1章43話 失踪の真実1 入れ替り
時は遡り、王女が失踪する直前の夜のこと。
すでに寝ている王女の部屋に、一人の侍女がやってきた。侍女はすんなりと護衛の許可を得て王女の部屋に入ると、すぐさま部屋の中にいるアトレーユに声をかけた。
「隊長!」
「……ナイルか……?よかった、無事だったか!」
部屋に入ってきたのは、侍女の姿に扮したナイルであった。囚われていた場所から脱出し、離宮へと忍んできたのだ。
侍女姿のナイルを見て、安堵の表情を浮かべるアトレーユに対し、ナイルは深刻そうな表情で言った。
「すぐに王女殿下をこの離宮から脱出させましょう。このままここにいては危険です」
そういうや否や、彼は着ていた侍女服を脱ぎ始めた。驚いたアトレーユはナイルの肩をつかんでいった。
「待て。どういうことだ?説明しろ」
ナイルは服を脱ぐ手を止めずに、状況を説明し始めた。
「状況は思ったよりもよくありません。トラヴィス王国の間者がこの件に絡んでいるようです」
「トラヴィスの……?」
「はい。しかもラーデルスの王族、もしくはそれに近い貴族を使って、我が国とラーデルス王国の間に戦を始めさせようとしているようです」
「──!?」
思いもよらない事実に、暫し考え込むようにしていたアトレーユだが、ふとナイルに目を向けた。
「このことを兄上は知っているんだな?」
「はい。すでに報告してあります。幸いにもグリムネン第一師団長が、国境沿いの砦に軍を待機させているので、すぐにでも応援が来るでしょう」
アトレーユの兄のグリムネン率いる第一師団は、王女の要請によりラーデルス王国に派遣される応援部隊だ。本来ならばこのような任務は管轄外である。よほど今回の事はロヴァンス王国にとって厄介な事案を含んでいるようだ。
わざわざ国境沿いの砦に、いつでも出張れるように待機していたということは、ロヴァンス王国の中枢がトラヴィス王国のきな臭い動向に、以前から目をつけていたということになる。
「ロヴァンス軍がこちらへ着くと同時に、ラーデルス王国の人間の手にみせかけて王女を害するつもりのようです。両国の間に戦が始まったら、その隙に我が国へ攻め込むつもりでしょう」
トラヴィス王国とは何十年という間、幾度も刃を交えてきた。好戦的なトラヴィスはロヴァンスへの侵攻を繰り返し、その度に軍がそれを退けてきた。ポワーグシャー家が現在のように重宝されるのも、その軍事力に特化した家柄ゆえだ。
「狙われているのは王女殿下、ラーデルス王国の王子達です。両国王族どちらかのお命、もしくは両者とも相手国の刃に倒れれば、それをきっかけに戦を始めさせようという魂胆でしょう」
「では一刻の猶予もありませんね。私はその服に着替えればいいのかしら?」
いつの間にか目を覚ましていたキャルメ王女が、ベッドの上でにこりと笑った。何も心配していない様子で、優雅に立ち上がる。
「はい。恐れながら、こちらの侍女の服をお召しになって、入れ替わっていただきます。私が殿下に変装していれば、命を狙われたとしても対処できますので」
王女はナイルの着ていた侍女の服に着替え、見事な金色の髪も綿のキャップの中にしまい、わからないようにした。
「殿下はこのまま見つからないように、城を抜け出してもらいます。それまで侍女のお姿で我慢してください。城の中には他の特務の人間が紛れ込んでおりますので、隊長にそこまで一緒に行ってもらいましょう。私は殿下の代わりにこちらで待機いたします」
ナイルはアトレーユに手短に今後の事を説明すると、素早く王女の寝間着に着替えた。すでに化粧などはほどこしてあり、カツラを整えると王女そっくりである。
相変わらずの変装にアトレーユは感心しながら、侍女姿のキャルメ王女をつれて部屋を出た。
一人部屋に残ったナイルは、ほっと息をついてベッドに横になった。慌ただしい一日であったため、寝心地の良いベッドに横たわるとすぐに眠気が襲ってくる。
ウトウトし始めた時、妙な気配を感じた。僅かながら物音がしたようだ。ナイルは意識を集中して鋭い視線を部屋に巡らせた。
すると部屋の隅に飾ってある大きな絵が、音もなく動き、壁に大きな穴が空いた。そこから中の様子をうかがって顔を出したのは、エドワード王子だった。
ナイルはすぐにそれに気づいたが、相手に気取られないように寝ているふりをした。
何も知らないエドワードは、そろりそろりと忍び足で、王女に扮しているナイルに近づいた。そしてベッドまで来ると寝ているナイルに手を伸ばした。そしてその手がナイルの服にかかる。
不埒な相手の魂胆が確認できてから、ナイルは反撃を開始した。
目をカッと見開いたかと思うと、素早く身を翻し、エドワードの腕からするりと逃れる。
そしてあっという間に体勢を立て直すと、ベッドの上に立って跳躍し、天蓋の飾りに使われている房のついた紐につかまった。そのまま反動をつけてエドワードめがけてとびかかる。
咄嗟のことで動けないでいるエドワードの首に両足を巻き付けると、首を折らない程度の力で締め上げた。
うめき声ひとつ出すこともできず、エドワードは床に崩れ落ちた。特務師団ならではの鮮やかな技である。
ナイルは床に倒れるエドワードを、虫けらを見るような目で見下ろし、呟いた。
「どうしようかな……これ?」




