1章50話 森の中の戦い1 黒甲冑の騎士
「単騎で深追いはするな!必ず小隊ごとで敵を叩け!森から抜け出た奴らは、本隊に任せればいい!」
暗い森の中、ラスティグの号令が響く。ここは国境沿いの森の中である。そこでロヴァンス軍とラーデルス軍は、小隊に分かれてトラヴィスの軍勢と攻防を繰り広げていた。
トラヴィス軍は、盗賊のアジトを拠点にしており、ゲリラ戦で攻撃をしかけてきた。ナイルの調査によって、すでに盗賊たちの拠点は、その多くが突き止められていた。しかしそれらはすでに、盗賊ではなくトラヴィス王国の手に落ちていた。
「かなりの部隊を投入してきているようだ」
馬上から黒い甲冑に身を包んだ騎士が、ラスティグに話しかけた。彼はストラウス公爵とともに、ラーデルス軍の一員として来ていた人物だ。
「あなた方の作戦がなければ、我が国はトラヴィス軍の侵攻を許していたでしょう。おかげで助かった」
ラスティグは黒甲冑の騎士にむけて礼を言った。
作戦というのは、ロヴァンス軍とラーデルス軍が戦をしているかのように見せかけ、両軍の兵力を、トラヴィス軍に対抗するため、国境沿いに集結させることであった。
先のロヴァンス軍と、ラーデルス軍の戦いは、実際には殺傷力の無い矢を飛ばして、馬を走らせ、激しい攻防を繰り広げているように演じていただけだ。
ストラウス公爵は味方をも騙すつもりで、当初そのことを息子のラスティグにすら告げなかった。
ラスティグはその事を少し不満に思ったが、トラヴィス側へどこから情報が洩れるか分からない状況であったため、仕方のない事だと思うに至った。
黒甲冑の騎士はラスティグの礼に頷くと、自身もまた礼を述べた。
「我が国もトラヴィスには手を焼いていたのだ。今回の事は、我が国と貴国の王族の婚姻が、両国の関係を強固にするのを嫌ってのことだろう」
黒甲冑の騎士は鉄仮面の下で不敵に笑うと、続く言葉を言った。
「それに貴殿にはポワーグシャー家の者が世話になっている。あれはまだ未熟者だ。助けてもらって感謝している」
ラスティグは一瞬驚いたような顔をして、黒甲冑の騎士を見た。
彼がロヴァンス側の人間だということは、父からの伝令によってすでに知っていた。しかし、その素顔や詳しい素性はいまだ知らない。
「……貴殿はアトレーユ殿の兄君か?」
黒甲冑の騎士は、ラスティグの言葉にしばらく黙考したのち、鉄仮面の下で口もとに弧を描いた。
「……そうだ。アトレーユが世話になっているな」
騎士は琥珀色のアーモンド形の眼を細めて、ラスティグを見据えるとその様子を観察した。
ラスティグは、そんな黒甲冑の騎士の様子には気が付かず、一人納得したように頷いた。
「そうか……いや、こちらこそアトレーユ殿には世話になっている。彼の怪我は私を助けるために負ったものだ。私が彼の為に戦うのは当然だ」
真面目な様子でラスティグが告げると、黒甲冑の騎士は突然吹き出して笑った。
ラスティグが驚いて彼を見ると、騎士は口もとに手をやって笑いを収めようと肩を震わせていた。
「いや失敬。愚弟の為に、貴殿が動いてくれて嬉しく思う。あいつも貴殿のことを気にかけているようだからな。これからもよろしく頼むよ」
そういって手を振ると、おかしそうにまだ笑いながら、自身の持ち場へと戻っていった。
その後ろ姿を不思議に思いながらも、ラスティグは気を引き締め直した。いまだ、アトレーユが意識を取り戻したという知らせはきていなかった。
トラヴィスとの戦闘中も気にかかっているのは、自分の為に傷を負ってしまった騎士の事だ。
アトレーユの美しい銀色の髪が、地に向かって落ちていく姿が頭から離れない。握っていたはずの手が、この指からすり抜けていく感触が、未だにまざまざと思い出される。
その度に、ラスティグの心は凍りつくような恐怖を覚えるのだった。
「……なぜこんなにも気にかかる?」
自身の手を見つめながら、彼は一人呟いた。見つめていた手をギュッと握りしめ、そのぞっとするような感触を掻き消すと、彼は険しい表情をした。
「今はトラヴィスを殲滅させるのが先決だ」
そういって、自身の中に燻る火種を無理やりに消し去った。




