1章34話 チャンセラー商会の荷馬車とリアドーネ
男物の服を身に着け、囚われていた場所から脱出したリアドーネは、荷馬車に揺られ王都ラデルセンへと向かっていた。荷馬車はチャンセラー商会のもので、ロヴァンス王国からの積荷を乗せている。
しかしナイルの姿はここにはなかった。
ガタゴトと揺れる荷台の中で、彼女は自らの身体を抱きしめ小さく震えていた。
廃屋でサイラスの屋敷の人間から聞き出した話は、リアドーネにとって衝撃のものだった。それは捕らえられている時よりもずっと、底知れぬ恐怖を彼女に与えた。
ナイルはその話をすでに承知していたかのようだった。そしてリアドーネにそれを聞かせると、彼女に協力を求めたのである。自分の知らない所で、とんでもないことに巻き込まれていたという事実に衝撃を覚えつつも、彼女はナイルの提案に了承した。
しかしそれは、幼馴染であるサイラス王子を裏切ることになるかもしれなかった。
複雑な想いを胸に抱き、彼女は次々と移り変わっていく荷馬車の外の景色を眺めた。穏やかな田園風景がそこには広がっていた。
彼女は幼い頃の事を思い出していた。
サイラス王子の母親は、リアドーネの家と縁続き家の出身であったため、幼い頃から彼らは兄妹のようによく一緒に遊んでいた。彼はいつも優しく年下の彼女を助け、共に笑い合って過ごしていた。
しかし第一王子が病気で亡くなると、彼らの周囲の状況は一変した。サイラスは王太子になることを期待され、いつも共にいたリアドーネは妃候補の筆頭だと周囲は色めき立った。だがリアドーネ自身は、サイラスを兄のように思っているだけであった。
それでもサイラスが自分にとって大事な人であることに違いはない。
亡くなってから久しい彼の母親が、第一王子を暗殺したなどという噂が流れても、彼女はその噂を流す者たちに憤り、毅然と立ち向かった。またサイラスに代わってノルアード王子が立太子したことも、隣国からきた王女がその妃になることも、リアドーネにとっては、大切な幼馴染を傷つけるもののように思えた。
彼女はそんな心に燻っていた怒りを、今までどこへぶつけたらいいのかわからないでいた。しかしナイルから聞かされた事実を知って、いま自分がすべきことがはっきりとわかったのだ。
ふと顔をあげて荷馬車の御者を見上げる。
艶やかなブラウンの髪に、琥珀色のアーモンド形の眼をしたその御者は、背が高く誰が見ても美形である。しかしそれを隠すようにくたびれた帽子を目深にかぶり、背を丸めて、いかにもさえない御者の姿をしていた。
リアドーネの視線に気が付いた御者姿の男は、ニコッと笑顔を向けると、明るい声音で話しかけた。
「もうすぐ着くから大丈夫ですよ。それとご協力に感謝します。決して貴女方にとって悪いようにはしませんから。安心してください」
リアドーネは男の言葉にまだ不安はあったものの、黙って頷いた。そんな彼女の眼にはなすべきことをしようという強い意志が宿っていた。
しばらくして馬車は王都へ入り、貴族の屋敷が集まる場所を目指して走っていった。




