1章5話 チャンセラー商会
「あー……体のあちこちが痛い……」
「昨日のあれはしんどかった……まじで」
朝からそうぼやいているのは、昨日鍛練場でアトレーユにこってり絞られたアトス、セレス兄弟である。ラーデルス式の鍛練を目の当たりにして嬉々としてそれらを実践しようとする隊長のアトレーユは、凶悪な笑顔を振りまく魔王のようであった。勿論アトス達はそんな感想はおくびにも出さない。出したが最後その命、魔王に刈り取られるのが落ちである。
「だけど今朝は隊長どこ行ったんだ?俺たちだけで護衛するなんて珍しい」
アトスが不思議そうに首をかしげた。普段はあまり私語のない彼らだが、そこは鬼のいぬ間になんとやらだ。
「ふむ。今日は城下に赴いているそうだぞ?なんでも懇意の商人がいるとかで姫様のために隊長自ら出かけていっているそうだ」
ガノンがしたり顔で言った。
ほう、そんなことまで心を配るとはさすが隊長だと、護衛達は姫君への心遣いを忘れないアトレーユに感心している。
「いやぁ、ラーデルス王国にも伝手があるとは、さすがロヴァンス筆頭公爵家のご出自。先々が頼もしいお方だ」
鬼の隊長といわれるアトレーユだが、騎士たちからの尊敬の念は深い。強く美しい隊長は自慢の上司である。
「そうだなぁ。いずれどこかのご令嬢を娶って……ってあれ?婿をとるのか?いや、婿にはいるのか?どっちだ?」
とんちんかんな事を言う護衛たちの会話を聞いていた王女は、ぶふっと、思わず飲んでいたお茶を吹き出しそうになりむせてしまった。ロヴァンスの人間しかいない王女の部屋の中である。
「殿下!?大丈夫ですかっ?まさかお茶に毒でも!?」
王女のいつにない様子に慌てだす護衛達。
「いえ、なんでもないわ。気にしないで」
冷静にハンカチで口元をぬぐう王女。普段は王族らしく厚い仮面をつけて内心を見せないが、どうもこの護衛たちの前ではそれが効かない。
まったくこの護衛達ときたら剣の腕は立つが、しゃべりだすと自ら墓穴を掘るような憎めない者達である。アトレーユがあまりに理想の男性として素晴らしいから、余計にその差が際立っていた。まぁアトレーユは女性なのだが。
それでも全員がアトレーユを筆頭として、信頼のおける忠実な騎士達である。おかげで王女は安心して異国の地で過ごすことができた。
その後もあーだこーだと話している護衛達をみながら、ちょいちょいアトレーユを引き合いに出しては、その反応をみて楽しむ王女であった。
一方その頃、アトレーユは城下である人物と面会していた。
「やぁ、久しぶりだな。こちらの城下に出店していると聞いていたのだが、どうやら大層繁盛しているようだ」
王都ラデルセンのメインストリートにはオレンジ色のレンガ造りの店が多く軒を連ねている。その中で、ひと際大きな店の前にアトレーユはいた。店内には、いろんな商品が並べられており、異国の品から、地域の特産品、多種多様で、多くのお客で賑わっているようだ。
店主と思われる人物に、アトレーユはにこやかに話しかけた。今日は騎士の服ではなく、一般的な貴族の衣装だ。もちろん、ティアンナとしてではなく、アトレーユとしての訪問なので、着ている服は男物である。
「アトレーユ様!おかげさまでこちらへの出店も滞りなく、お客様にもご贔屓いただいております。それにしてもお久しぶりですなぁ。ご立派になられて」
店主は50代くらいの恰幅のいい男性で、いかにも商売上手そうな、人好きのする笑顔を浮かべて、再会を喜んでくれている。
「ありがとう。ご主人も息災のご様子。異国の地で見知った人物と会えて私も嬉しいよ」
ここではなんだからと、主人の勧めるままに、奥の部屋へと通された。簡素な造りながらも、機能性に優れた室内は、商売人である主人を映す鏡のようだ。無駄がなく、実力に満ちているが、それをひけらかさない知性もある。
「それでどういったものをご所望で?」
早速商談に入るが、主人もアトレーユもこのやり取りの意味をよく知っている。
ここはロヴァンス王国のチャンセラー商会が運営する店であり、店主とも旧知の仲だ。
「キャルメ王女殿下が現在この国にご滞在なさっているのだが、いろいろと不足していてね」
アトレーユの言外の含みにすぐさま気づく主人であったが、そこはよくわかっているので、話をあわせて続きを促す。
「といいますと?」
「ロヴァンスから持ってきた品では足りないようだ。特にノルアード王太子殿下と対面するにあたり、このままでは非常に心許ない。だから早急にいろいろと仕入れたいのだが。ポワーグシャー家が代金を持つから、よろしく頼む」
「なるほど。では、すぐにお城へいろいろとお持ちいたしましょう。ちょうどジェデオン様お勧めの品も届いております故」
「兄上の?それはいい。是非そうしてくれ。先に手付を払っておこう」
懐から金貨の入った袋を取り出すと、そのまま主人に渡した。
「兄上にも礼を言っておいてくれ。これからも頼むとも」
目を細めて、しっかりと店の主人に意を伝える。主人は大きくうなずいた。
「確かに受け取りました。本日中にお城へ伺わせていただきます」
「あぁ。頼んだぞ」
用が済むとすぐに、店内で適当な品々を包んでもらい、それを手にして店から出た。
予定通りに事を運んだが、帰路につくアトレーユの表情は、いつもより厳しいものであった。