2章130話 太陽と月と
早朝から始まった勝ち抜き戦は、既に二時間ほどが経過していた。太陽が中天へと向かう中、地下へと差し込む光が次第に強くなる。闘いの舞台は一層鮮やかに照らし出されていた。
三戦目の開始の銅鑼が鳴り響く。そんな中、先程までとは違うどよめきが場内に沸き起こった。
「うわっ!なんだありゃ!王様じゃねぇか!」
周囲の驚きの声に、貴賓席にいるティアンナも思わず目を見開く。一戦目を終えた後にどこかへと消えたアスランは、そのまま闘技に参戦していたのだ。
「……信じられない……」
あれだけの混戦に国王自ら出るのが信じられず、思わず驚きの声を漏らす。するとティアンナの側に控えていた侍女がその疑問に答えてくれた。
「王様は元々、闘技出身の方なのです。王位争いで市井にその身を堕とされた後、闘技で身を立てて返り咲いたのですわ」
「……そんなことが?」
「えぇ、だからこそ今でも闘技に普通に参加されるのです。民からの人気も高いのはそのおかげですね」
「そうか……彼の剣は闘技で磨かれてきたんだな……」
遠目で見てもどこか楽し気に剣を振るっているように見えるアスラン。その剣の技は騎士であるティアンナが見ても凄まじい。
アスランが舞台上にいるとわかると、すぐに部族特有の恰好をした者達が彼を囲んだ。彼らは王の妃を求める者達なのだろう。この場でアスランを亡き者にするつもりなのかもしれない。
「……あれだけの人数に囲まれて大丈夫だろうか……」
あくまでも勝ってほしいのはラスティグだが、アスランが無残に殺されるところを見たくはない。その想いで口にした言葉だったが──
「……ロヴァンスの花嫁の口から、王を心配するような言葉を聞けるとは思いませんでしたよ」
「……貴方は……」
ティアンナの言葉に答えたのは、銀色の仮面の男──シュウランだ。いつの間に来たのか、すぐ横に立っている。アスランの側近である彼と直接話すのは初めてだ。
「王にとってあれくらいの敵は何でもありません。ああしてわざと敵を優位に立たせた上で、それを斬り伏せるのです。自らが最も強い王であると示す為に」
シュウランは唖然と見上げるティアンナをそのままに、アスランの闘い方について語り出す。
「元々剣の才があり豪胆な気質。それでいて狡猾さと冷静な判断力があるのは、今闘っている中では王だけでしょう。彼が負けることは決してない……」
銀の仮面のせいで表情は見えないが、その口ぶりはアスランの勝利を信じて疑わないものだ。そしてその言葉の通り、アスランは立ち塞がる敵を次々と闘技の舞台に沈めていく。
「……確かに、彼ほどの剣士はいない。でも何故そこまで危険を冒すのか……」
単純なその疑問に、傍らで薄らと笑うような気配がした。
そのまましばらく黙って闘技を見ていると、銅鑼が鳴らされる。中央で闘っていない者へ向けて、牽制の弓が射かけられる合図だ。だが──
「っ──!?何故弓兵はアスランを狙っている?」
「あぁ……やはりそう来ましたか……」
シュウランは何でもないように呟いた。舞台の上では何故か弓兵数人がアスランに狙いを定め矢を放っている。明らかに彼を殺すのが目的のようだ。
「……まさかイサエルの軍勢が混じっている……?」
ティアンナのその呟きに、今度こそはっきりとシュウランの笑い声が聞こえた。
「ふっ、この分だと騎馬兵にも紛れているでしょうね。ただ王を殺すのではなく、その権威を失墜させる為に、敢えて兵士の方へ紛れたか……」
冷ややかなその声は、一つも動揺を見せてはいない。まるであらかじめこうなることが分かっていたかのように。
「流石に騎馬兵もだとまずいのでは?」
「どうでしょうね。確かに劣勢に追い込まれるかもしれませんが、だからと言って負けが決まるわけではないでしょう。ほら──」
その言葉に視線を闘技場へと戻せば、アスランはいつの間にか櫓の上の兵士を倒し、弓を奪っていた。
そして再び場内に響く銅鑼の音。騎馬兵が投入される出入り口が開くと同時に、アスランは櫓の上から騎馬兵を狙って矢を射た。そして次々と馬上の敵を倒していくと、またすぐに櫓を降り、無人になった騎馬に跨る。王の鮮やかなその動きに、一際大きな歓声が上がった。
「すごい……」
「騎馬兵が敵か味方かなど関係ない。己の力でのし上がってきた彼にとっては、立ち塞がる人間は等しく敵なのですから」
その後もアスランは馬を鮮やかに操り、馬上から弓で次々と敵を倒していく。矢が無くなれば今度は剣を構えて相手に斬りこんでいく。
勇壮で豪胆なその姿は、まさに民衆が思い描く英雄そのものだろう。アスランの闘いを見守る人々の熱気がそれを物語っていた。
「彼がああして人目を引き付けるのは、目的があってのこと。テヘスの一族に関わる者達をおびき寄せる為──」
「私がこの国に来たのと同じ目的……」
「えぇ……その点、貴女は期待以上の働きをしたと思いますよ。テヘスに殺されずにいただけでも驚きです」
「っ──……、やはり命を狙われるとわかっていて私を連れてきたということか」
苛立ちを含んだようなティアンナの声に、シュウランは顔を手で覆いながら天を仰ぎ笑い出した。
「ふっ……はははははっ」
「っ……何が可笑しい?」
「皮肉なものだ……かつての花嫁は王の娘だったからこそ、その命を偽ることができ、此度の花嫁は騎士であるが為に偽ることが叶わぬ……例え建国の一族でもその宿命は変えられない──」
シュウランの含みを持たせた物言いは、ティアンナには理解の及ばぬものだった。
(かつての花嫁……確か10年前の出来事について、イサエルも似たようなことを──だがその花嫁は死の旅路を辿ったと言っていたが……)
命を偽る花嫁と死の旅路を行く花嫁──その二つの言葉が持つ矛盾に引っかかる。これまでアスランの影にいてその存在をほとんど主張してこなかったシュウランが、何故今になって声をかけてきたのか。
思考の海に投げ出されそうになったその時、歓声にかき消されながらもティアンナはそのかすかな呟きを耳にした。
「……待ち望んだ舞台で、あの男の絶望を拝めないのが残念だ…………」
温度の無いその言葉に含まれるのは、例えようのない憎悪。凍り付くような鋭い視線が、熱く燃えるような闘いの舞台に注がれる。
──一体その言葉は誰に向けられたものか。
視線の先には、勝利を確信したアスランが剣を高く掲げる姿が見える。会場内は国王の勝利を称え、アスランの名が歓声と共に叫ばれる。
太陽のようなアスランに対し、王を陰で支えるシュウランは、まるで月のようだとティアンナは思った。
仮面の下から見据えるその瞳の奥に、一体何を思うのか。その答えを明かすことなく、シュウランはアスランの勝利を見届けると何も言わずにその場を後にした。




