1章38話 決裂
両国の軍隊が睨み合ったまま無情にも時が経ち、ついに開戦の火ぶたが切って落とされた。グリムネン率いるロヴァンス軍は、街道をラーデルス王国の王城に向けて進軍を始めた。その様子を冷静に見守る、ストラウス公爵率いるラーデルス軍。
「予定通りだな……」
ストラウス公爵は、そういって脇に控える黒甲冑の騎士に向けて呟いた。
その黒甲冑の騎士は、他の騎士とは違う翠色の腕章をつけている。彼は声を発することなく、ストラウス公爵の言葉に頷いた。顔全体を覆うような黒い鉄仮面をつけているため、表情は判らない。
「先発部隊、前へ進め!キルテスの丘より先に、一歩も奴らを進めてはならん!」
ストラウス公爵は声を張り上げて指示を飛ばすと、黒甲冑の騎士の一団は丘を馬で駆け下りた。
50人ほどの騎馬部隊だ。一気に駆け下りると、そのまままっすぐにロヴァンスの一団にむかっていった。飛んでくる弓矢をその機動力でかいくぐり、ロヴァンス軍の隊列を乱そうと、四方八方から波状攻撃を仕掛けている。しかし対抗するロヴァンス軍の隊列はなかなか崩れない。両者の力は拮抗していた。
その様子をアトレーユと、王女の護衛部隊は国境の森近くで見守っていた。
「うまくいきましたね」
ガノンが安堵した表情で隊長に声をかける。アトレーユはそれに無言で頷き、傍らにいるローブをまとった人物に目線を移した。
その人物は小柄で、フードを目深にかぶっている。口もとに笑みを浮かべ、戦いの様子を満足そうに眺めていた。
「これでロヴァンスとラーデルスが戦になったことが、トラヴィスにも伝わったでしょう」
先ほど目立たないように、早馬が森を駆けていくのを彼らは目撃していた。それはトラヴィス王国に向けて情報を流すための早馬だろう。
トラヴィスはロヴァンス王国、ラーデルス王国の南側に位置する国だ。非常に攻撃的な国で、ロヴァンス王国へ幾度も侵攻を繰り返していた。
「もうすぐ日が暮れる。そうすれば一時休戦だ。朝になるまでには決着がつくだろう。それまではラーデルスとは戦をしていてもらわないと困るからな」
そういって腕を組み戦況を見守っていると、暗い森の奥から声が響いた。
「それはどういうことだ?」
驚いて振り返ると、そこにはラーデルス王国騎士団長のラスティグがいた。気配を消して彼らの後ろへと回り込んでいたのだ。
「どうしてここへ?」
ラスティグの登場に驚き、焦る護衛騎士達。アトレーユはローブの人物を背中に隠し、かばっている。
「やはり戦をさせるためにロヴァンスが画策していたんだな……」
低く怒りをにじませた声で、じりじりとアトレーユ達に近づく。
「落ち着け、これには理由があるんだ」
「言い訳を聞く気はない。我が国を愚弄し、王子を傷つけた罪はきちんとあがなってもらおう」
そして剣を鞘から抜くと、アトレーユにむけて突き付けた。
「──っ!?」
凄まじい殺気がアトレーユを襲う。
「さぁ、剣を抜け。丸腰の相手は斬れないからな」
そういって凄絶な笑みを浮かべた。
アトレーユは目線のみでガノン達に指示を送る。彼らは頷くとローブの人物を守るように、その場を離れた。
仲間が退避するのを横目にしてから、ラスティグに向き直ると、アトレーユはすかさず剣を抜いた。
アトレーユが剣を抜くや否や、ラスティグが素早く重い一撃を繰り出す。
「くっ……!」
辛うじてそれを受け止めたが、両手で剣を握っているにもかかわらず、腕がしびれてくるほどの威力だった。
一瞬アトレーユの動きが鈍ったと同時に、ラスティグは相手の胴体に向けて思い切り蹴りをいれた。
アトレーユはすんでの所で体をひねり正面からの直撃を躱したが、ラスティグの足は長く、わき腹を蹴りがかすめた。よろめき態勢を崩されたところに、追撃の一振りが振り下ろされる。
アトレーユはしゃがんでそれを躱すと、すかさず土を掴んでラスティグの顔面にむけて投げつけた。
「なにをっ!」
アトレーユの思わぬ攻撃に、ラスティグは驚いて一瞬ひるんだ。その間にアトレーユは態勢を立て直すと、剣を構えてラスティグに声をかけた。
「話を聞け!私は貴殿と戦うつもりはないんだ!」
しかしラスティグの怒りは収まらない。土の入った目を無理やりこすって視界を取り戻すと、猛然と斬りかかってくる。
激しい剣戟の音が森に響いた。
アトレーユは攻撃する意思はなく、防戦一方だ。しかし体格差があるため、次第によけるのが困難になり、じりじりと押されていた。
ラスティグの剣は容赦のないものであった。その一撃一撃が、鋭くとても重い。彼は本気でアトレーユに向かってきている。
ついにラスティグの剣がアトレーユの剣をはじいた。
遠くはじき飛ばされた剣は地面に突き刺さった。丸腰となったアトレーユにむけて切っ先が突き付けられる。
「ロヴァンスきっての騎士にしては手ごたえがないな」
ラスティグはそういって暗い笑みを一瞬だけ浮かべ、凍り付くような冷たい表情になった。
普段の穏やかさとは違った冷酷な表情に、アトレーユは息を飲んだ。剣を突き付けられているからか、凍てついた空気のせいか、アトレーユは言葉を発することができなかった。
「貴殿とこうして剣を交えることを楽しみにしていた。だがそれはこんな形ではなかったがな……」
そういって切っ先を突き付けたまま、一歩、また一歩と近づく。
ついに切っ先が喉元に触れるか触れないかの所まできた。
「覚悟はいいか?我が国を愚弄したことを後悔するがいい」
そういってラスティグの瞳が怪しくきらめいた。天を仰いだアトレーユの白い顔に、ラスティグの振り上げた剣が影を作る。
ざぁっと風が森を吹き抜けたと同時に、あたりを切り裂くような悲鳴が上がった。




