1章31話 月影の寝室で
しばらくして、暗闇の中、アトレーユは窓の外を眺めていた。
キャルメ王女の部屋には大きな窓がしつらえてあり、そこからは庭園が見える。王女のいる部屋は離宮の3階にあるため、月明りに照らされた庭園がよく見えた。静かな夜の庭園には、様々な形に切り揃えられた薔薇の生垣が、夜風に揺らめいていた。一見すると人や動物がそこにいるように、欠けた月が小さな影を作る。
突然ガタンと音がして窓の外に向けていた意識を部屋の中へと移す。
その眼は部屋の中にくぎ付けとなった。窓の外に意識を向けていたほんの少しの間に、部屋の中に人影があったのである。
アトレーユは一瞬のうちに抜刀し、その人物に向かって剣を突き付けた。
暗闇の中、剣を突き付けられた人物が不敵に笑う気配がした。大声を発すればすぐにでも扉の外の護衛達が部屋に入ってくるだろう。しかしアトレーユにはそれができなかった。
「……なぜ貴殿がここに?」
咎めるようにその人物に理由を聞く。窓から少しだけ漏れる月明りに照らし出されたのは、ラーデルス騎士団団長のラスティグだった。
彼は不敵な笑みを浮かべながら両手を挙げて近づいてきた。
ハッとして王女と彼の間に剣を抜いたまま、身体を滑り込ませ、彼の視線を塞ぐ。許可なく王女の部屋に入ってきたことは、勿論許されることではない。
アトレーユは一気に覚醒した頭で、瞬時に考えを巡らせる。すぐにでもラスティグを部屋の外へと連れ出さねばならない。
そんなアトレーユの緊迫した様子を気にすることなく、ラスティグはあっけらかんとした様子で言った。
「なぜって護衛の交代をしようと提案しにきただけだ。貴殿も疲れただろう。寝ずの番は我々も手伝わせてもらおうと思ってね」
外の護衛にも隊長に話をしたいと言ったら、渋々だが了承してくれたのだという。
部下たちの気の緩みに苛立ちを感じたが、それにしてもこんな時間に王女の部屋に直に訪ねてくるなど、ラスティグの礼を欠いた態度も許せなかった。
しかしここで言い合うことはできないと、追い出すように部屋の外へとラスティグを促した。
部屋の外では部下の一人、アトスが眠そうな目を必死に開けながら護衛の任に当たっていた。そして隊長の不機嫌な様子にすぐに気づくと、目線を合わせまいと必死でまっすぐ前の方だけを見ていた。
「生憎だがその提案は受け入れかねる。姫の警護は自国の者だけで十分だ」
アトレーユはそういってラスティグの提案をあっさり跳ね除けた。
しかしラスティグもただ親切心だけで提案したわけではない。アトレーユ達に疑念を抱いた以上、自分の目の届くところで見張っていなければいけないと思ったのだ。
「しかしそうはいっても、少数で連日の護衛は大変だろう?護衛の彼もだいぶ疲れている様子じゃないか」
そういってアトスの方を軽く見やる。
アトスはこっちに話題を振ってくれるなと内心冷や汗を流しながら、黙って護衛を続けた。ちらりとアトレーユはアトスに目をやるが、確かにここ最近は皆が気を張っているため、疲れがたまっているのは事実である。
だからといって他国の人間に護衛を任せるわけにはいかなかった。今は何としても彼を王女の部屋から遠ざけたかった。
アトレーユはラスティグに向き直ると、彼に向かって礼をした。
「我々の鍛練が足りないせいでそのように心配をかけてしまって申し訳ないが、これは我が国の問題。貴国の警護と提案には感謝する。だが姫の部屋に入って警護できるのはこの私だけだ。寝ずの番でもなんでも、ここ以外でならいくらでも歓迎しよう」
慇懃無礼とでもいえる態度で謝辞を述べると、ふと思い出したように告げた。
「そういえば先ほど窓の外の庭園で物音と人影らしきものをみたのだが……」
「こんな時間に庭園に人影が?」
騎士団長はその話を聞き、すぐに人をやって確認するためにその場を離れた。
アトレーユも見張りのアトスに声をかけ、自国の護衛や侍女など他の者へも指示をだすと、しばらくして王女の部屋へと戻った。
しかしそこに王女の姿はなかった。キャルメ王女は部屋から忽然と姿を消していた。




