2章136話 遭遇
(クソっ……!どこに行った!?)
双子の妹達を探す為に地上へと出ていたジェデオンは、通りで見かけた者を追って路地裏を走っていた。双子のことも勿論心配だが、それ以上に野放しにしておくわけにはいかない者達がいる。
未だ全快とはいかない体に鞭打ってひたすらに走れば、ようやくその姿がはっきりと目に映った。
(っ──!やはりあいつらだ)
狭い路地裏の奥、強い日差しが作る濃い影に、息を潜めるようにして蠢く者達──その中の一人が気付き振り向いた。
「──あら?……誰かと思えば…………」
嫣然と微笑む口元とは対照的に、その眼差しは凍てつくほどに鋭い。ゆったりとこちらへ体を向けるのは、ジェデオンが致命傷を負わされたあの夜にナイルと共にいた女だ。
「レーン……」
「意外だわ……貴方、生きていたのね?」
「……お前の方もな。しぶとい奴らだ……」
対峙するのは、かつて貴族の娘になりすまし、ラーデルス王国を混乱に陥れた人物、レーンことゲーラである。
ジェデオンは負傷して臥せっていた間の出来事を、商会の者達から聞き及んでいた。
報告によれば、アスラン率いる王国軍が、北西の渓谷地帯でイサエルら反勢力の拠点を潰し、撃退したとのことだったが、目の前の女は普通にそこにいる。
アスラン肝入りの闘技大会が行われている最中、この女が街にいるのはただの偶然ではないだろう。死地を彷徨ったジェデオンだからこそわかる。ビリビリと肌で感じるこれは、碌でもないことが起きる予感だ。
「巣穴を潰され、尻尾を巻いて逃げたかと思えば……こんな場所でこそこそと何をしている?鼠なら鼠らしく、這いつくばって獅子の餌食になるのを待てばよいものを……」
口をつく悪態は時間稼ぎだ。激高してすぐに襲い掛かってくるような相手ではない。この女ならばジェデオンの言葉遊びに付き合うだろう。己が存在をその言葉でもって誇示できる、またとない機会なのだから。
「ふふ、血反吐を吐いて這いつくばったのは貴方の方ではなくて?それに鼠というなら、何の関係もないくせに出しゃばってくるロヴァンス人の方がお似合いよ」
「関係ないわけがない……お前らが攫ったのは俺の妹だぞ」
「あら、それは知らなかったわ。イサエルに目をつけられて可哀そうに……ふふ………」
憐憫の言葉を口にするも、ちっとも同情などしていないような表情で一歩、また一歩と近づいてくる女。
背後にいる彼女の手下だろうか。既に懐に忍ばせている得物に手をかけている。
昼の街中の喧騒が建物の向こうに聞こえる。一つ路地を裏に入っただけのこの場所は、人通りの多い市街地の中心部だ。だがそこに潜む闇は深い。見回りの兵士でさえ、その目が行き届いてはいないのだから。
じり……と靴の下で砂が鳴る。暑さのせいではない汗が滲み出てくるのを感じた。
──分が悪い。普段のジェデオンならば負けなどという文字はないが、傷が塞がり切らないこの身体では碌な動きができないだろう。
だがここで相手を逃がすという選択肢は、最初から用意されてはいなかった。
「お前たちが何をしようとしているか知らんが……それをやすやすと見過ごすわけにはいかない」
そう宣言した途端、女の口元が嗜虐的な笑みで歪んだ。
「はっ!いいわ。やれるものならやってちょうだい?物語にはそうしたお邪魔虫も必要だものね、ふふ…………」
そして女は、すっと浮かべていた笑みを消した。
「──殺れ」
──ザッ!──
一瞬にして女の背後に控えていた敵が散開する。蠢く闇の者達が、ついにジェデオンへと襲い掛かってきた。
──ギィンッ!!──
正面から飛んできたナイフを懐から出した短剣で弾く。初手で飛び道具が来るのは予想済みだ。
弾いたナイフは別の敵を怯ませ、ジェデオンはそこに生まれた隙をすかさず突いていく。
──ドゴッ!──
素早い回し蹴りを敵の後頭部へと叩きこむ。そして相手が倒れこむよりも先に、すぐに後ろへと飛び退った。
──ヒュンッ!──
先ほどまで自分がいた場所に振り下ろされた曲刀。もしそのまま留まっていたら確実に喰らっていただろう。狭い裏路地での近接戦。下手な動きをすれば、あっという間に逃げ場を失う。
後ろに回りこまれるような下手はしない。攻撃をいなしつつ、じりじりと後ろへさがりながらも、反撃の隙を狙う。
一人、また一人と狭い路地裏に小さく断末魔の悲鳴が上がった。
(はっ……!寧ろ狭いのは好都合だな……)
治りきらぬ腹部の痛みに汗を滲ませながらも、ジェデオンは内心その勝利を確信していた。
数の多さでは相手に分があるが、狭い路地ではそれを生かすことはできない。負傷しているとはいえ、剣の腕前はジェデオンが圧倒しているのだ。
敵の死体が一つ、また一つと積みあがっていくのにも関わらず、女は顔色一つ変えず戦況を見守っている。その様子にどこか不気味さを感じたその時──
「ジェデオン様!!」
呼び声と共に背後から響く新たな足音。商会の者達がジェデオンを追い、駆け付けたのだ。
ジェデオンはチラリと背後を確認すると、再び前方の敵を見据えた。
「……さぁ、これでもうそちらは後がないぞ?このまま大人しく捕まるのをおすすめするが?」
敵は女の他に2人だけ。対してこちらはジェデオンを含めて4人となり、勝利が確実となったのだが──
「……くくく……あははははっ!」
「っ……」
女が突然、天を仰ぎ笑い出す。狂気じみたその笑いに呆気にとられるも、立ち込めるどこか歪な空気に、不吉な予感が強くなってくる。
「……何が可笑しい?」
「あぁ……少し早いけれど、もういいでしょう?……これ以上は我慢できないわ……イサエル……今こそ私たちのゆりかごを取り戻す時よ──」
女がそう言った瞬間、敵の一人が懐から何かを取り出した。そして──
──ピィィィィッ!──
甲高い笛の音があたりに響く。その音に聞き入りながら、女は嫣然と微笑んだ。そして次の瞬間──
──ドォォンッ!!──
「っ──!?」
笛の音が空に鳴り響いたと同時に辺りを震わせた爆発音。それは街中の喧騒を掻き消し、続いて人々の悲鳴を呼び起こす。
ジェデオンは、それが目の前の者達が仕組んだことだと、すぐに理解した。
「……貴様ら……」
「あら怖い。でもね、私たちは全てを元に戻しているだけ。タゥラの一族が搾取して築き上げてきた偽りの城を、母なるテヘスの大地へと戻す為に──」
どこか陶酔したような声音とは裏腹に、おぞましい計画の一旦を語る女。連鎖的に爆破させているのか、遠く更なる爆音が聞こえてくる。
「街を破壊し尽くして何の意味がある?得られるのは砂に沈んだ瓦礫の山と、この地に生きる民達からの憎悪だけだ」
「意味?意味ですって?……はっ!所詮、奪う側でしかない人間の戯言ね……」
「何を──」
「お前たちロヴァンス人こそ罪深い……先祖の犯した罪を、まるでなかったことのように忘れているのだから……!!」
ジェデオンの言葉に激高した女が、懐から己の得物である鞭を取り出して振るう。怒りの全てをぶつけるかのようにしたそれは、石畳にヒビを入れ地面を抉った。
「……まぁいいわ……おしゃべりはもう終わり………」
女の瞳が翳る。自ら纏い重ねた憎悪に魅入られ、更に深い闇へと落ちていくように。
もう誰にも止めることはできないのだ。死地へと向かうその歩みを──
「思い知るがいい。テヘスの怒りを……天の裁きを──地獄を見せてあげるわっ!!」
血を吐くような叫びと共に、ついに死闘の火ぶたが切って落とされた──