使った歴史は知る限りでは今までなかった。それに比べトラヴィス王国は非常に好戦的で、隙あらば隣国の領土を狙っている厄介な国である。
裏で画策しているトラヴィスへ対抗するには、ロヴァンス王国と協力するのが得策である。何よりロヴァンス王国と縁続きになれれば、これ以上心強いことはない。
自国の貴族からの反発は大きいが、元々王家と貴族たちの関係は良好とはいえないものであったため、さほど問題ではなかった。むしろ大国の姫君という大きな後ろ盾を持つ者が、貴族同士、妃同士で起こるいざこざに一石を投じてくれることを願っていたのだ。
そもそも今回の発端となったのは、息子であるノルアード王子の立太子であった。諸事情によって、彼の存在は父親である国王自身も長い間知ることがなかった。そんな彼を王太子に据えるように決めたのは、彼自身がそう望んだからだ。
彼の立太子には、様々な偶然が重なって実現した。果たしてそれは本当に偶然だったのか、ホルストはその疑問を頭に浮かべてはすぐさま消し去る。今までに何度も同じことを頭の中で繰り返していた。
「……いっそのこと、この命が尽きていればよかったのだろうか……」
誰に聞かせるでもない小さな呟きが、広間に響くことなく消えていく。
息子たちとの間にある溝は、暗く、とてつもなく深い。
彼らが何を考えているのか、ホルストにはもはやわからなかった。そのことを寂しく感じるのは、王としてではなく父親としての感情だ。
「ミーリア……」
無意識に呟いたその名前は、ノルアードの母の名であった。




