1章40話 貫かれた胸と幼き日の約束
「ラスティグ殿!」
叫ぶと同時に飛び出したアトレーユが、ラスティグを背後から襲おうとしていた敵に斬りかかった!
しかしその攻撃は十分ではなかったようで、一撃では仕留められず、敵の反撃を許してしまう。
アトレーユは剣が相手の鎧に挟まって抜けず、仕方なく剣を手放して相手の反撃を辛くも躱し、咄嗟に腰の鞘を抜いて続く敵の攻撃に備えた。
凶刃が鞘を叩き斬ろうとするまさにその瞬間、振り返ったラスティグが一太刀で敵を斬り伏せた。
「助かった。ありがとう」
ラスティグは膝をついているアトレーユに手を伸ばし、アトレーユもその大きな手をとり立ち上がる。
「いや、こちらも助かったよ」
危うい所をお互いが助けたため、先ほどまでとは違い穏やかな空気が流れた。二人の間につかの間の笑みがこぼれる。
「──っ!」
しかしアトレーユは何かに気付くと声を出すよりも早く、掴んだままのラスティグの手を、思い切り自分の方へと引っ張った。
咄嗟のことに踏ん張れず、アトレーユとラスティグの位置が入れ替わる。
ラスティグは一瞬何が起こったかわからず、慌てて振り返った。
その眼に映ったのは、アトレーユが崩れ落ちる姿。
先ほどまで力強く握られていたアトレーユの手は、力なくラスティグの手をすり抜け、地面へと落ちていく。
「アトレーユ!!」
アトレーユの胸には一本の矢が突き刺さっていた。
地面に倒れたと同時に矢は折れ、胸からはどくどくと真っ赤な血が流れ出ていた。すでに意識を失っているようでピクリとも動かない。
「くそっ!!」
自分をかばって敵の矢に倒れたと知り、ラスティグは怒声をあげた。
しかし彼らを襲う矢は次々と放たれる。防戦一方で身動きの取れなくなったラスティグは、自らの油断と力不足に憤った。
このまま防戦するだけで消耗していては、活路は見いだせない。しかしこの場を離れれば、敵に踏みにじられアトレーユの命はないだろう。
もうダメかと思ったその時、背後から軍馬の猛々しい蹄の音が聞こえた。鋭い風切り音をたてて、ラスティグ達の両脇から幾筋もの矢が敵に向かって放たれる。
先ほどまで戦をしていたはずのロヴァンス軍が敵を追い立てている。あっという間に形勢は逆転していった。
その様子を不思議に思いながらも、助かったのだと安堵して、アトレーユの側に膝をついた。
「……アトレーユ殿……」
アトレーユはすでに多くの血を失っているため、恐ろしいほど青白い顔色をしていた。ラスティグは慎重に抱き起こし、少しでも安全な所へと移動を始めた。
そこへ離宮に残してきた部下たちが、ラスティグがいないのに気づき、追いかけてきた。馬に跨り、戦場を躱すように走ってくる。
「団長どうしたんですか!?」
彼らは血まみれのアトレーユを抱えた団長の姿を見て仰天した。
「馬を貸してくれ!皆は越境しているトラヴィスの軍勢を叩くんだ!ロヴァンス軍がすでにトラヴィスと戦っているから、ロヴァンス軍には手を出すんじゃないぞ!」
「はっ!」
部下たちは戸惑いながらも、ラスティグの命令に勢いよく返事をして、ロヴァンス軍に加勢するため走り去っていった。
ラスティグはそれを見送り、残された馬の背にアトレーユの身体を預け、自らもその馬に跨った。
そこで彼は、初めて自分の手が震えていることに気が付いた。
その震えの原因が何なのかはわからない。ただ制御しきれないその感情を、押し殺すように強く手綱を握り、彼は離宮を目指した。
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──体が重い。腕があがらない──
──剣が握れなきゃ、キャルメを守れないじゃないか──
『私、アトレーユのお嫁さんになるわ。だってアトレーユが大好きですもの』
薔薇の陰から恥ずかしそうに、黄金に波打つ髪が嬉しそうに弾んだ。
──あぁ、あの日のキャルメだ──
『どうしてこんなところに隠れているのですか?』
『どうしてって、姫君は王子様に見つけ出してもらうのを待っているものよ?』
可愛らしい言い訳にクスリと笑って、薔薇の茂みに隠れる小さな少女に手を差し伸べた。
『ではお姫様。こちらへどうぞ』
恭しく騎士の真似事をして手をとると、少女は大輪の薔薇が綻ぶような笑顔を見せた。
──綺麗だ──
きらきらと光があふれる中、少女たちは笑い合う。
『ずっとそばにいてね。ずっとよ、アトレーユ』
『勿論です。ミローザ』
子供同士の他愛のない約束。でも胸が温かくなるような優しい約束。
──ずっとお側で守ります。私の薔薇よ──
しかしあたりは一転して、光を吸い込むかのように漆黒の闇が広がった。
『貴方はこのまま、私がいなくなっても騎士を続けるのですか?』
美しい薔薇の庭園に、大人のキャルメの言葉が冷たく響く。
手を取り合って笑う子供たちの幻は消え、冴え冴えとした月影のもとに美しい王女が佇む。
──どうして……ずっと一緒にいてほしいと貴女はおっしゃったのに──
王女は騎士を冷たく一瞥すると、後ろを向いて遠ざかっていく。横には自分ではない者が彼女の手をとっていた。
──行かないで……行かないでミローザ──
どんなに追いかけても、追いつけない。王女が振り向くことは決してなかった。




