2章128話 ロヴァンスの騎士
セレスはナイルに向かって叫ぶや否や走り出した。矢を数本矢筒から取り出し、すぐに狙えるように持つ。
ナイルとの闘いはこれが初めてではない。キャルメ王女の護衛騎士時代には何度も闘ってきた相手だ。
(二刀持っていなければ勝機は十分にある──間合いを詰められなければ……)
弓での攻撃は正直弾かれる可能性が高いが、連射を駆使すれば十分戦えるだろう。それでも接近戦に持ち込まれたならば、差し違える覚悟が必要だ。
──ヒュンッ!──
「っ!!」
──キィンッ!──
足止めの為に時折矢を放つ。すぐに弾かれてしまうが、それでも距離を離すことには成功していた。
(このまま櫓を目指そう──下手に矢を消耗させられたらお終いだ)
いまだ混戦が続く中央付近。だが逃げ回り無駄に矢を消耗するよりも、確実に敵を仕留めらえる位置に陣取る方が賢明だ。
──ビュンッ!!──
「っ──」
寸でのところで躱したのは、別の参加者が振るった剣だ。それはセレスを狙ったものではないが、すぐ脇で激しい闘いが続いている。混戦が続く中で立ち止まるのは危険だ。
──ヒュンッヒュンッ!!──
櫓への道筋を切り開く為、前方にいる敵へも矢を射かける。なるべく一撃で戦闘不能にするべく、武器を持つ腕や肩を狙った。だがその僅かな動きによる隙は、ナイルが距離を詰めるには十分なものだった。
「っ──!!」
──ズザァッ!!──
背後に強烈な殺気を感じ、セレスは咄嗟に身を屈めた。勢いあまって地面を滑りながら後ろを振り向くと、ナイルの刃がまさに先ほどまで自分がいた場所に斬りこんでいる。
間一髪──ヒヤリとしたものが背中を伝う。
──ザンッ!!──
「っ……!!」
倒れこんだセレスに向かって容赦なく振り下ろされる刃。セレスは辛くもその追撃を地面を転がりつつ躱す。だが追撃はそれだけでは終わらなかった。
──ザンッ!ビュッ!ザンッ!!──
続けざまに何度も振り下ろされる刃。セレスは体勢を立て直すことができぬまま、それを躱し続けるしかない。だが──
「ぐっ……!」
躱しきれなかったナイルの刃がセレスの腕を掠める。その拍子に刃の軌道が僅かに逸れ、矢筒を支える革帯に絡まった。
「ッ──!!」
一瞬の隙──振り下ろした刃を構え直すよりも先に、セレスは起き上がる。片膝をついたまま瞬時に矢をつがえナイルへ向かって放った。
──ドシュッ!!──
『ウッ……ッ……』
至近距離での的中。深々と刺さったその矢はナイルの肩を貫き、背中側へと矢じりが抜けていた。
「っ……すまないっ……ナイル!」
セレスはナイルの片腕を潰したのを確認し、その場を離脱する。目指すは櫓だ。そこを弓使いである自分が陣取りさえすれば、勝利条件である10人まで参加者を減らすことができるだろう。
そうしなければならない。そうでなければ自分もナイルも生き残れないのだ。
甘いと言われようが、セレスは己の手でナイルにとどめを刺すつもりはなかった。かつて同じ場所で、同じ目的の為に戦った仲間だ。
確かに今のナイルの中には、ロヴァンスで共に戦った仲間の存在がいなくなってしまっているかもしれない。
それでもナイルはロヴァンスの騎士として生きていたのだ。今もきっとその騎士としての心がどこかに残っていると信じたかった。
「ナイル……死ぬなよ……」
腕から流れる血を拭うことなく、ただひたすらに戦場を走る。障害物を乗り越え、ようやく櫓の足元にたどり着いたその時──
──ゴォォォンンッ!!──
「っ──!?なんだ!?」
闘技が開始されてから二度目に慣らされたその銅鑼は、一戦目と同じく騎馬兵が投入される合図だ。
セレスは開かれた出入り口の先に騎馬の影を見て、すぐさま状況を理解した。怒涛のような蹄の音の他に、弓を引き絞る音も聞こえてくる。櫓の上の弓兵が、騎馬兵と連携を取るつもりなのだろう。
「えげつないことしやがって……!」
そう毒づくや否や、セレスはすぐに櫓の頂上を目指して足場を登り始めた。既に騎馬兵は参加者達を攻撃し始めており、土煙の向こうにどよめきと怒号が飛び交う。
だが幸運なことに兵士も参加者達も、誰一人セレスの動きに注視している者はいない。場内が混乱している隙に、セレスは一気に櫓の上まで登った。
「なっ!?貴様っ!!」
──ドゴォッ!!──
「はっ!悪いな、この場所はもらうぞ」
背後から大きく振りかぶって弓兵の顔面へ拳をめり込ませる。バランスを崩し櫓の下に落ちていく兵士を見届ける間もなく、セレスは周囲の櫓の上に陣取る弓兵へ向けて矢を射た。
──ヒュンッ!ヒュンッ!!──
難なく弓兵を戦闘不能にし、セレスは下へと視線を移す。騎馬兵の投入によって、参加者は随分と減っていた。だがそれでも勝ち抜けの条件である10人には程遠い。
「いた──あそこだ」
視線を巡らせれば、肩から血を流したナイルが、複数人に囲まれた状態で戦っているのが見える。負傷したのとは反対側の手で武器を構えているが、手枷のこともあり劣勢のようだ。
すぐに矢をつがえて狙いを定める。だがその距離は遠い。渾身の力を込めて弓を引く。
──ギリギリギリィ…………バシュンッッ!!──
限界まで引き絞った弓を解き放てば、鋭い風音を立てた矢が敵の背に命中した。革の装甲をも貫く強弓は敵の動きを鈍らせ、それをナイルが斬り伏せる。
その後も立て続けにナイルの周囲にいる敵を矢で倒していった。何も言わなくとも分かっているかのような二人の連携。まるでかつてと同じように、仲間として共に戦っているような気がする。
──ナイルが離反したと聞いた時は、正直信じられなかった。
だが瀕死の重傷を負わされたジェデオンを目の前にして、かつて仲間達がいた場所が──キャルメ王女の護衛隊が、もう本当になくなってしまったのだと認めざるを得なかった。
共に笑い合い、背中を預けて戦った仲間達。
時に隊長であるアトレーユに怒られながら、それでも彼女を筆頭として同じ目的の為に闘った彼等を、あの護衛隊の仲間達を、心の底から信頼していたのに──
だからナイルのしたことが許せなかった。ただただ悔しくて……虚しくて……一人で訳もなく憤っていたのだ。
今はもう敵同士だとわかっている。けれどこうして共に戦っている今この瞬間に、高揚する気持ちを一体誰が止められようか。
(ナイル……お前だって心のどこかでそう思っているはずだろう?護衛隊の絆はまだここに……俺たちの心の中にあるんだって……!!)
祈るような気持ちをその矢に込める。すぐ後ろに迫っていた敵を倒した時、不意にナイルが顔を上げた。
大きな茶色い瞳がセレスを見上げる。そこにどんな感情があるかはわからない。けれどセレスは己の信念を込めるかのようにして大きく頷きを返した。
セレスの頷きを見届けてから、ナイルはゆっくりと視線を下に戻した。その様子にセレスは自分の想いが届くことを切に願う。
──ただひとかけらでもいい。
ロヴァンスの騎士であった誇りを、彼に取り戻してほしかったから──




