1章4話 誤解される騎士団長と墓穴を掘った護衛達
庭園にやってきたのはラーデルス王国の騎士団長ラスティグだ。
柔らかな風が彼の黒髪をくすぐるように撫でる中、漆黒の騎士服を身にまとい、辺りを見回しながら歩いてくる。背が高く、遠目でもわかるほどの見事な肉体を持つその騎士は、ただ歩いているだけでも恰好がいい。
「ラスティグ様よ!」
「こちらへやってくるわ!」
令嬢達はラスティグのことも大変お気に入りのようで、更に興奮しながらその登場にキャーキャーと騒いでいる。
その声に相手もこちらに気が付くと、爽やかな笑顔を浮かべてその長い脚であっという間に近くまでやってきた。
「こちらへおいででしたか王女殿下。お部屋にいらっしゃらないので探しました」
黒衣の騎士は美しい礼をとると、ここ数日の放置などまるでなかったように、にこやかにそう言った。普通の令嬢ならその麗しい笑みに誤魔化されてしまうかもしれない。しかしキャルメ王女は涼しい顔で扇を広げると、ラスティグを冷ややかに見据えた。
「まぁ、それは申し訳ございませんでした。お庭がとても綺麗だと伺ったので、皆でお茶をしておりましたの。お部屋にいてもすることもございませんので」
チクリと嫌みをこめつつ、扇越しにはちみつのような甘い微笑をみせる王女。だがその内心は表情のにこやかさとは全くの別物だ。
ラーデルス王国の要請でこの国にやって来たというのに、国王どころか王太子にすらまともに会えていないこの状況。相手方は部屋でじっとしていることを望んでいるのかもしれないが、それを甘んじて受け入れるほどキャルメは従順なお姫様ではない。
側で控えていたアトレーユは、王女が相手を警戒して更に分厚い仮面を被ったと気が付き、すぐさまその盾となるべく前へ出て口を開いた。
「先日は挨拶もそこそこで退席し、申し訳ございませんでした。本日こそ国王陛下へご挨拶に伺おうと思っていたのですが、ご都合が悪いとのことで。まだ慣れぬ土地ゆえ、姫様をお慰めするために私が庭園へ出ることを勧めたのです」
淡々と、しかし王女を擁護するように強い眼差しで話すアトレーユ。その紫の瞳を、黒衣の騎士ラスティグは品定めするようにまじまじと見つめた。
アトレーユのすらりとした体躯は指先の動き一つとっても優雅で、凛とした眼差しの紫の瞳は吸い込まれそうになるほど美しい。
だが相手も己と同じく主に忠誠を誓いその剣を捧げているのだろう。美しい紫の瞳のその奥に、主を守ろうとする騎士の強い信念を感じる。
対するアトレーユも、ラスティグのその獅子のような金色の瞳を、まっすぐに見つめ返していた。確かに彼は整った顔立ちをしているが、その立ち居降るまいには騎士として油断ならないものを感じる。
果たしてこの場で相手と斬り合いになったとして、その一手を防げるであろうか?そんな考えを頭に過らせながらアトレーユは、じっと見つめてくるラスティグの真意を探ろうとした。
一方で周囲の者達は美しい騎士二人が見つめあっている様子にざわついていた。特に令嬢達は何故か顔を赤くして悶絶している。二人の騎士のただならぬ様子に、隣に座る令嬢と手を取り合って「素敵よ!」と騒いでいる。
そんな令嬢達の楽しげな様子に感化されてか、王女の分厚い仮面が些か剥がれたようだ。可笑しそうに吹き出してコロコロと笑い出す。
「ふふ、そんなに熱く見つめ合っていては、いけない関係と思われてしまってよ?私も嫉妬してしまうわ」
「えっ!?」
この発言に慌てたのはラスティグだ。相手を見定める為とはいえ、確かに間近で見つめすぎたかもしれない。顔を赤くして、何やらあたふたと言い訳をしはじめる。
「いや、そんなつもりは……あまりに彼が美しいのでつい見惚れていたというか……って、い、いや!そういうわけではなくて!」
生来真面目な性格なのだろう。凛々しいその姿からは想像もできないような慌てぶりである。
一方その発言を耳にして、令嬢達からは黄色い歓声が沸き起こった。男女の色事に関心のある彼女達は、男同士のそういう事情にも関心が高いようだ。勿論、アトレーユは女性であるが。
ますます慌てる騎士団長。オロオロする姿に、団長の名も形無しである。
そんなラスティグを、アトレーユは呆れた様子で見つめ返した。片眉を上げて冷たい視線を送っている。
「私は男から見惚れられても嬉しくはありませんが。そういうことは別の方へお願いします。そのような嗜好はございませんので」
冷ややかに告げるアトレーユ。まるで陶器でできた人形のように美しいが、今はその紫色の瞳に侮蔑の色を浮かべている。
「いや!誤解だ!別に貴殿を好いているというわけでは……いや、違う、嫌っているという意味でもなくてって、あぁ!なんて言えばいいんだ……」
赤くなったり青くなったりを繰り返しているラスティグに、隊長が女性であることを知っているロヴァンスの護衛達はこらえきれずにふきだした。涙をにじませて小刻みに体を震わせている。
そんな部下達に後で厳しい鍛練を課してやろうと心に決めたアトレーユ。そんなことも露知らず、哀れなロヴァンスの護衛達はラスティグに助け舟を出してあげた。
「隊長は美しいお方ですからね。無理もありません。男でも女でも虜にしてしまわれる、恐ろしいお方です」
「おかげで我々は女性からは見向きもされないので、うちの隊は独身者ばかりですよ」
そう言ってクスクスと笑うのは、くすんだ金髪の護衛騎士、セレス、アトスの兄弟である。二人して自分達に恋人がいないのは隊長のせいだとうなずきあっている。
部下からの評価にアトレーユは、ふんっ!と拗ねた子供のように面白くなさそうな表情だが、周囲からはクスクスと笑いがこぼれるばかりである。
「そうはいっても、王女殿下の護衛の方々は皆、見目麗しい方々ばかりですね」
最初はアトレーユしか目に入っていなかった令嬢達だが、よく見れば他の護衛もなかなかの男前揃いである。興味津々な様子で護衛達へ視線を向けた。
「王女殿下の護衛になるには、見た目がよくないといけないのですか?」
「やぁ、見目の良さなどそういうわけでは……」
「それほどでもないですよ」
普段はアトレーユの美しさに隠れて話題に上ることが少ないから、彼らもどこか嬉しそうだ。
赤髪のガノンも満更でもない様子だったが、顔がにやけそうになったところでようやく隊長の凍てつく雰囲気に気づいたようだ。慌てて言い訳を口にしている。
「も、もちろん、腕の立つ者が選ばれております!我が国で最も優れた騎士のみが、王族の方々の護衛に任ぜられますので……決して見た目だけということではございません!決して!」
焦って早口でまくし立てるガノン。普段はいかつい表情をしているが、今は何とも情けなく眉を下げている。あちゃ~といった表情のセレス、アトス兄弟もようやっと自分たちの失態に気づいたようだ。後から行われるであろう隊長のしごきが恐ろしい。
アトレーユはまだ年若い女性だが、第3護王女の衛騎士隊長を務めており、それは自身の実力でもぎとった地位だ。騎士一族の英才教育を幼い頃から受けていた為、隊長として部下に課す鍛練も凄まじい。
「我が隊が見た目だけの軟弱者ではないと証明するために、後程厳しい鍛練が必要のようですね」
見目の良さで選ばれたなどと言われて喜んでいる部下達に冷ややかな威圧を放つアトレーユ。護衛達は皆、顔を引きつらせている。
そんなロヴァンスの騎士達のやり取りを傍らでぽかんと見ていたラスティグは、ようやく自分の来た目的を思い出したのか、王女へ声をかけた。
「ところで本日は城内を案内しようと思いますが、いかがなさいますか?」
いままで忘れていたことを申し訳なさそうにしながらの提案。護衛達は話がそれたので、安堵の表情を浮かべている。
「まぁ、面白そうですね。どこを案内してもらおうかしら?アトレーユはどう思う?」
「そうですね……私が興味あるのは、兵の鍛練場でしょうか?この国がどのように兵を鍛練しているか、ご教授願いたい」
そんな隊長の言葉に、護衛達はヒィっと顔を青くするのであった。
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その夜、ラーデルス城のとある一室にて、二人の男が話していた。あたりは暗く、人目をはばかっている様子だ。
「調査は進んでいるか?」
「は。先方も焦っているようで、かなり強引な手に出ているようです。ロヴァンス王国との戦も辞さない姿勢かと」
「愚かな……我が国の国力で、かの国に戦で勝てるはずがなかろう」
苦悶の滲む声音だが、明かりのない部屋では、その表情は伺えない。
「だが相手方を崩すには決定的な証拠が必要だ。ロヴァンスの姫君には悪いが、囮となってもらう他ないようだな」
「まさか初めからそのおつもりで?」
動揺を隠せない様子で男がきいた。
「……私は国の為なら、悪魔に魂を渡しても後悔はしない。だが、そなたの力を見込んでのことだ。姫君を必ずお守りするのだ。よいな」
重々しい空気が部屋を満たす。月明りもなく、底の見えない暗闇に落ちていきそうな感覚がする。腹に力をこめ、意を決したように男は頷いた。
「必ずや御意に召しましょう」
雲間から一瞬、月明りが部屋に差し込む。険しい金色の瞳が、そこに揺らめいた。