1章32話 牢屋からの脱出
時は少し遡り、キャルメ王女達がエドワード王子の離宮へと出発した頃、敵に捕まっていたナイルとリアドーネは、ようやく逃げ出す算段を整えていた。
「思ったよりもあいつら気づくの遅いんだよなぁ」
そうぼやいて、リアドーネの囚われている牢屋の鍵を外から開ける。
中にはむっとして涙を浮かべるリアドーネがいた。髪は乱れ、服も薄汚れてしまっているが、気の強さだけは人一倍で、キッとナイルを睨みつけると、声を抑えつつも怒りをナイルにぶつけた。
「遅いのはそっちじゃない!置いて行かれたかと思ったわよ!」
今にも涙が零れ落ちそうだが、気丈に振る舞おうと必死で泣くのをこらえている。
その様子にナイルは内心可愛いなと思い、ふと口もとに笑みが浮かんだ。しかし口をついて出るのは意地の悪い言葉ばかりだ。
「置いていってもよかったんだけど?君を連れて逃げなきゃいけないから、準備が大変だったんだ。ほら、これに着替えて」
そういってナイルが投げてよこしてきたのは、薄汚れた男物の服だ。すでにナイルは侍女の恰好から、違う服に着替えている。
リアドーネはその服を受け取るなり、顔を思い切りしかめた。
「……臭いわ」
そういってなかなか着替えようとしないリアドーネに対し、ナイルはやれやれといった様子で、彼女の腕をとり自分の方へと引っ張った。強めに引っ張られて、リアドーネはナイルの腕の中にすっぽりと収まる。
「なんなら僕が着替えを手伝ってあげようか?お嬢様は人に着替えを手伝ってもらわないと何にもできないんだろう?」
戸惑うリアドーネに対し、ナイルはいやらしい笑みを浮かべると、彼女の服に手をかけようとした。
真っ赤になったリアドーネは、ナイルに向かって平手打ちをしたが、それはあっさりとかわされてしまった。
「早く着替えないと置いてくよ」
ナイルは揶揄うような笑みを浮かべてから、一応紳士として後ろを向いて着替えを待った。
渋々リアドーネはドレスから、その男物の服に着替え、髪の毛も帽子の中に隠し、それを目深にかぶって顔を隠した。
ナイルは満足そうに笑顔で頷くと、手をリアドーネの顔の方へ近づけ頬に触れた。驚いたリアドーネは、びくっとして固まってしまったが、その反応はナイル面白がらせた。
クスリと笑って、まるで怯えた小動物のように震えるリアドーネに優しく声をかける。
「大丈夫。少し汚すだけ。じっとしててね」
ナイルは手に付けた煤を彼女の頬に優しくなでつけた。
リアドーネは何が起こっているのかわからず、目を白黒させている。
「君、色が白いから目立つし、こうしないと美人がばれちゃうしね。むしろ男の姿のほうが似合ってるよ」
そういって手を離すと、ニッと笑った。
「~~~~~!?」
令嬢としてそんな扱いをされたことのなかったリアドーネは、顔を真っ赤にして、怒りとも恥ずかしさともわからないような感情に翻弄された。
そんな彼女を気にも留めず、あははと笑うと、ついてきてといってナイルは牢屋から彼女を連れだした。
彼らが入れられていた牢屋は、森の奥にある廃屋の床下に作られていた。階段を上ると木の扉があり、それを開けて廃屋の床下から出る。そこは狭い倉庫のようになっていた。
リアドーネは、前を進むナイルの腕をしっかりとつかんで、恐る恐るついていく。ここはすでに廃屋だとナイルは言うが、人が生活していた形跡がそこかしこにあった。
ナイルは今まで捕まっていたというのに堂々としたもので、まったくひるむことなく進んでいく。すでにここにいる敵はナイルの手によって制圧されていた。
ナイルが自分の牢の鍵を開け、リアドーネの牢に移った時に、自分の側の牢の扉をあけ放ったままにしてあった。それを見張りの者に見つけさせ、捜索のために人手が少なくなったところで、敵を撃退したのである。
自分ひとりであったなら、もっと早く逃げ出すつもりであったが、リアドーネも捕まったために、しばらく様子をみていたのだ。
(こんな素直な子がまさか敵の仲間なわけないか。嘘なんてつけないよなぁ、この性格じゃあ)
リアドーネの熱を腕に感じながら、ナイルは内心そう思った。
当初はリアドーネの存在も疑っていたため、近づいて反応を見るためにいろいろと試してみたが、彼女はいたって素直な反応しか見せなかった。ナイルはそれを好ましくすら思い、すでに疑いを解いている。
ナイルは捕まっている間、隙をみつけては隠していた持ち前の道具で牢屋の鍵を開け、廃屋の中の調査や、特務へのつなぎをつけたりと、とても捕まっているとは思えないほど自由に活動していた。そこでの調査を終え、抜け出そうとしていたところにリアドーネがやってきたのである。
仕方ないので、そのまま大人しく捕まったふりをしていると、敵はナイルをリアドーネ誘拐の犯人にして、王女に疑いを掛けさせようとしていた。脅しをかけるために、ナイルも髪を切られたが、ちょうどそこには、何かあったときのために仕込んでいた情報が隠されていたため、そのままにした。
しかし敵は王女に疑いをうまくかけられなかったようで、逆にロヴァンスの軍隊の応援を要請されてしまったようだ。敵は焦って、一部の見張りのみを残し、ここから拠点を移した。すでにナイル達はお払い箱というわけだ。
二人とも処分されてもおかしくない所だったが、ナイルの機転によって、すでに一人脱走したように見せかけていたため、うまく脱出できた。
「あ、そうだ」
そういってナイルは思い出したかのように、廃屋の部屋の一つに入っていった。腕をしっかりとつかんでいたリアドーネもそのまま一緒だ。
「に、逃げるんじゃないの?」
リアドーネが怯えながら聞くと、ナイルは彼女の方へ顔を向けて、部屋の奥に縛られている人物へと指をさした。
「あいつに見覚えは?」
その人物はやせ型の中年で、質のよさそうな服に身を包んでおり、身体を縄で柱に縛り付けられ気を失っていた。
恐る恐るその人物に近づいたリアドーネは、その顔を覗き込むと、アッと小さく声をあげた。目を大きく見開いて、戸惑うようにナイルと見比べた。
「……知っているわ……サイラスの屋敷の人間……」
そういうリアドーネの声は次第に小さくなっていく。
「……そうか。やっぱりな。まさかサイラス王子も関わっているなんて……」
難しい表情をしてナイルは暫し考え込んだ。
いつもと違って深刻そうなナイルの様子に、リアドーネは青ざめた。
「か、彼は私たちと同じように捕まっていたのよね?そうよね?」
ナイルにしがみつき、そう訴える。
しかし彼はそれに答えはしなかった。
そして縛られている男を軽く蹴飛ばし起こすと、よくわからずにキョロキョロしている男に対して、懐から取り出したナイフをその顔面に突きつけた。
「お前が知っていることを全て話せ。さもないとその鼻がすこ~しばかり低くなるぞ?」
そういって冷酷な笑みを浮かべた。




