2章135話 迫りくる決戦の時
「ついに残り2試合となりました!」
熱狂渦巻く闘技場に、進行役の声が高らかに響く。個人戦の試合は既に準決勝まで進んでいた。
「先に決勝へと勝ち進んだのは、我らがタゥラヴィーシュの国王、アスラン様!」
──ワァァァァァァッ!──
アスランの名が呼ばれ、観客は一際大きな歓声をあげる。
既に準決勝の1試合目が終わり、アスランが順当に決勝へと駒を進めていた。もう一つの準決勝でアスランの相手が決まる。
「そしてアスラン様と対する相手は、なんとなんと!驚くべきことに二人ともが囚人から勝ち上がった者達!このどちらかが決勝へと駒を進めます!」
──ワァァァァァァッ!──
進行役の煽りに、怒涛のような歓声が沸き上がる。命を懸けた囚人同士の闘いに、人々の熱気は異様なほど燃え上がっていた。
「一人は王の花嫁を盗もうとした不届き者!麗しき約束の地の花嫁に、命を賭してまでその愛を乞うのは、遥か異国からやって来た孤高の剣士!勝って王に闘いを挑むか、負けてその命を散らすか!果たしてその命運やいかに!」
煽るような紹介を受けて、ラスティグは闘技の舞台へとその歩みを進めた。囚人の一人として姿を現せば、観客から一際大きな歓声が上がる。
「そんな孤高の剣士に対するのは、最近世間を賑わせている惨劇の無法者!闇夜に徘徊し血を啜る悪魔の申し子だ!その刃は数多の命を奪い去り、屍の山を築いてきた!囚われた今もなお、新たな犠牲者を作らんと牙を研ぐ!」
街中で起きた血の惨劇は記憶に新しく、人々の間からどよめきの声が上がった。そんな戸惑いを気にも留めず、進行役は尚も煽るように言葉を続ける。
「さぁさぁ!囚人が生き残りを賭けて闘う真剣勝負だ!負けたら死あるのみ!だが勝っても待ち構えているのは、負けなしの絶対王者、国王陛下その人だ!試合の行く末をとくとご覧あれ!!」
進行役の言葉に観衆の熱気が一層濃くなる中、ラスティグは闘技場の中央へと歩みを進めた。その先に佇むのは、これまでも何度か刃を合わせた相手──ナイル。
かつては味方として共闘し、先日は命の奪い合いをしたばかりだ。そのナイルと今、再び命を懸けて刃を交える。
複雑な想いが交錯する中、ラスティグに負けという文字はない。例え相手がかつての仲間だとしても、この闘いには勝利しか許されていないのだから。
──ゴォォォォンッ!!──
割れんばかりの歓声が降り注ぐ中、ついに闘技開始の銅鑼の音が響いた。
開始の合図と共に、先に動いたのはラスティグの方だ。先手必勝。ナイルの素早い動きに翻弄される前に力押しで攻めていく。
──ガギィンっ!!──
交わる相手の刃はいつもの曲刀ではない。どうやら使い慣れぬ有り合わせの二刀のようだ。だが小柄なその体が繰り出す力は、ラスティグの想像以上のものだった。
──ギャンッ!!──
「っ──」
火花と共に交差した刃がラスティグの剣を弾く。間合いが近い。瞬時に後ろへと跳躍するも、反撃の刃が胸元を狙う。肉まで到達はしなかったが、気づけば鋭い刃が衣を切り裂いていた。
「……はっ……」
一瞬の油断が命取りとなる。だがそれは互いに同じ。初手をやり過ごし、ラスティグは目の前の相手を見据えた。
(肩口に新しい怪我か……)
包帯で巻かれてはいるが、ナイルの肩には先の戦闘で負った傷が残っていた。またいつもの曲刀ではないため、動きのキレが以前とは違っている。
分はこちらにある。だが一つだけ、圧倒的にナイルが勝っているものがあった。
──ビュッ!!──
「っ──……!!」
予備動作なく、急激に詰められた間合い。視界から相手が見えなくなったと思った瞬間、ラスティグは本能的に後ろに仰け反った。
空を切るその一閃は、反射的に避けていなければ確実に首を斬られていただろう。
迷いの無い殺意──それこそがナイルの持つ絶対的武器だ。
──ヒュンッ!ヒュンッ!──
「くっ……!」
体勢を崩したラスティグへ向けて、ナイルの容赦ない追撃が続く。どれも急所を狙ったものだ。しかし下手に剣で受ければ、二刀の内もう一刀の攻撃を避けきれない。
中途半端な防御は捨て、回避の中に反撃の隙を伺う。
逃げ続ける様子に、会場内からは大きな不満の声が上がる。それでもラスティグはひたすらに目の前の相手に意識を集中させた。
「ヒュッ──」
刹那、ナイルの呼吸が一つ深くなる──
(今だ!!)
──ビュッッ!!──
予測通りの大振りの斬撃。振り下ろされると同時に体を回転させ、紙一重で回避する。そしてその勢いのままに反撃の一手を繰り出した。
──ギィンッ!!──
「ッ──」
体幹を軸にして遠心力が上乗せされた斬撃を、ナイルは一瞬遅れて怪我をしている方の刀で受けた。ほんの僅かなの力の差──だが両者の拮抗を破るには十分だった。
──ガッ──
ラスティグは僅かに崩れた相手の隙を逃さず、肩を狙い追撃の回し蹴りを放った。
「グッ……!!」
傷が開いたのだろう。怪我をしている肩口の包帯から鮮血が滲み出し、みるみる赤く染まっていく。相手が痛みに怯む間もなく、ラスティグは続けざまにもう一方の足で蹴りを繰り出した。
「ッ──!」
──ガッ!……ザッ!──
ナイルの手から短剣が零れ落ち、地面へと突き刺さる。すかさずラスティグは間合いを詰めるも、その動きは既に予想されていた。
──ザシュッ!!──
「くっ……!」
片翼を失っても尚、鋭さを失わないナイルの一撃。ラスティグは瞬時に体を捻るも躱すには不十分で、鋭い刃が衣を切り裂き脇腹まで到達する。
傷口から流れ出た血が黒い衣を一層濃く染め、闘技場の地面に滴り落ちていく。だが痛みに怯む暇はない。ラスティグは間合いをそのままに剣を持つ手に力を込め、ナイルの追撃を阻む。
──ビッ!──
横に薙いだ一閃は、ナイルの頬を掠めた。手ごたえは浅かったが、溢れた血は首筋まで赤く染めている。
当たればナイルにとって確実に致命傷となったであろう一撃。だがラスティグは躊躇なくその斬撃を放った。己と同等かそれ以上の剣の腕を持つナイルが、その攻撃を避けれないわけがないと確信していたから。
「……はっ……!」
互いに命を懸けた応酬が続く。削られていくのは何も体力ばかりではない。
一つ間違えば死が待っているその一瞬一瞬に、精神が少しずつ摩耗していくのが分かる。けれど、それでも──
──ギィンッ!!──
火花を散らせる刃──そのずっと向こうに見える姿がある。必ず連れて帰ると誓った人の姿が──
(ティアンナ──……)
今はまた、悲しい顔をさせているかもしれない。必ず勝ち上がるという決意は、目の前のナイルの死を意味しているのだから。
(それでも俺は──……)
迷いを断ち切るように大きく前へと踏み込む。反撃が来るのは承知の上だ。
──ギャンッ!!──
先ほどと同じく腹部を狙い突き出された短剣。ラスティグはそれを鍔近くで弾くと、そのまま手首を捻るようにして突き上げた。
「ッ──!?」
短剣を放すまいとナイルの意識が僅かに逸れる。その一瞬の隙──
──ドゴッ!!──
「グッッ………!!」
胴部への強烈な蹴りの一撃。体格の差による優位は圧倒的だ。
堪らずナイルは大きく後ろへとよろめき、痛みに顔を大きく歪める。内臓へのダメージが大きいのか、俄かに動きが鈍った。それをラスティグは見逃しはしなかった。
──ビュッ!ギィンッ!!──
緊迫した空気そのものを裂くような鋭い一閃。刃のぶつかる鈍い音が、辺りに重く響き渡る。
宙を舞うのは一本の短剣。地上から差し込む光を反射し、弧を描きながら地面へと落ちていく。その光景は鮮烈に人々の目に映った。
──ワァァァァァァッ!──
客席から一際大きな歓声が沸いた。目の前で繰り広げられている命を懸けた闘いが、ついに決着しようとしているのだ。
二刀とも失い、ナイルは丸腰となった。落ちた剣は遠く、拾うことは叶わないだろう。肩で息をしたまま、どこか呆然としたように立ち尽くす相手に、ラスティグは剣を向けた。
「……ナイル殿……」
無意識にその名を呟いたのは、まだ心のどこかで希望を抱いていたからかもしれない。ロヴァンスの騎士として剣を振るっていたナイルを知っている。こんな形でその命を終わらせたくはない。しかし──
「何やってんだ!早く殺せー!」
「罪人には死をっ!!」
なかなか動きを見せないラスティグに、観客がじれて野次を飛ばす。最早勝利は完全なものであるはずなのに、終了の銅鑼の音は聞こえてこない。
どちらかが死ぬまで終わらないのだ。それが罪人としてこの闘技に参加する条件だから。
「殺せーっ!!」
高まる死への期待。人々はまるで狂気に触れたかのように、血の快楽を求めて叫ぶ。悍ましい欲望が会場を支配していた。
囚人同士の勝敗は、生死によってしか決することができない。つまりティアンナを祖国に連れ帰る為には、ナイルを殺さなければならないということ。
無情な現実──けれどそれがこの狂乱の宴における掟だ。騎士としての矜持や生き方など、ここでは何の意味もなさないし、通じはしないのだ。
「……すまない……」
怒号が飛び交う中、小さく呟き、ゆっくりと剣を振りかぶる。決意が鈍らぬように腕に力を籠め、唇をかみしめながら真っすぐに前を見つめれば、仄暗い瞳と視線がぶつかる。
刹那、その瞳に揺らめくものに気が付いた。剣の切っ先が中天の陽を強く反射しているのだ。残酷な光──それを映すかの瞳は、一体何を思うのか。
「ナイル殿──」
深淵の闇の奥底に眠る騎士に問う。互いが進むべき道を。待ち構えている非情なる現実を。
「覚悟──」
そしてついにラスティグは、その一歩を踏み出した──




